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彗星が落ちるまであと数日。
村の外れに祭壇が作られた。
もっとも村に彗星が近づく夜、娘はその祭壇の上で殺される。
村の皆が家に戻ったあとも、娘はぽつんと、祭壇の端に座っていた。
殺されるのは、正直言えば少し怖い。だが、村人たちに生き神として崇められ死んでいくのは、そんなに悪くない死に様だと思えた。
そのとき。
闇の中からぬっと、見知らぬ男が現れた。
背に大きな袋を背負い、奇妙な服を着た、中年の男だ。
男は娘のすがたを目にし、ぽかんと口を大きく開けた。
「君は、まさか彗星さまかい?」
そう尋ねられ、娘は誇らしげに頷いた。
「この村に彗星が近づく夜、この祭壇で生贄にされるのだろう?」
「そうじゃが、あんたは誰じゃね」
だが男は娘の問いには答えない。ただ不快げに眉根を寄せた。
「いまだにそんなインシュウが続いていたとは」
それが、因習、だとわかるまで数秒かかった。
――彗星さまが悪いしきたりじゃと?
さっきから男の態度が気に入らない。娘は苛立ち、男に歩み寄った。
「彗星さまは、この村を救う生き神じゃ」
そんな娘を、男は気の毒そうに見下ろした。
「彗星は落ちない」
きっぱりと、男は言った。まるで、朝に太陽は昇る、と言うような、当然の口ぶりで。
「だからそれは、彗星さまのおかげじゃろ」
「違う。君が死のうが生きようが、どちらにしろ彗星は落ちない」
娘はぽかんと男を見上げた。――彗星が、落ちないじゃと?
「この山奥には、まともな知識がちっとも入らないらしい。彗星は十三年にいちどこの星に急接近するが、何の被害も出さずまた遠ざかっていく。彗星はこの星のまわりを周期的に回っているだけだ。そんなことは幼い子どもだって知っている」
呆然とする娘の前で、男はおおげさなため息を吐いた。
「まさかいまの時代に、こんな野蛮な風習が残っているとは……恐ろしいことだよ。よし、私が村の代表者に話をしてきてあげよう。君が殺される前に、この村にたどり着けて本当によかった。私に感謝することだね」
男は娘から目を逸らし、村の中心の方へ歩いていく。それを見た娘の心に、焦りと狂気が入り乱れた。
――だめじゃ。そんなことみんなが知れば、あたしは彗星さまじゃなくなっちまうじゃろが。
娘は、祭壇の周りに積まれた赤子ほどの大きさの石を抱え、男の後を追いかけた。
止めねば。止めねば。いますぐそのおしゃべりな口を塞いでしまわねば。
そして勢いよく、男の背中に投げ下ろす。
突然背後から襲われ、男はうつ伏せに地面に倒れた。
ふたたび石を両手に抱え、その後頭部に打ち下ろす。いちど、にど、さんど――そのたびに、骨が潰れるような嫌な音。
頭蓋骨をこなごなに砕かれた男は、もうぴくりともしなかった。
ああ、人を殺しちまった。構うもんか。この村の誰も知らねえ、頭のおかしな男だ。
娘は男の両脚を脇に抱え、無我夢中で死体を引きずっていく。
こいつの言うことなんか、嘘じゃ。大嘘じゃ。
彗星が落ちねとしたって、あたしは落ちねばなんね。
村の外まで行くと、崖からそれを転げ落とした。
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