六週目 マングースと一万円札

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5 「真中先輩が、私と正木くんのことをタカヒロに密告していたってことですか?」  二〇五の部屋に入り、大きなソファに私と向かい合って座っている真中先輩に訊いた。隣には、お互い一緒にこのホテルに入った相棒がいる。ソファの大きさ的に、タカヒロと近づきすぎなくていいのが、せめてもの救いだった。佐川さんは身も心も窮屈そうだった。 「そうよ」  真中先輩は、あっさりと罪を認めた。言い訳も弁解もしないのは、タカヒロがいるからだろうか。二人は、どういう関係なのだろうか?   そして、それ以上に気になるのは一緒にいた佐川さんとの関係。二人は結局、付き合っていたのだろうか。ということは、騙されていたのは私だった? 私はまだ、起きていることと真実を結び付けれずにいた。 「洗いざらい言えよ、全部わかってるんだから、ナツキ」  ナツキと聞いて、私は真中先輩の名前が菜月だったことを思い出した。 「全部?」  真中先輩は今まで見たことのない表情で首を傾げている。それが、とぼけているだけだということは私にもわかった。 「お前、俺がこの部屋にたどり着いた時点で気付いてるんだろ? 全部わかってるんだよ。俺の調査能力を見くびらないほうがいいぜ」  調査能力? ストーカー能力の間違いではないのか? 「言わないんだったら、俺から言ってやる。こいつは、菜月は、俺と付き合っていたんだ」  そう言ってタカヒロは私を見た。この男は何を言っているんだろう、私と別れないと頑なに言っていたのはお前ではなかったのか? 「安心しろ、ミカと付き合っていたのも本当だ。それを菜月は了承して、付き合っていたんだ」  安心しろ? この男は何を勘違いしているんだ。私はさっさとお前と縁を切りたかったのに。  だが、今は真実を聞くことを優先だ。私は不快な彼の言い草にも口を挟まなかった。 「だが、次第に俺に黙って菜月は男と会っているようだった。そういう嗅覚ってのは女の専売特許だと思われがちだが、俺のような鼻が利く男もいる。そして、三週間前の土曜日、仕事終わりの菜月を待ち伏せして後をつけたら、そこの男と会っていることがわかった」  話題に出された佐川さんは姿勢を正した。彼は、自分が二股されていたことも知らない様子だった。だが何も言葉を発さない。気圧されている様子だ。  そして、三週間前の土曜といえば、たしかタカヒロが家に来るのが遅かった日だ。  そうか。あのときに、二人の仲を突き止めたのか。 「そして、夜になるとこのホテルに二人で入ったのさ。俺もこっそり続いて入り、二人が入った部屋だけは確認した。それがこの二〇五号室だったんだ。愛人カップルは会う日時やホテルの部屋も、固定されることが多いと思ってな。特にナツキはその傾向がある女だったから、案の定来てみたらその通りだった」  確証もないのに、今夜この部屋に突撃したタカヒロの執念にも恐れ入るが、つまり、真中先輩は佐川さんとタカヒロに二股をかけていたということか。私にはその両方を隠して。  許せない。きっと私のこと、バカにしてたに違いない。私がバカにしてたはずなのに。 「そして、俺はその翌日の日曜日もナツキをつけた。家はわかっていたから簡単だった」  タカヒロは先輩の反応を待たずして話し続けている。 「そして日曜日に後をつけた結果だが、俺は驚いたよ、ナツキ」  真中先輩は明らかに動揺している。もう、それ以上は言わないで、という表情だ。 「お前が、その日曜日にまた別の男と会ってたことがわかったときはな」 「え?」  すかさず、佐川さんが反応した。ということは、真中先輩はこの二人の他にまだ別の男がいたということか。三股をしてたということ? 真中先輩が? 二股でも信じられなかったのに、三股なんてとてもじゃないが信じられなかった。あのモテない女子代表だと思っていた真中先輩が。 「細身で中々イケメンな男だったなぁ、その男は。加えて俺のような豪傑なタイプに、そちらの男のような童顔の男。えらく、色々なタイプが好きなんだなぁ、ナツキ。その見た目でヌケヌケと三股するとはやってくれるじゃねえか」 「見た目は関係ないでしょ。あなただって、結局は私を好きだったくせに」 「浮気するんだったら、好きになんかならねぇよ。それにいいのか? もう本人も気付いているのかもしれないが、その三人目の男を俺は知っているんだぜ」 「う……」  真中先輩はまた動揺を深めた。ということは事実ということだ。そして、考えたくないことだが、今、私にも嫌な考えが浮かんだ。  真中先輩が三股してたという、三人目の細身のイケメンはまさか…… 「ほら、ミカも気付いたようだ」  私はタカヒロの目を見て言った。 「まさか、その男って正木くん?」  その瞬間、真中先輩は下を見た。正解のようだ。タカヒロも否定しない。  そんな……まさか、曲がりなりにも一応彼氏だったタカヒロと、私が今好きな正木くんが、それぞれ真中先輩と二股してたなんて。まぁ、正木くんとは付き合っていないから二股とは言えないのかもしれないけど。でも、それにしても。 「その通り。お前が今お熱をあげているという正木とこの女は密会していた。お前がその男を狙っているということはナツキから聞いていたが、まさかそいつとナツキが一緒にホテルに入っていくとはな。一応、俺やそこの男と来るこことは別のホテルを利用してるみたいだったぜ、何の気遣いかはわからんけどな」  信じられなかった。三週間前の日曜日といえば、私が正木くんと今藤くんと、サチと四人で飲み会をする前の週、つまり私が正木くんを意を決して飲み会に誘った週だ。まさか、あのとき既に真中先輩と関係を持っていたなんて。 「本当に真中先輩は三股をかけていたの?」  私はまだ否定してほしくて訊いた。 「あぁ本当さ。しかも律儀に毎週全員と会ってな。最初は俺が金曜、そこの男が土曜、正木が日曜だったはずだ」  なるほど、だからタカヒロは金曜には家に来ずに空いている土曜ばかり来ていたのか。いや、納得している場合でない。こんなカタルシスの落ち方は嫌だ。 「それが、正木がミカたちと日曜に合コンをするっていうのでその振分けが狂った。それからは、正木が金曜、俺が土曜、そこの男が日曜になったんだ。よくもまぁ、うまく理由つけて俺たちを操ってくれたよな」  つまり、その週の土曜からタカヒロが家に来なくなったのは、真中先輩と会っていたからだったということか。 「なっちゃん、土曜に副業の仕事が入るようになった、っていつのは嘘だったんだね」  佐川さんは、残念そうな顔をして語りかけた。彼は私たちが来てから、初めてまともに喋った気がした。その様子は、職場で見せる彼の表情とは違った。二人の関係性も違ったものだった。主従関係が見て取れた。真中さんは眼鏡をしていた。コンタクトを外したとき、彼女は裏の顔になるのだろうか。私のことも笑っていたに違いない。 「そうよ。私は三股をしていたわ。それもこれもバカばっかりだからよ! お前も、お前も、お前も!」  私たちは順々に指を差された。真中さんは完全に開き直っていた。 「彼女とうまくいっていないからって、ちょっと色仕掛したらすぐホイホイついてくるやつ」  タカヒロは、先輩を睨みつけている。 「その後の私への執拗なストーキングは予想外だったけどね。あー、気持ち悪い」 「なんだと?」  タカヒロは、先輩に掴みかかろうとする勢いだったが、先輩は相手にしなかった。 「あと、ちょっと仲良くなって、こっそり手紙を渡したらノコノコ指定の場所に現れた配達員。あんた、職場が男ばっかりだからって、うちみたいな女子の職場に来るときだけ鼻息荒くしてんじゃないわよ。まぁ、結果的にはまんまと私に騙されたわけだけど。ずっと、ただ飯が食べれて良かったわ、ごちそうさま」  佐川さんはぐうの音も出ない顔で泣きそうな顔になっている。彼女だと思っていた人が浮気をしていただけでもショックだったのに、三股のうえ、自分をご飯代を出させる相手と思っていたと知れば、それはショックだろう。 「そして、最後にお前」  真中先輩は私のほうを見ている。私は自然と口に力が入った。意地で見つめ返す。 「お前みたいな、コンドームだけを買いにドラッグストアに来る同級生に、マサくんが惚れるわけねえだろ」  私のことを悪く言うことよりも、マサくんと言ったことに腹がたった。口に力を入れて堪える。 「マサくんは全部教えてくれたよ。同級生の当時は芋っぽかった女が、コンドーム買って動揺して出ていったって」  嘘だ。嘘だ。嘘だ。正木くんがそんなこと言うはずない…… 「挙句の果てには、その同級生が皆で、飲みに行こうって誘ってきたと聞いたから笑ったわよ。その女の情報を聞き出していったら、ミカちゃんだとわかったときはさすがに笑いを通り越して驚いたけどね。てか、引いたけど」  嘘だ、嘘だ、嘘だ。 「でもその週に、私ミカちゃんと二人でご飯に行ったのに、あなた何も言わなかったわね。マサくんのこと。どうせ、どうしようか悩んでるうちに自信なくしちゃって、それを取り戻すために私を誘ったんでしょ。私の不幸話を聞いて、自分に自信つけたかったんでしょ。本当は自分の話もしたかったはずなのに、黙っちゃって。まぁ、そういう話は大方、牧瀬にしてるんだろうけど。あ、そうそう。私、あの子の今の旦那とも浮気してたのよ。あの子が家族のこと喋らないのって、だからじゃない? もしかして、誰も見たことがない子どもちゃんって、私に顔似てたりして」  そんな……牧瀬先輩も被害者だったのか。だから先輩は、この女を嫌っているように見えていたのか。  良くも悪くも、色々な謎が解けていく。だがまだ、一番の謎がまだ残っている。 「ミカちゃん。今、なぜ、こんなブスがモテるのかって疑問に思ってるんでしょ?」  図星だった。正直、タカヒロや佐川さんならわからないでもない。正木くんまでこの女の虜になっているのだとしたら、全くわからない。正木くんはモテるはずだ。 「そんなことだから、ミカちゃんは甘ちょろなのよ。特に太ってるわけでもなく、目が離れてるわけでもなく、顎が出ているわけでもなく、綺麗でもない中途半端なルックスだからわからないのよ。でも、あなたは実際、私に声をかけたじゃない『先輩、今度二人でご飯行きましょう』って。そういうことなのよ。結局、女も男も私を誘ってしまうのよ」  確かに私は後輩の自分から、この先輩を頻繁に食事に誘う。でも、そこには恋愛感情なんてない。 「あのね。結局、女も男も私と過ごしていると居心地がいいのよ。だから誘うの。そして、日常や仕事で悩んでることがある人ほど、私を求める。弱みを恥ずかしげもなく見せる私といると自分に自信も持てるし、気が楽になる。あなたも含め皆そうだったのよ。例えば彼女と、うまくいっていなくて、セックスも単調になり彼女が感じてる演技をしてることに気付いてしまった男」  タカヒロは、今度は恥ずかしそうに眉をしかめている。気付いていたのね、私の演技に。 「モテなくて、彼女がいたことがなくて悩んでいて、さらに職場は男ばかりでもう一生彼女ができないんじゃないかと悩んでいた男」  佐川さんが、顔をしかめた。いつしか、ソファの縁に体が密着している。 「そして。彼氏に全裸写真を撮られて、それを餌に一生セフレにされてしまうと悩んでいたところに、学生時代好きだった男子に出会ってなんとか恋を実らせたいけど、恋愛ブランクのせいでうまくいかないと悩んでる女」 「わ、私のこと?」 「そうよ。あなた、私のつくあなたが喜びそうな自虐ネタを聞いて、まんまと喜んでたみたいだけど、バカにされてたのはあなたのほうだからね。偉そうにアドバイスなんかも、しちゃってくれてさ」  私は顔が紅潮していくのがわかった。止められなかった。穴があったら入りたい、とはこのことだ。この部屋に穴はない。この部屋自体が穴なのだ。 「自分を高く見せるなんて、損することのほうが多いのよ。結局、私のほうが賢かったってこと。だって、マサくんは私と本当に付き合っているんだから。彼も、職場のお局美容部員に言い寄られて、それを断ってからは明らかに嫌がらせされてたみたいで悩んでいたの。その様子を買い物中に見ていた私は、さり気なく客の立場から徐々に彼に近付いていったわけ。結局、最終的には落ちたしね。まぁ、そこの男子二人はわかってると思うけど、私夜の営みもうまいから。だから彼、私に夢中なのよ。あんなイケメンなのに」  この女の話を聞いていた三人ともが、何も言い返せないでいた。  だが、私はせめてもの抵抗をするために言った。 「正木くんに言ってやる。今、あんたが言ったこと、全部正木くんに言ってやるから。一人だけ幸せになろうったって、そうはいかないからね」  すると、真中先輩は不敵に笑いだした。 「あなた、まだ気付いてないの? 言うのは勝手にしたらいいと思うけど、彼、もうあなたの言うことなんて信じないよ。だって、自分のストーカーしてた女の言うことなんて信じる?」 「ストーカー?」  何を言ってるんだ、先輩は。私がストーカー? 「あなた、とぼけてるの? それとも本当に気付いてないの?」 「私、ストーカーなんてしませんよ!」 「まぁ、いいわ。こっちには証拠があるし」  そう言うと、真中先輩はスマホを少し操作したあと、画面を見せてきた。  そこには職場の近くのカレー屋でカレーを食べている正木くんと今藤くん、そして隣のテーブルで二人の会話に耳を澄ましているような姿の私が写っていた。  こ、こんなの、記憶にない。 「どうやら、本当に無意識というか本能でストーカーしてたみたいね。このとき、マサくんが気持ち悪いからちょっと来てくれと私に言ってきたの。だから私は、店の外から証拠を撮っておいたのよ。ちなみに、この前日も別の中華屋で隣の席にあなたがいたみたいね。そのときも、特別話しかけてこなかったみたい。というか、表情がヤバくてマサくんからは喋りかけれなかったみたいよ」  そうか。正木くんが「週三カレーでいい」って言ってたのは、私にではなくて今藤くんにだったんだ。私はそれを盗み聞きしてただけ。だから、さっき正木くんにその話をしたあと、彼引いてたんだ。だから、さっき逃げるように帰っていったんだ。私がおっかなくて。 「罪にはならないレベルかもしれないけど、モラル的にまずかったわね。ま、マサくんは元々あなたの相手なんてしてなかったとおもうけど」  そう言うと、先輩は立ち上がった。 「じゃ、あなたたちみたいなお気楽連中とはもうこれ以上いてられないから、もう私帰るわ。ミカちゃん、職場では普通にしてようね。牧瀬さんみたいになったら気まずいだけなんだからさ」  まるで、こっちはあなたの秘密を知ってるんだから、態度に出したら許さないわよ。と言っているような表情だった。  私から全てを奪って、先輩が去っていく。私にはもうどうすることもできない。そのとき、ハードロックな声が空気を一閃した。 「待てよ、デブ」  タカヒロが言い放った、たった五文字のその言葉で先輩は立ち止まった。 「なに? タカちゃん? そんなこと言っていいと思ってるわけ?」 「俺は別にお前に秘密も何も持たれてねえんだよ。浮気してたことはもうバラされてるわけだしな」  先輩は眉をしかめて聞いている。 「だが、お前は違うぞ。ほら見てみろ」  タカヒロも先程の先輩同様、スマホの画面を突き出した。そこには裸で股を広げて寝ている先輩の姿があった。私と同じ隠し撮りだが、先輩のは言っては悪いが、醜い姿だった。腹はブヨブヨ、口を大きく開けて今にも大鼾が聞こえてきそうだ。 「ちょっと! なによこれ! 聞いてないわよ」 「当たり前だよ、隠し撮りの許可とったら、それはもう隠し撮りじゃねえんだよ」 「うっ……」  先輩は、怒りで震えている。 「なにが、条件なの? その画像を消すには」 「そうだな。じゃあ、今ここで土下座して誠心誠意謝ってもらおうか。三人に」 「それをしたら消してくれるのね」  ブツブツ言いながらも、先輩は私たちに一人ずつ土下座し、謝った。  私は、人の、ましてや先輩の土下座を見るなんて、趣味ではないが、少しだけ気持ちがスッキリした。 「はい、じゃあ消しなさい」  まるで、さっきのは演技ですと言わんばかりに先輩が、キリッとした表情で言う。 「はいはい、消去と」  タカヒロは、約束通り、先輩のハメ撮り画像を消した。私のも、ついでに消してはくれないだろうか。 「ふっ、消したわね。バーカ! 消しちゃえばこっちのものよ。あなた達の醜態、触れ回ってやるんだから」 「あっ、そうそう。これでもう画像はスマホにはないけど、俺パソコンにバックアップとってるから」  いたずらに笑っていた先輩が、また一瞬で真顔になった。 「ほら、早く帰れよ。俺たちのこと、嫌いなんだろ。俺たちもお前のことなんか、もう嫌いだよ」  先輩は、言葉にならない言葉を吐いて出ていった。ふと、思ったがこの部屋の料金は誰が払うんだろう。佐川くんが全て払うのは可愛そうな気がするが。 「おい! ナツキ! 部屋の料金払ってないぞ」  そう言ったのは佐川くんだった。さっきまでの様子とは違う精悍な顔つきになっていた。 「うるさいわね!」  そう言いながら、先輩は一万円札を扉横の棚の上に叩きつけた。 「お札は大事に扱わないと駄目ですよ!」  誰が言ったんだ?   いや、私だ。これは無意識じゃない。自分の意識下で言っていた。
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