prelude 美咲 1

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カサイ? 何の言葉か 直ぐにはわからなかった。 一拍置くと、文脈的に、家宰か、となる。 『美咲ちゃんにお願いするしかないかと  ずっと、考えていたことがあるんだ』 デミタスカップを手にしながら 飲む素振りなど、微塵も見せずに 伯父はしっかりと目線を合わせてくる。 先ほどは、あえて視界から外して、 こちらの出方を探るようだったが 勝敗を喫するようなタイミングでは 眼力で相手を捉えるのが 心理的に有利なのだろう。 幣原グループの三代目として、 経営者としての、伯父の百戦錬磨の 数十年の時間。その時間が、今、 自分に、集中して対峙している。 『手短に言う。見合いをしてほしい。  できれば、そのまま結婚も。  奏佑には、音楽に専念させてやりたい』 『……… 』 『自分の子供には夢を叶えろ、と  言いながら、美咲ちゃんからは  人生を奪うような話だ。酷いのは  わかってる。時代錯誤だとも思う』 こちらが考えていたことを (あらかじ)め挙げていって、 こちらの逃げ道を塞いでくる。 『お母さんは、お母さんはどう思うの?  自分の娘に、好きな人と結婚して  ほしいとは……思わない?』 マレーラの桔梗色の ワンピースを着た母は、 いつまでも変わらず、美しい。 ラファエロの 《小椅子の聖母》のように、 小さな頭を(かし)げて、言う。 『美咲にはいつも幸せでいてほしい』 それから刹那、伯父の顔に 視線を走らせ、母は言葉を重ねる。 『私は、貴女のお父さんのことを  すぐに、好きになったから  ……幸せな結婚生活だったわ』 クリストフルのシルバートレイは、 理恵さんが、こまめに 手入れしている筈なのに、 何故だか少しずつ 黒ずんできているような気がした。
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