白い光を放って、映し出されたものは。

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白い光を放って、映し出されたものは。

「結城くん、なんか私に隠し事してない?」  怒ったように葉瑠が言ったのは、菱川と葉瑠が付き合っている、というあの噂から、すこし経ってのことだ。だから僕たちは五年生になっていた。僕の低かった背が一気に伸びて、菱川を抜いた年でもある。そこまで自分の身長にコンプレックスがあったわけじゃないけれど、背、大きくなったね、とほほ笑んだ葉瑠の表情を見ながら、嬉しくなったのを覚えている。  もうその頃には、葉瑠の僕への話し方に他人行儀なものはなくなり、気軽な口調で接してくれるようになっていた。 「気のせいじゃないか?」  と僕が首を傾げると、葉瑠は不満そうな表情を浮かべていた。 「嘘だぁ」 「いや、結構本気で言ってるんだけど……」  彼女が何に対して怒っているのか分からず、僕は困惑していた。特に理由もなく、理不尽に、周囲に怒りをぶつけるようなクラスメートは確かにいたが、葉瑠はそういう子どもではなかった。 「結城くんと菱川くん、最近、怪しい。すごく怪しい」 「その、怪しい、って、変な意味?」 「茶化さないで」 「いや、茶化しているわけじゃなくて、最近よくそういうからかい多いだろ。あんまりそれ、好きじゃないんだ。だから」 「あぁ、それ、私も嫌い。でもそういう話じゃないよ。ふたりだけの秘密があるでしょ」 「ないよ」と言いながら、ふたりだけの、と聞いて、秘密基地のことだ、と気付いた。「そんなの、ひとつもない」 「結城くん、嘘つくの、下手だよね。いつも放課後、ふたりでどこ行ってるの?」 「どこ、って、菱川の家とか、だよ」 「また、嘘。前にすこし追いかけたことがあるから、違う、って知ってるよ」 「ストーカーだ……」  僕の冗談に、葉瑠が笑う。 「変なこと言わないで。ほら、隠したいのは分かるけど、もうそろそろ諦めてよ」  あの場所は、僕たちだけの秘密だった。  だから言うわけにはいかない。そう思いつつ、葉瑠になら大丈夫かな、という思いもあった。他のひとなら、きっと菱川は怒るだろうけれど、それが彼女なら、まぁいいや、で終わらせてくれる気がしたのだ。  言う、言わない、のやり取りをそのあとも何度か繰り返したあと、結局、僕が根負けした。さすがに、ふたりが悪いことしてる、って先生に言うから、なんて言われてしまっては、折れるしかない。葉瑠の性格を考えれば、告げ口みたいな真似はしないだろう。本気ではない。そう思ってはいても、もしかしたら、という不安もあった。ちょっと勝ち誇ったような彼女の表情に、どきり、としてしまった記憶はいまもしっかりと残っている。  秘密基地のことを教えると、彼女が、行きたい、と言った。  菱川に告げるかは、迷った。だって僕としては、秘密の約束を破っているわけだから。後ろめたい気持ちがあったのは間違いない。  葉瑠とふたりで鰐川家の幽霊屋敷を訪れたのは、夜だった。不安を与えるような黒ずんだ空に、僕は嫌な予感を覚えていた。 「やっぱりやめない?」 「なんで? ここまできて、そんなの駄目だよ」 「時間も遅いし」 「遅くしよう、って言ったの、結城くんだよね」 「まぁ、そうだけど……」  僕と菱川は、いつも夕方頃に秘密屋敷を訪れ、真っ暗な時間になる前には、家に帰るようにしていた。僕も菱川も決して門限の厳しい家ではなかったし、すこしぐらい遅い時間に帰ってきても、あれやこれや、と注意されることもなかった。それでもやっぱり多少の罪悪感があり、遅くなりすぎないようには気を付けていたのだ。  だから本来なら、彼女と向かうべき時間も、同じくらいのほうがいいのかもしれないが、そうしてしまうと、ばったり菱川と鉢合わせする可能性があった。僕の知る限り、僕と菱川のどちらかが単独で、あの秘密基地に行くことはなかったけれど、もしかしたら、ということがある。そんなわけで、葉瑠とは夜に行くことになった。 「楽しみだね」  彼女は僕の不安な気持ちも知らず、楽しげな表情を浮かべていた。  もちろん幽霊に不安を覚えていたわけではない。当時もいまも、僕は、幽霊なんかよりも、人間のほうが怖い。つまり何に不安を覚えていたか、というと、まずは葉瑠の両親にばれることだ。彼女の両親を見たことは数回あるけれど、厳格な雰囲気で、ちょっと怖かった。 「ねぇ。葉瑠。お母さんには、なんて言ったの?」 「えっ。友達の家、って言ったよ」  あっけらかんと彼女は言っていたが、つまりまぁ嘘をついたわけだ。僕の両親なんかとは違って、本当のことなんて伝えたら、猛烈に反対されることだろう。別に葉瑠の嘘を責める気はなかったけれど、とはいえ、もし真実を知ったら、彼女の両親からどんなふうに怒られてしまうのか、と想像し、それはちょっとした恐怖だった。  菱川にばれることや他のクラスメートにふたりでいるところを見つかって、冷やかされるのも嫌だった。  そんなふうに思い悩んでいるうちに、僕と葉瑠は、目的地に着いてしまった。乗っていた自転車からおりる。いつもは菱川と訪れる見慣れた場所が、普段隣にいる相手が変わるだけで、まるで雰囲気の違うところに見えた。夜の景色のせいもあったかもしれないが……。  僕たちは手にハンドライトを持ち、ちょっとした肝試し気分だ。これはまだ明るい時刻に、菱川といた時にはなかった感覚だ。 「どきどきするね」  怖がっている様子もなく、彼女が言った。その表情を見ていると、彼女に比べれば、僕なんて全然怖がりなのかもしれない。辺りを包む夜闇が、普段よりも僕に恐怖を感じさせた。色褪せた建造物を前にして、足取りが重くなる僕の先を行く葉瑠が、玄関の戸を開ける。  やっぱりやめようよ、と言うタイミングは完全に失われてしまった。  彼女を追って、僕も中に入る。 「へぇ、雰囲気あるね」と、葉瑠がハンドライトをぐるぐる回しながら、そんなことを言う。「で、これから、どうしようか?」 「えっ、何も考えてなかったの?」 「まぁね。だって目的は、怪しいふたりの秘密を暴くことだったから」 「じゃあ帰る」 「えぇ、嫌。せっかくここまで来たんだから、ちょっと、いようよ。ちょっとした冒険みたいで楽しいし」 「こんな場所にずっといるの、嫌じゃない?」 「それ、結城くんが言うの、おかしいよ。だって結城くんと菱川くんは、ここをずっと秘密基地にしてたんでしょ。私に内緒で」  最後の言葉を、彼女は強調した。 「ここ、見つけたの、永瀬と仲良くなる前だよ」 「でも仲良くなってからも、ここ使ってたんでしょ。ふたりで。なんか、ずるいなぁ」 「ごめん、って……」  彼女のむくれた表情に、僕は慌てた。女の子の、泣いている姿や怒っている姿に、どうしていいか分からなくなってしまったのだ。僕に限らず、このくらいの年齢の男子なら、誰でもこんな気持ちになるのではないだろうか。  ハンドライトの光だけが頼りの暗い部屋の中、仕方なく僕は、彼女と一緒にいることにした。 「ここ、って、どんなひとが住んでたのかな?」  ぽつり、と葉瑠がつぶやく。そうだった。彼女は知らないのだ。僕は、日記のことを語り聞かせた。日記の実物を見せてあげたい、とも思ったが、部屋の暗さのせいもあって、うまく見つけ出すことができなかった。記憶頼りの話になってしまったが、彼女は興味を惹かれたような相槌を打ってくれて、僕はほっとした。  その時、だった。  いまでも、はっきりと覚えている。  僕が話を終えた時、室内に突然、白い光が放たれたのだ。ハンドライトの光は、まったく関係ない。  声が、聞こえた。何を言っているのか分からない。ただ光の向こうに、ひとのような、何かがある。目を凝らすと、その姿は、女性に見える。 「ねぇ、あれ、って……」  困惑したような葉瑠の声が聞こえて、安心した記憶がある。僕だけにしか見えないものではない、と。  僕たちはあの日、見慣れた日常にはない、何かを見た。その正体について、すくなくともあの時点では、はっきりと言葉にすることができなかった。あれが幽霊だったのどうか、いまも自信はない。でも……、最初に幽霊を信じるきっかけがあるとしたら、たぶんそれは、あの瞬間だ。  僕たちよりも、ずっと背丈の高い、人間の姿だ。白い光の先で、靄にかかったように、明確ではない。だけどおそらく女性だ。年齢はすこし若い感じがする。そう思ったのは僕だけではなく、葉瑠も同じだったようだ。  葉瑠が、僕の肩を叩く。 「永瀬?」 「たぶんそうだよね。さっき話してた。数子さん」  日記の主である数子さんについて、僕が知っているのは、あの日記に書いてあることだけだ。顔も、背丈も、外見に関しては、何ひとつ分からない。だけど他に考えられなかった。日記の登場人物の中で、若い女性に該当するひとは他にいない。  僕は、おそらく葉瑠も、怯えるより、困惑していた。  白い光が広がっていき、こちらに向かってきた。僕たちを呑み込んでいくように。  実は、そこからの記憶はすっぽりと抜けている。  いやたぶん葉瑠と一緒に逃げて、別れて、家に帰ったのだ、と思うが、その時のインパクトが強すぎたのだ。まったく思い出せない。  翌日、僕は、きのうの出来事について話したかった。おそらく葉瑠も同じ気持ちだったはずだ。  でも結局、話すことができなかった。相手の反応が怖くて。さらにそれとは別に、ちょっとした現実的な問題もあった。菱川と会話の途中、つい口を滑らせてしまって、葉瑠と秘密基地に行ったことがばれてしまったのだ。菱川と喧嘩になった。もうすこし大人になったあとなら、口喧嘩程度で済んでいたかもしれないが、残念ながらこの時の喧嘩は手も足も出るようなものだ。たぶん事前に伝えていたなら、菱川もこんなには怒らなかっただろう。内緒にされたのが、のけ者にされたみたいで、嫌だったのだ、きっと。  お互いが謝って、仲直りをする。そんなやり取りはなく、数日後、自然にいつも通り、話すようになっていた。葉瑠には言わなかった。伝えてしまえば、彼女は罪悪感を抱いてしまうだろう。たぶん菱川も、彼女には何も言わなかったはずだ。  でも……ちゃんと謝っておけば良かったかなぁ、という気持ちもある。はっきりと想いを言葉にしておかなかったことで、ちいさなわだかまりができて、それはゆるやかに広がっていく。それ以降も、菱川は、僕と仲良くしてくれたけれど、間違いなくいままでにはなかった距離ができた。ふたりで秘密基地に行くこともなくなり、ふたたび誰かと、あの場所に足を踏み入れることは一度もなかった。  ひとりだけでなら過去に、一度だけ、あった。  小学六年生の時だ。僕は久し振りに、あの場所へ、と向かったことがある。特別な理由はない。そう言えば、あそこはどうなったかな、とそんな気持ちで。近付くと、騒がしい声が聞こえてきて、あの頃の僕よりも、すこし年下の少年たちの遊び場になっている、と気付いた。遠くからそれを見て、僕はそこから離れた。僕たちの秘密基地はもうどこにも存在しない、と分かって、萌した寂寥感に、ふ、っと息を吐いたのを覚えている。  あれは本当に、なんだったのだろうか。  あの白い光と、その先にいた女性は。  僕は、そして葉瑠も、数子さんの幽霊だ、と思っていた。でも本当にそうだろうか。僕が考えているのは、もっと突拍子もないものだ。  僕たちは、未来、と対峙していたのではないだろうか。 『久し振り。そっか、もうそんなにおとなになっちゃったんだ……』  背後から声が聞こえる。そこには白い光があり、その先に女性の姿が見えた。つまり十年近く前の、あの時と同じ状況だ。  幽霊は幽霊でも、数子さん、ではない。  葉瑠だ。  おさない小学生の葉瑠ではなく、高校生の。 「久し振り……。いたんだ」 『嘘つき。ずっと前から、気付いてたくせに』 「ごめん」 『ようやく見つけてくれた。遅いよ』 「かくれ鬼をした時も、そんなこと言ってたね」 『あぁ、懐かしいね。本当、見つけるのが、遅いんだから』  僕はまたすこし、過去に想いを馳せる。
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