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それから少し時間が経って、次の日。
その日もいつも通り、高等学校から帰ってきた己の主人を、エデニアは無表情で迎えた。
「おかえりなさいませ」
「……おい」
「はい?」
「朝の見送りの時もそうだったが、なんでまだ無表情なんだ」
「元々こういう顔です」
「嘘をつけ!」
ラルスは眉を顰めて、口をへの字に曲げている。どうやらエデニアの表情がまだ乏しいことに対して拗ねているらしい。そのことが何だかおかしくて、エデニアは目元をゆるめた。
「すみません。本当は昨日の今日で、どういう顔でお迎えしたらいいのか分からなくて」
「……そ、そうか」
「……どうして下を向いているのですか?」
「お、お前が急に笑うからだ。笑うならそう言え! 僕にも心の準備というものがある」
「えぇ……?」
笑うだけでなぜ事前告知しなければならないのかよく分からない。だが、屁理屈をこねる目の前の男の耳が赤くなっているのを見たエデニアは、これ以上言及しないことにした。
代わりにますます嬉しそうに笑みを深めて、いつも通りラルスの鞄を受け取ろうとする。
「ラルス様、荷物をお預かりします」
「……いや、いい。自分で持つ」
「…………」
「何だよ、その白々しい目は」
「いえ」
「……言わなくても分かるぞ。今まで散々持たせておいて、何を今更格好つけているんだとでも思っているのだろう」
「格好つけていらしたのですか?」
「違う! ……チッ、鞄を頼む」
「かしこまりました」
何だか悔しそうなラルスから荷物を受け取って、そのまま一緒に部屋へと向かう。鞄を持つ持たないは置いておいて、純粋にラルスが気遣ってくれたのは嬉しかった。
道中でそのことを伝えるとまた彼は下を向いてしまったが。前はちゃんと見て歩いてほしい。
転びやしないかと内心ハラハラしながらラルスの後ろについて歩いていると、いつの間にか部屋に到着していた。
エデニアはいつもの場所に鞄を置いて、ラルスの方に向き直る。彼もこちらをじっと見つめていた。
「エデニア、話がある。僕たちのこれからのことだ」
「……はい」
「昨日あの後、父さんと話をした。左手のことや、お前と一緒になることについて」
「…………」
無意識に、エデニアの身体が強張る。ラルスは名のある資産家の息子で、自分はただの使用人だ。
昨日、四年越しにやっと想いが通じ合ったからといって、一筋縄ではいかないことは理解している。それでも、不思議ともう不安は無かった。どんなことも乗り越えてみせる。
エデニアは黙って、勇ましい軍人のように覚悟を決めた顔をした。そんな彼女に対して、ラルスは非常に言いにくそうに声を掛ける。
「……その、何やら腹を決めているところ悪いが、僕とお前の結婚自体は認めてもらった」
「えっ⁉︎」
「……ただし、条件がある」
「…………」
「……おい、その戦士みたいな顔をやめろ。言いにくいだろう」
別にしたくてしているわけではないのだが、エデニアは相当厳しい顔つきをしているようだ。それだけ真剣に考えている証なのに。
若干不服に思いながらも、エデニアは自分の顔を軽く揉み解した。
「それで、その条件とは何ですか?」
「結婚は僕が大学を卒業してから、だそうだ」
「…………」
「そのことについては僕も考えていた。学生のうちにするより、お前をきちんと養えるようになってから結婚するのがやはり望ましいのではないかと。だがその場合、お前に四年も待たせることに…………エデニア?」
「……それだけですか? 他に条件は?」
「他? 父さんに言われたのはそれだけだが……そうだな、後はお前の実家のこともあるな。お前の両親にも取り返しのつかないことをしてしまったから、まずは謝罪をん…」
「そ、それもありますけど、旦那様が出した条件は本当にそれだけなのですか?」
エデニアの顔に困惑の色が浮かぶ。正直、もっと無理難題を出されて、諦めるように言われるかと思ったのだ。
目の前の彼女の戸惑いの訳をラルスも察したのか、またもや非常に言いにくそうに口を開いた。
「……なるほど。お前は、もっと大々的に反対されると思ったんだな?」
「当たり前です! だって、私を専属使用人にする時も旦那様は反対されていたではないですか。なのに結婚はそんな簡単に認めるなんて……どう考えてもおかしいです」
「…………」
「ラルス様? どうしました? やはり何かあるのですか?」
「別に、どうということでは無いが……まあ、今回のことはお前を専属使用人にするための交渉の件も関わっている」
エデニアがラルスの専属使用人になる際には相当揉めたらしいが、結局彼が父親と何か交渉をして全て片付けしまった。
今までのエデニアは、自分には知る機会も必要もないことだと思っていたが、一体彼らはどんな交渉をしたのだろう。
「四年前、旦那様と何をお話しになったのですか?」
「…………」
「ラルス様」
「……お前を専属使用人にしなければ、その……死んでやると言った」
「……え?」
「……お前を僕から引き離すなら、自分の命を絶ってやると、父さんを、……脅した」
ラルスの語尾がだんだん小さくなっていく。それから、呆気に取られて固まるエデニアを、彼は非常に気まずそうに見つめていた。一応過去の自分のしたことに対して後ろめたさはあるらしい。
「な、何てことを……! 貴方は馬鹿なんですか⁉︎」
「ば、馬鹿とは何だ! あの頃は本気だったんだ!」
「なお悪いです!」
確かに四年前のラルスは今より危うさが際立っていたが、まさか自分の命を盾にしていたとは。
当時の彼はただでさえ大怪我をしたばかりで精神が不安定だったのだ。本当に自殺しかねないと、彼の父親も了承せざるを得なかったのだろう。
「……昨日お前の話をした時も、もう四年も僕がお前に執着してしているのを見せられて、今更どうこうするつもりはないと言われた。ただし大学にはちゃんと進学して卒業しろと」
「…………」
それはもう認められたというより、呆れられたに近いのではないだろうか。今度からどんな顔をして旦那様に給仕をすればいいのだろうと、エデニアは内心ひそかに悩んだ。
若干白けてしまった場を仕切り直すかのように、ラルスがわざとらしい咳払いをした。
「……とにかく、晴れて僕とお前は将来を誓った仲になったわけだ」
「はい。そういうことになりますね」
「…………」
「ラルス様?」
「手を出せ」
「はい」
ラルスが制服のポケットから小さな箱を出した。その箱から指輪を取り出すと、エデニアの指にそれをはめる。
まだラルスの左手はゆっくりとした動作しかできないが、それでも彼が両手を使っていることがエデニアには嬉しくてたまらなかった。
「これは、婚約ゆび……おい、何故泣いている?」
「だって、貴方の左手が動いているから……」
「…………」
指輪をはめたエデニアの手を、ラルスがゆるく引っ張る。彼の腕の中にすっぽりと、エデニアの身体が収まった。
「……本当は、泣くのではなく笑うところなんだが」
「すみません……でも、これは嬉し泣きです」
「フン。なら、いい」
「……この指輪は、いつ買ったんですか?」
「今日だ」
「…………」
「何だよ。……おい、ニヤニヤするな」
「元々こういう顔です」
「嘘をつけ!」
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