人類モニタリング

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人類モニタリング 「来たぞ」  午後11時きっかり、尊大なあいさつと共に『彼』は玄関に現れた。  わたしがドアを開けると、『彼』は遠慮なくずかずかと上がり込んできた。  今夜の『彼』は肩に届くぐらいの黒髪、ダークスーツに黒いシャツ、耳には金のイヤリング。  まるで、どこかのホストかと勘違いしそうな艶めかしさだ。 「あの、何か食べます?」 「ふむ。準備はしてあるのか?」  『彼』は聞き返しながら、座卓の前に座ってあぐらをかいた。  この狭いアパートの中では、長い足がきゅうくつそうに見える。 「紅茶とシフォンケーキがあります」  わたしの言葉に、『彼』は満足気にうなずいた。  ほんのわずか、表情が和むのが見て取れる。 (念のために用意しておいて、良かった)  わたしはほっとして、手早く夜食の準備をした。  ちょっとお高めのシフォンケーキ、ポットから注いだあつあつの紅茶。  カップがポットの注ぎ口に触れて、かちゃかちゃ音を立てるのは、緊張で手が震えているせいだ。  落ち着け、落ち着け。わたしはうまくやらなきゃならない。  『彼』をもてなし、上手に事をおさめるのは、わたしに課せられた重要な役割だ。  なにせ、事は人類の存亡に関わるのだから。  いつの間にか、わたしの手の先は冷たくしびれてきた。 「それでは始めよう」  偉そうな口調で、『彼』は開会を宣言した。  どこからともなく、巨大な書物と羽根ペンを取り出す。  何を記録しているのか、ペンが優雅に黄ばんだ紙の上を滑った。 「はい」  わたしは覚悟を決めて、そばに積んであるノートの束に手を伸ばした。  『彼』と出会ったのは、今月の始めだった。  平凡な会社員のわたしは、小さなアパートで一人暮らしをしている。 「私は魔王だ」  深夜、住宅街の狭く暗い路地。  わたしを尊大に見下ろしながら、『彼』はいきなり私に告げた。 「――――は?」 「私は、この世界の人間を滅ぼすべきだと考えている」 「へ……へえ。そう」  答えながら、わたしはマンガでしかあり得ない発言をする相手をぼけっと眺めた。  全身を包む長い漆黒のマント、地面近くまで伸びた長い黒髪。  銀色のイヤリングに飾られた耳は、長くとがっている。  何よりも目を引くのは、頭から突き出た大きな二本の角。  その日の『彼』は、魔王というイメージを実にわかりやすく表現した外見だった。  その夜は職場の飲み会から帰宅する途中で、わたしはかなり、いや相当に酔っていた。  アルコールで頭が緩んでいた時だからこそ、『彼』の異常な言動にもひるまず応対できたのだ。 「すっごいですねー。何、これ? ゲームとかの真似? コスプレ? 手下とかいないの?」  もしも今のわたしがその場にいたら、この愚かな酔っぱらい女を全力でぶん殴っただろう。  『へらへら笑っている間に、走って逃げろ!』と??ったかもしれない。 「ごめんね。わたし、そういうのよく知らなくてえ」  なーんだ、ただの変態か。  そう判断した当時のわたしは『彼』の言動を軽く流した。  こういうおかしな奴は、下手に怒らせると危険だ。ハイハイと聞き流して、さっさとこの場を離れるに限る。  まあ、後をつけられでもしたら困るし、途中でコンビニにでも寄って様子を見よう。 「貴様、全く信じていないようだな」  『彼』は気分を害したようで、冷たく鋭い眼差しでわたしを睨んだ。 「いや、だって、初対面ですし、急に魔王だの滅ぼすだの言われましても」  相手の迫力に少し怖くなって、わたしは慌てた。  殴られでもしたら、どうしよう?  いかにしてこの場を切り抜けようかと考えていると、『彼』が私のショルダーバッグに手をかけた。 「あ、泥棒、いや強盗っ!?」  わたしの悲鳴にかまわずバッグを奪い取った『彼』は、片手で頭上へ持ち上げた。 「ちょっと、返して、わたしのバッグ、全財産っ」 「黙って見ておれ」  『彼』がそう言った直後、ぽん、という音と共にバッグが燃え上がった。  火の粉が派手に周囲へ舞い散り、煙が上がる。 「ひえええ」  情けなく悲鳴をあげるわたしの目前で、バッグは火の玉と化した。  何よこれ、マンガじゃあるまいし――――などと思っているうちに炎は消え、辺りに暗闇が戻った。  ああ、財布とスマホと定期、カードにアパートの鍵がっ!  これからどうしたらいいのか。この怪しい男から逃げられたとしても、これじゃ部屋に入れない。  混乱するわたしに構わず、『彼』は熱さなど感じていない様子で、手についた灰をぱんぱんと払った。 「ちょ、な、あんた、ホントにその、魔」  つららが刺さったかのように、背中を悪寒が走った。 「ようやく理解できたか。私はこの世界を瞬時に焼き尽くすことができる」  火の玉の残像が、わたしの脳裏に焼き付いた。 「――――無理。マジ無理。もう無理」  あまりの驚きと恐怖で、わたしは気絶したらしい。   目覚めた時、わたしはアパートの自分の部屋に横たわっていた。 「あれ? ここって……」 「ようやく目が覚めたか」  『彼』はわたしの横にあぐらをかいていた。  暇潰しに読んでいたらしい小説を放り出し、わたしを横目で睨む。  魔王がラブコメなんて読むのか、などとわたしはどうでもいいことを考えてしまった。  酔いはどこかに吹っ飛んでしまったらしく、頭がすっきりしている。 「面倒臭い奴め。もう少し慎重に選択すべきであったか」 「な、な、なんでわたしの部屋を知ってるんですかっ」 「それぐらいの事は、貴様の中身を覗けば簡単にわかる」  恐ろしいことをさらっと言うと、『彼』はわたしに向き直った。 「中身? まさかあんた、わたしの頭の中を覗けるとでも」 「少しの間、黙って私の話を聞け。これでは全く話が進まない」  『彼』の手が宙を撫でると、その指先に、燃えたはずのわたしのバッグが出現した。 「わたしのバッグ!」 「再生させた」  何でもないように『彼』は言った。  鋭い爪を生やしたが、再生されたバッグをなげやりにわたしの膝に乗せる。 「返すぞ」  炎どころか、焦げた跡ひとつ見当たらない。  わたしはぽかんとして、馬鹿みたいに口をばくばくさせた。 「貴様がまるで理解していないようだから、もう一度言う。私は魔王だ」  その夜、『彼』はわたしにある務めを与えた。 『月に一度、人類を生きながらえさせても良いと思える事柄を報告せよ』  それが、『彼』のシンプルな、だけどとんでもなく難しい命令だった。 「はあ…………報告、ですか」  この時のわたしは、未知の外国語で話しかけられたような気分だった。  いっそ、『これから世界を滅ぼすぞ!』と言われる方が現実味を感じる。 「どんなに下らないと思える事柄でも、卑小な事柄でも構わない。貴様の判断に任せる」  仕方がないから許してやる、とでも言いたげに、『彼』の態度は横柄だ。 「ともあれ、貴様が人類という存在を滅ぼすべきではないと主張できる事柄を、私に示してみよ」 「それで、納得できなかったらあなたが人類をその……ほ、滅ぼす、と」  恐る恐る、わたしは確認した。 「そうだ」 「できませんよ!!」  重すぎる、あまりにもヘビーだ。何ゆえに、人類の存亡をその辺の一般市民に担わせるのか。 「大体ね、なんでそんな面倒臭いやり方するんですか?」  『彼』が人類を滅ぼそうかと考えたのは、ほんの最近だそうだ。  理由について彼は多くを語らなかったし、わたしも怖くて聞けなかった。  戦争、暴力、自然破壊……ほんの少し考えただけでも思い当たる事柄は多い。  愚かな人間たちが地上に与えるデメリットを、次第に見過ごせなくなった、という事らしい。 「人類がこの地表から消失しようとも、他の存在に対する影響はそれほどなかろう」  冷たい『彼』の言い草に、わたしは言い返せない。  ついさっき、バッグを燃やしたように、人間たちを燃やし尽くすつもりだろうか?  あまりにも荒唐無稽で、かえってイメージが思い浮かばない。 「私の一存で決めれば良いのだが、それでは貴様らがあまりに哀れだろう」 『彼』は偉そうに言ってのけた。  つまり、人類自身の弁解も少しぐらいは聞いてやろうかというわけだ。 「報告件数は三……いや、これでは検討するのに少ないな。十件としよう」 「多い!!」  いや、少なければいいってわけじゃないけど。 「これで全て伝えたか――――ああ、最後に、貴様を選んだ理由は」  割とどうでも良さげに、『彼』は付け加えた。 「理由は?」 「適当だ」 「適当ですか!?」 「そうだ。誰にしようかと辺りを眺めていたら、泥酔してよたよた歩く貴様が目に入った」  それはなんというか、あんまりじゃないですか?  人間性とか誠実さとか、人類の代表っぽい理由をそれらしく言ってくれないと。  憤るわたしに構わず、『彼』はわたしの部屋に飾った卓上カレンダーに目をやった。 「期限は……そうだな、今月の最終日の夜としようか」  言うだけ言うと、『彼』はすっと立ち上がった。黒いマントが緩やかに波打つ。  文句はあるかと言いたげに、冷ややかな眼差しがわたしを見下ろした。 「あと二十日じゃないですか!」  わたしは飛び上がった。いくらなんでも、そりゃあんまりだ。 「待って。あのですね、わたしにも都合とかいろいろ……」 「準備を怠るな。私が滅ぼすと決めたら、瞬時に地球全土を燃やし尽くすぞ」  とんでもなく重い言葉に、わたしはその場で固まった。  さっきの火球を思い出すと、冗談だとはとても思えない。 「忘れるな。月の最終日、夜の11時だ」  言葉が終わると共に、『彼』の姿はその場から消えた。  非常識な出会い以来、わたしはテレビやニュースのチェックを始めた。  職場でも昼休みには新聞を読み込み、スマホでネットの記事に目を通すようにした。 「おいおい、株でも始めたのか?」 「なんでそんな必死なのよ。変なの」  笑う同僚に、いやあやっぱり情報には敏感でないとね、などと言い訳をしつつ、わたしは探した。  何でもいい、人類を弁護できるような事柄を。 「――――内戦の続く地で、長年の停戦交渉が実を結び――――」  平和への第一歩を示す、国際ニュース。 「――――さんは事故現場で救命活動を行い――――」  人同士の助け合いや思いやりが伝わるような、日常の美談。 「――――この微生物の発見で、汚染された土壌の改善に期待が――――」  地球の環境に貢献するような、企業の情報発信。  わたしは幅広い情報に触れ、探り、悩み、わたしなりに資料を作ってみた。  見つけた事柄をノートに記し、記事をスクラップブックにまとめた。  文章のポイントである部分には蛍光マーカーで印をつけ、きちんとアピールできるよう工夫しておく。  休日には図書館へ足を向け、メモしてある部分が間違っていないか確認した。  まるで学生時代のレポート作成だ。  月末が近づいたところで、わたしは最後の仕上げ作業に入った。  項目の取捨選択を行い、少しでもポジティブな、前向きの事柄をまとめる。  『彼』の重視するツボがまるでわからないので、様々なカテゴリのものを散りばめた。  中には地元のちょっといい話、みたいなものまで混ぜ込んである。  とにかく、わたしの報告のどこかが『彼』の興味や好意を呼んでくれればいいのだから。  わたしみたいな取柄もないごく普通の人間が、人間の存続を賭けてプレゼンテーションを行う。 (もしかしたら、テレビのドッキリ企画とかじゃないの?)  正直なところ、この時点でのわたしはまだ半信半疑だった。  考えてみてほしい、魔王だの人類滅亡だの、誰が本気で信じると思う?  しかし、夢か幻と思って何もせず、もし全てが本当だったら……?  その底知れない恐怖がわたしを動かした。  何度も人類滅亡の悪夢を見て、汗びっしょりで目覚めた。  ばくばくと暴れる胸を手で押さえながら、布団の中で考える。 (わたしのせいで、これが現実になったら?)  他人には相談できない、だってこんな馬鹿みたいな話、誰が信じる?  変な冗談かと笑われるか、大丈夫かと心配されるのがオチだ。  追い詰められたわたしには、とりあえずの準備をしておく道しか残されていなかった。  果たして今夜、『彼』は本当に訪れた。  真意はともかく、わたしの報告に耳を傾けるつもりなのだろう。  ええい、どうとでもなれ!  学生時代の試験当日みたいに、半ばやけくその心境だ。  ノートのページをめくりながら、こっそりと『彼』の反応を探る。  澄ました顔で紅茶をすするその表情は平静を保ち、何の表情も浮かべてはいない。  わたしの話を聞いてはいるものの、真剣さは感じられなかった。  例えれば、つけっぱなしのテレビを眺めている、そんな雰囲気だ。 「構わない。続けよ」  どうでも良さそうに、彼は告げた。 (おいこら、自称魔王っ! 真面目に聞きなさいよっ)  怒る心の声を押し殺して、わたしは気を引き締める。 「……それでは、次の報告に移ります」  幸いにも、『彼』は詳細な内容を求めてくるつもりはまるでなかった。  『彼』が必要としているのは、技術のあれこれや地域の踏み込んだ事情ではない。  こういう事が起こった、こんな流れだった、という、いわば物事の骨組み、要約だ。 「つまり、こういう事だな」  時折投げかけられる質問に『彼』の意図を知って、わたしは少し気が楽になった。  質問の内容は主旨の確認がほとんどで、細かな突っ込みや間違いの指摘ではない。  なんか、思ったよりも話が通じる、かも……なんて。  皿の上のシフォンケーキと同じペースで、わたしの危惧は減少してゆく。 (この魔王様、もしかして、だけど)  『彼』はわたしのプレゼンを通して、人間という存在を理解しようとしてる。  そんな気が、する。  希望的観測だけど――――わたしの思った通りなら、勝機はある。  何の専門知識も持っていないわたし、平々凡々の存在であるわたし。  そんな人間に本気で人類存続のメリットを解説させるなんて、本来ならあり得ない。  だってこの人、魔王でしょ?  知りたい事があれば、それなりの人間の所に直接行けばいい。  そして、わたしにやったように、頭の中を読み取ればいいんだ。  わざわざ、こんな面倒なやり方を選んだのに理由があるとしたら。  わたしのプレゼンは、『彼』の人間観察のうちのひとつの手段、だ。 『どんなに下らないと思える事柄でも、卑小な事柄でも構わない。貴様の判断に任せる』  あの夜に彼が発した言葉は、耳に今も残っていた。  わたしが選び、わたしが示して見せること、それ自体に意味があるのだ。  人類のうちの一人であるわたしが何を選び、どう判断し、いかに必死に訴えるか。  『彼』は、わたしに人間のサンプルとしての興味を持ってる。  そうに違いない、うん、そう決めた!  つまり、わたしが報告を通して、『彼』に人間の好ましい部分を見せることが重要なんだ。 『こ奴ですら挙げられるような美点があるなら、存続させても良かろう』  そんな風に、『彼』が考えてくれれば、わたしのプレゼンは成功だ。  拙くても、馬鹿っぽくてもいい、こっちの真剣さが伝わってほしい。  幾度かの休憩を挟んで、わたしの下手くそなプレゼンテーションは深夜に及んだ。 「……以上、です」  しゃがれた声で、わたしは報告を終えた。  冷え切った紅茶を飲み干すと、『彼』はぱたんと書物を閉じた。 (終わった)  そう悟った瞬間、私はその場にへたり込んだ。  これまでのプレッシャーと疲労に圧し潰されて、ぺしゃんこになった気分だ。  明朝、ちゃんと起きて出勤できるだろうか? 「ひどく疲れたようだな」 「――――はい。まあ」  『彼』は相変わらず冷ややかで、親しみの欠片も見せない。 「夜も更けた。帰るとしよう」 「ええ!? ちょっと待ったあ!」  あっさり立ち上がりかけた『彼』を、わたしは慌てて引き留めた。  ノートを放り出して、必死に彼の足へとしがみつく。 「何だ。すっとんきょうな声を上げるな。近所に迷惑だ」  魔王なのに、おかしな所で常識があるな! 「すみません! でも帰る前に、ちゃんと結果を教えて下さいよ!」  このままどこかに帰って、勝手なタイミングで人類を滅ぼされたらたまらない。 「人間の分際で私を急かすのか。生意気な奴だ」  気に入らない、と言いたげに、『彼』は鼻を鳴らした。  生意気だろうが何だろうが、このまま逃がすわけにはいかない。  なにせ、人類存亡の危機なんだからね! 「そうだな…………」  座り直した『彼』は髪をかき上げ、しばし考え込んだ。 (ええいもう、早く言ってよ!)  落ち着かないわたしをちらりと見ておいて、結論を出す。 「今回は――――保留だ」 「ほりゅう?」  つまりそれは、どういう意味で?  わたしが困惑しているのを見て、『彼』は面倒そうに言葉を継いだ。 「もう少し様子を見ておくことにする、という意味だ」 「様子を……見ておく……」  わたしはぼんやりと、『彼』の言葉を繰り返した。  なんとなくもやっとする感じだけど、とりあえず人類は救われた。 「どうした。納得がいかないのなら、すっきりさっぱり滅ぼしても良いのだぞ」  わたしの態度が気に食わないのか、『彼』は恐ろしい事を言い出した。 「気に入らないけど気に入りました! 滅ぼすのはナシでお願いします!!」  慌てて懇願すると、『彼』は頷いてみせた。 「もう良かろう。私は帰る」  長い足が、すっくと床を蹴った。  玄関へ向かう『彼』を、わたしは慌てて追いかける。 「あの………」  ドアノブに手をかけた『彼』の背中に声をかけてみる。  何か、言うべきだろうか?  おやすみなさい、とか、今晩はありがとうございました、とか……う~む、どれも変だ。  ある意味人類を救ってくれたんだけど、元々滅ぼそうとしてたのはこの人、もとい魔王自身だし。  あれこれと迷っていると、『彼』が振り向いた。  報告の最中よりも柔らかな雰囲気なのは、わたしの気のせいだろうか。 「なんだ?」 「いえ。何でもありません」 「そうか。今回は最初ゆえ甘くしてやった、次回は更に精進せよ」 「――――へ?」  つい、妙な声が出てしまう。 「じ、次回? 次回って何ですか、聞いてませんよそんなん」 「誰が一度で終わると言った?」  貴様は馬鹿か、という顔で『彼』は聞いてきた。 「来月――――いや、もう今月か、日付が変わっているからな。最終日の11時だ」 「お断りします!!」 「断れば人類は滅ぶ。貴様のせいだ」  絶対零度の決めつけが、わたしの抗議をへし折った。 「な……あ……」 「次も夜食は準備しておけ。あの茶は悪くなかった」  意外なところで褒められてしまった。 「あ……ありがとう、ござい、ます……」 「良い夢を」  ドアが開いて閉じ、わたしと『彼』を分断した。 「相変わらず熱心だねえ。いい儲け話でも見つかった?」 「まさか。そんなのがあったら仕事なんてしてませんから、あはは」  からかってくる同僚に、わたしは新聞を畳みながら言葉を返す。  穏やかな日差しが差し込む、会社の休憩室。  わたしは昼食を終えて、いまや日課となった情報収集にいそしんでいる。  テーブルの上には、今月二冊目になったノートが開いたままだ。 『月に一度、人類を生きながらえさせても良いと思える事柄を報告せよ』  継続中の、魔王様向けプレゼンテーション案件。  次回の報告に向けて、努力を怠らない真面目な人類代表である。  窓の外をぼんやりと眺めながら、居場所も知らない『彼』へと思いを馳せる。  また会わなきゃならないのは怖い、それは確か、なんだけど。 『良い夢を』  最後のあいさつの時、淡く浮かべた笑みが、あれ以来頭から離れない。  少しだけ優し気で、どこか甘やかで、繊細で。  あれ、何だろ、この感情?  うわあ、いやいや、深く考えちゃダメでしょ、こういうの。  色々とあり得ないでしょ、わたしっ。 「うわあ……最悪……」  畳んだ新聞に顔を埋めていると、同僚がまた声をかけてくる。 「どうしたの。もしかして株価が落ちた?」 「ちょ、なんで常にお金の話なんですか?」  顔を上げながら、つい笑ってしまう。  今、この瞬間も、『彼』はわたしたちを見つめているに違いない。  『愚かで目障りな人類どもめ、いつ滅ぼしてやろうか』  そんなぶっそうな考えを、頭の中で弄びながら。
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