少年が青年と二人暮らしを始めるお話

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「聞いたよ、シリィ君。仕事の覚えがとても良いんだってね」 「あ、所長さん。ありがとうございます」 日が暮れる頃、二日目のお仕事が終わって帰る準備をしていると、所長さんがやってきた。 僕を心配して、わざわざ様子を見にきてくれたのかな。 お仕事の感想をいくつか聞かれたので、精一杯答える。 所長さんが満足そうに頷いてくれたのを見て、ホッとする。 僕はちゃんと、誰にも迷惑をかけずにお仕事が出来てるのかな……。 今は無理だとしても、早く一人前にお仕事をして、自分と妹を養っていけるようになりたい。 ううん、ならなきゃいけない……。 「ガド君とはどうだい? あんな見た目だが、面倒見のいい奴だろう」 所長さんの言葉に、いつの間にか俯いていた顔を慌てて上げる。 「ええと、とっても優しいですっ」 「ははは、そうだろうな。あいつはそういう奴だ」 僕の答えに、所長さんが嬉しそうに笑う。 「ご飯はちゃんと食べたかい?」 聞かれて、答えようと口を開いたら「ガド君と」と、所長さんから言葉が足される。 どういう意味だかよくわからないままに「はい」と返事を返したけれど、少なくとも、答えが間違っている事はないはずだ。 「そうかそうか、その調子で毎日一緒にいてやってくれるかい?」 所長さんが、少し悲しそうに微笑んで僕を見る。 「……僕が一緒にいると、ガドおじさんに何か良い事があるんですか?」 聞かない方が良い事のようにも思えたけれど、僕はどうしても、その質問をせずにはいられなかった。 「ああ、少なくとも、人間らしい生活が送れるだろうからね」 「?」 じゃあ、人間らしくない生活ってどんな生活なんだろう。 聞いてみようか迷った時「まだここにいたのか」とガドおじさんの声がした。 「玄関で待ち合わせだって言っただろ」 言いながら部屋に入ってきたおじさんが、所長さんに気付いて頭を下げる。 「ああ、ガド君、君はまだシリィ君におじさん呼びされたままなのかい?」 「え、ええまあ……そう見えるなら、それでいいかと……」 ごにょごにょと、なんだか言いづらそうに語尾が小さくなるおじさんの声。 「シリィ君、ガド君はね、君から見ればおじさんかも知れないが、実はまだまだ若いんだよ。お兄さんとでも呼んでやってくれないかな」 「は、はいっっ」 慌てて返事をする僕に、おじ……お兄さんが困った顔をする。 「……別に無理に変えなくてもいいぞ」 所長さんに別れの挨拶をして、迎えに来てくれたおじ……お兄さんと一緒に、夕ご飯の買い物をしながら帰る。 結局、お兄さんがそれまでどんな生活をしていたのかは聞けなかったけど、僕が一緒にいるとお兄さんに良いことがあるなら、それは本当に……凄く凄く、嬉しい事だった。 お兄さんは、料理はあまりできないんだと言って、安くて美味しいお店でおかずを買って帰って二人で食べた。 食器を洗うお手伝いをしていると 「家でこんな風に、誰かと夕飯を食べる日が、また来るなんてな……」 と、小さな呟きが水音にまぎれて聞こえてきた。 すごく小さな声だったし、僕に言った言葉じゃないみたいだから、きっと、聞こえなかったフリをするのが良いんだろう。 僕は、黙ったまま、お兄さんが洗った食器を拭きながら考える。 また……ってことは、僕が来る前にもあったってことだよね。 お兄さんはこの家で、今まで誰と暮らしてたんだろう。 どうして今は、一人だけで暮らしてるのかな……。 そうっとお兄さんの横顔を盗み見る。 その目が、食器のその向こうを見つめているのを見て、僕はなんだか息が苦しくなった。 「あ、そうだ、お前」 「な、なんですか?」 不意に声をかけられて、一瞬食器を取り落としそうになる。 「俺の事はさ、名前で呼んでくれたらいいよ」 ……名前? 何とか握りなおした食器を机の上に置いて、割って迷惑をかけずに済んだと胸をなでおろしつつ、答える。 「ええと、ガド……さん?」 「ああ、それでいい」 僕の言葉に、僕を見ていた黒い瞳が細められる。 そうか、笑っても目尻があまり下がらないから、この人が笑うと、なんだかいたずらっぽい顔になるんだなぁ……。 ぼんやり、そんな事を思いながらその笑顔を見上げていると、不意にその顔が困ったように首をかしげた。 「大丈夫か? ぼーっとしてるぞ」 ガドさんが食器から手を離して、その手を僕の前で振る。 手からガドさんの体温が移ったのか、人肌ほどの水滴が僕の頬に落ちると、なぜか僕の体が一瞬大きく揺れた。 その衝撃で僕はようやく我に返る。 「だ、大丈夫ですっ!」 「……そうか。……あんまり無理するなよ」 どこか言い辛そうに、目の前に立つ僕の倍以上も大きな男が目を伏せた。 僕……心配かけちゃったのかな。 気をつけないと……。 「まあ、明日は休みだから、お前はゆっくり休めよ」 「……ガドさんは……?」 思わず聞き返してしまった自分の口を慌てて押さえるものの、言葉は既に出てしまった後で、ガドさんはそんな僕の仕草には気付かないまま食器を棚に仕舞いつつ答えた。 「俺は……ちょっとこれから出てくるから、さ」 昨日と同じだ……。 また昨日みたいに出かけて行って、また昨日みたいに……怪我を……して帰ってくるんだろうか。 脳裏に、昨日見たばかりの赤が過ぎる。 「お前は先に寝とい――」 そう言いながら振り返ったガドさんが、僕の顔を見て固まった。 マズイ。僕またぼんやりしてたみたいだ。 「あ、はいっ。先に寝てますねっ!」 慌てて誤魔化し笑いをする僕の頭を、ガドさんがその大きな手の平で、まるで壊れ物に触るみたいに、そうっとそうっと何度も撫でる。 大人の人に頭を撫でられる事は良くある事だったけど、ガドさんのそれは、なぜかとっても気持ちが良くて、僕は力が抜けそうになるのを堪えるのに必死だった。 その晩、ガドさんはどこにも行かずに、僕と一緒にベッドに入ってくれた。
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