雨と、僕たちの物語。

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雨と、僕たちの物語。

 私は好きな人の手を強く握りすぎる。相手が痛がっていることにすら気がつかない。だからもう二度と誰の手も握らないように。――――山本文緒『恋愛中毒』  彼女が死んだ日も、雨が降っていた。  ひとりの少女の死を報じた新聞の記事を、いまもはっきりと覚えている。  少女と呼んではみたものの、十八歳の女性をその言葉で当てはめることが、適切かどうかは分からない。大人と呼ぶにはすこしおさなく、子どもと呼ぶには大人になりすぎている。 『高3女子、飛び降り自殺か』  地元の新聞記事の見出しには、そんな言葉が書かれていた。  読みたくない、と思いながらも、記事の内容に最後まで目を通した。本文を確認すると、まだ自殺と断定されたわけではなく、事故の可能性もあると書かれているが、この記事を書いた人物の心は、明らかに自殺と決め付けているように読み取れる。  彼女は、僕の人生の中でもっとも、特別なひとだった。  だけど新聞記事は、僕の人生のために存在するわけではなく、僕がどれだけ彼女を大切に想おうとも、世間一般の彼女は、〈高3女子〉でしかない。 「言葉を読む時、ね。言葉をそのまま読むんじゃなくて、言葉の先にいるひと、その心を想像してみるといいんじゃないかな。そうしたら、同じ言葉でも、まったく違う何かが浮かび上がってくるかもしれないよ」  小説が好きだった彼女は、かつて僕にそう言った。  ふいに彼女の言葉を思い出してからだ。僕がふたたび、生まれ故郷に足を踏み入れてみよう、と思ったのは。  絶望、という言葉を使ってしまうのは、安易なのかもしれない。それでも絶望としか言えないような経験とともに、僕はあの場所から逃げ出した。僕がもっと強い人間だったならば、と後悔しなかった日はない。  いま、こうやって彼女との過去と対峙したとしても、前と同じような結果になるだけかもしれない。あるいは、いまさら遅すぎる、と彼女と、彼女を取り巻くすべてが、僕を拒む可能性だってある。  それでも……。  僕は、もう一度、彼女に会いに行くことにした。  すこし時間を隔てたいま、いままで聞いてきた言葉が、見てきた世界が、姿を変えるかもしれない。そんなふうに、祈りながら。  僕の物語で、  彼女の物語で、  彼の物語でもある。  これは僕たちについての物語だ。  そして、雨の物語でもあるのかもしれない。  僕たちについて語る時、そこにはよく、雨が降っていたから。
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