一週目 ナイフとコンドーム

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一週目 ナイフとコンドーム

1 「あ」  私が職場の近くのドラックストアで並んでいると、レジの店員に呼ばれて向かう途中で大変なことに気付いてしまい、ついそう口に出してしまった。  レジの男の人がどこからどう見ても同級生の正木くんだったのだ。  でも、それはいい。  正木くんは中学の同級生で当時から爽やかであまり喋った記憶はないけど、私は正直好きだった。  それもいい。別にいい。  今日は土曜日の時短勤務だから、化粧も薄くてあまり顔を見られたくない。  それもいい。全然いい。  問題は、私が今右手に男性用コンドームを持っていることだ。いや、男性用といっても女性用があるわけではない。だが、そう思ってしまうほどに私の持っている小箱の色使いは黒くダークだ。  人間、落下して死ぬときはスローモーションになるとか聞いたことがある。実際、私も今そうだ。未だに正木くんのいるレジにたどり着いていない。  いや、これは私が意識的にゆっくり歩いているのか。だとしたらキモい。キモすぎる。だって右手にはコンドーム。鞄はリュックだから左手は手ぶら。もうコンドームだけ買いに来てるのバレバレじゃん。満々じゃん。  ドラックストアだってのに。化粧品も洗剤も食品もサプリもなんでもあるのに、私はコンドーム一筋三百年。いや、三百年の歴史があったら、もっと堂々としてるわ。初体験が二十歳のときだからコンドーム一筋五年か。それでも大したものじゃないの。  そうよ、堂々としてたらいいのよ、堂々と。どうせもう逃げれないんだから。腹をくくるのよ、未華子。うわっ、私自分のこと名前で呼んでる。二十五過ぎてそういう子苦手だって、こないだサチに言ったばかりなのに。なんで、この局面で自分の投げたブーメランが首に刺さるのよ。 「お待たせしました」  正木くんと思われる人物は笑顔で、商品をスキャンしていく。一秒で終わる私の買い物登録。 「えーと、八百……七十……七円です……」  終わった。正木くん、言葉に詰まってる。完全にバレた。私の正体。  正木くんが瞬間的応用接客術でも持ってくれてたら、知らないフリしてくれたのかもしれないけど、そういうタイプじゃないもんね。  でも、そういうバカ正直なところが私の母性の本能をくすぐって、中学校卒業して十年くらい経つのに、彼をまだ心のエアポケットに入れ続けてたんだと思うんだけど。 「あれ、正木くん?」  私は意を決して話しかけた。攻めこそ最大の防御だ。どうせバレるなら自分からバラす。そうだ。私は同級生のレジでコンドームを買っても全く気にしないタイプの女なのだ。自己洗脳、自己洗脳。 「え?……」  だが、正木くんは困惑していた。  あれ? 正木くん、もしかして私に気づいてなかった? そういうもったいぶった値段の読み上げするタイプなだけ? え、最悪じゃん。返してよ、私の恥を込めた始球式の球を。恥球を。 「あ! もしかして、星野さん? 久しぶり!」  本当に驚いた表情を見せてくる。今度こそバレた。うわ〜、声をかけなければこの危機はやり過ごせたのか。  レジ台の上にちょこんと置かれたコンドームの箱。次元の狭間に消えろと念じたが、びくともしない。せめて、お得用を買ってないだけマシか。だが六個入りの真っ黒の箱は、それはそれで恥ずかしい。本気度が強い気がするからだ。 「う、うん。久しぶり〜」  私は精一杯の作り笑顔を見せる。おそらく今の会社の最終面接で見せたそれよりも満開の笑顔だ。 「あ……」  正木くんが気まずそうに下を向いた。  きっと、結びついたんだ。よく、接客業でレジをすることのある友達から、お客さんが何を買ってるなんて意識してないと聞いた。私が変に意識してしまうことがあるから、笑われたのだ。安物ばっかり買ってると思われるのとかが嫌だから。  だからきっと、正木くんも先程自分でスキャンした商品を特別意識していなかったのだろう。コンドームを彼氏に買いに行かされる彼女なんて結構いるはずなので見慣れてるはずだ。だが、そのコンドーム買い出し道中膝栗毛女と、中学の同級生で当時はあどけない笑顔が売りのシルバニアファミリーくらい小さかった、この星野未華子が一つの線に結びついたんだ。  その「あ……」だったんだ、きっと。 「か、会員カードとかアプリとか、持ってない…ですよね?」  ほら、急に敬語になった。気まずいんだ。言っとくけど私のほうが何百倍も恥ずかしいんだからね。こんな土曜の昼下がりにコンドームだけ買いにきてるなんて。 「う、うん、持ってないよ」  本当は持ってる。さっき並んでるときに財布の中見て、カードを確認して、一番前のスリットに入れたくらい準備も万端。でも出すわけにはいかない。なんか、嫌。このコンドームでポイントまで入れようとしてるとか思われるのが嫌。 「作らないよね? 無料だけど」  その優しい笑顔がつらかった。  作らないよ。正木くん。だって持ってるもん、会員カード。作らないよ。正木くん。だってコンドームだもん、子供も作らないんだから。そのためなんだから。  私はお釣りをもらって、 「へー、正木くんここで働いてたんだー、また来るねー」と独り言のようにつぶやき、後ろに並んでいる人たちに気遣ってるフリをしてそそくさと店をあとにした。  鞄の中でコンドームを入れた紙袋がポップコーンのようにはじけている気がした。  それは私の心とは真逆のものだった。
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