三週目 グミとカニカマ

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2   今日も職場近くにあるイタリア料理の全国チェーン「ガブリボーノ」のテーブル周りはせわしない。休日だろうが月曜日だろうが忙しさは変わらないようで、店員さんの表情もペペロンチーノに入った小さな唐辛子のように見えてくる。その店内の喧騒とは真逆のように、素朴な雰囲気で私の前に座っている真中先輩。就業時と違って眼鏡をかけていた。眼鏡がやけに小さく見える。さらに、その奥の瞳はさらに小さい。  それにしてもなぜ今、眼鏡にしたのだろうか。伊達眼鏡だろうか? それにしてはお洒落ではない機能重視っぽい眼鏡だし、就業時はコンタクトレンズをしていてるのだとしたら、なぜ外しても大丈夫な程度の視力なのに、わざわざつけているのだろう? と疑問に思った。だがその疑問はすぐに半分解けた。 「はー、やっぱりコンタクト外すと楽だわ〜」  真中先輩が大きな手で大きな顔を扇ぎながら言った。頭だけ椅子にもたれかけているような姿勢でリラックスモードだ。椅子が叫ぶ声が聴こえる気がする。  伊達眼鏡ではなかったという疑問は解けたのだが、なぜ就業時だけコンタクトレンズをしているのかという疑問は依然残ったままである。 「先輩、なぜコンタクトつけてるんですか? しんどいんだったら、ずっと眼鏡にしたらいいんじゃないですか?」  悪気はなく聞いたつもりだったのだが、先輩は悪気がこもっていたようにとらえたようだ。少しムッとした表情をしていた。 「うーん。なんでだろう、仕事モードになれるからかな」  たぶん、理由はないんだろうな、と思った。ただ、もしかしたら就業中、コンタクトレンズをすることは彼女の中で自分を良く見せようとしているのかもしれないとも思った。  今、コンタクトレンズを外して嬉しそうにしているということは、普段したくもないけど無理してつけているということだ。女性が無理してすることなんて、大概裏に恋だの愛だのが潜んでる。私はハッとした。 「真中先輩、もしかして好きな人とかいます?」  私は先週の牧瀬先輩の真似をしてカマをかけてみた。  コインは表が出た。図星とばかりに、真中先輩は飲んでいたレモンスカッシュを危うく吹きかけて、なんとか口を手のひらで押さえていた。そのレモンスカッシュと、唾の入り混じったある種のカクテルがついた手を、服の袖口で拭いていた。 「どうしてわかったの?」  真中先輩は、先週牧瀬先輩に言い当てられたときの私のように動揺していた。そして動揺しながらも質問に対してはイエスと言って認めているのだ。可愛らしいではないか。 「でも、誰かはわからないですよ。誰ですか? 教えて下さいよ」 「いやよっ、どうしてミカちゃんに言わないといけないのよ! どうせ、からかうつもりでしょ」 「からかいませんよー」  そう言いながら、先輩の肩に手をかけてさすったが先輩はびくともしない。教えるつもりはないという意思表示であろう。  だが、私は見当がついていた。就業中、本当はしたくないのにお洒落のためにコンタクトレンズをつけているということは、就業中に会う人が先輩の想い人ということである。  そして、私たちの職場は女の園。男はほとんどいない。いるのは二人。  私たちの上司でもあり日中ほとんど外に出ている荒木常務と、真中先輩の後輩でもあり私の後輩でもある田中くんだ。  田中くんは綺麗な顔をしていて、まだ二十三歳くらいのはずだが、荒木常務の補佐という形でこの職場にやってきた。ちなみに、若いのに腰を痛めているらしい。人当たりは爽やかな好青年だが、少し影もある子だった。何をしていて腰を痛めたのかも、面接をした人事部の人以外誰も知らないという噂だ。  どちらとも真中先輩と親しげに喋っている印象はないのだが、おそらく田中くんのほうだろうなと思った。  真中先輩は私より年上だとはいえ、まだ三十一歳くらいのはずだ。さすがに若作りしているとはいえ、五十目前で妻子持ちの荒木常務ではないだろう。  いや、待てよ。先輩のような恋愛経験なさそうな人に限って、そういう人になびいてしまうのかもしれない。そもそも、田中くんとだって八歳離れている。それはそれで険しい道に感じる。 「もしかして先輩、年下好きですか?」  検討がつかなかったので、適当にカマをかけてみた。しかし先輩は、 「いや、別に」  と言って特に動揺した様子はない。先ほどの様子からして図星だったらもっと動揺していいはずだ。 「あれ? ミカちゃん、もしかして田中くんだと思ってる? それはないよ。だってあの子、二十三とかでしょ、犯罪じゃん」  ん? 自分でこんなこと堂々と言うということは、やはり田中くんではないのか。図星だったら、こんなに堂々と名前を出して否定できないはずだ。 「じゃあ、年上のほうが好みって感じですか?」 「まぁ、どっちかといえばそっちかな。ほら、私って意外と引っ張ってもらいたい人じゃん?」  それは知らないし、知りたくもなかった。もちろん既に聞いていたとしても、忘れている自信はあるが。  だが、なんとなく私は荒木常務でもないという気がした。たしか、依然先輩が、チャラチャラしててモテたい欲が出てるおっさんは苦手だと、言っていたのを思い出した。好きゆえの否定をするタイプにも見えないし。  じゃあ、誰なんだろう? 私たちの職場にはその二人しか男の従業員はいない。  そのとき、レストランの入口に大きな黒いリュックを背負った男が入ってきた。誰だと思い見ていると、ウーバーイーツの配達員だった。それを見てピンときた。 「あっ! 佐川の佐川さんだ!」  それを聞いた途端、先輩の顔に一気に動揺の二文字が走った。  佐川の佐川さんというのは、文字通り郵送会社名と同名の佐川さんという配達員だ。ほぼ毎日、私たちの事務所に書類の封筒やら本部から送られてくる荷物を届けてくれる。  佐川さんなら、うちで働いていないが、ほぼ毎日事務所に顔を出す。先輩が色気づいてコンタクトレンズをしている理由にもなる。  前を見ると、お酒も飲んでいないのに少し赤らめた先輩の顔。間違いない、ビンゴだ。 「佐川さん? あぁ、配達の? ち、違うわよ」  その否定は、明らかに肯定を表していた。そういえば、佐川さんが最初にうちに来たとき、「僕、佐川と言います」と彼が挨拶したときに、「え! 佐川急便に務めてる佐川さんなの?」と真っ先に絡みにいったのは先輩だった気がする。ああいう素朴な顔と雰囲気が先輩のタイプだったのか。 「先輩、認めてくださいよ。私、今度来たらアシストしますから」 「アシスト? やめてよやめてよ。余計なことしないでいいから。私、ちょっと荷物の受け取りサインする間に喋るだけでいいんだから」 「やっぱり佐川の佐川さんだったんですね。先輩の想い人さんは」 「想い人? やめてよ、恥ずかしい」 「じゃあ、何て言ったらいいんですか? 狙ってる雄ですか?」 「ミカちゃん、いい加減にしないと怒るよ」  先輩はフォークを持った右手をこっちに向けてくる。 「じゃあ、先輩がどうやったらさらに佐川さんと仲良くなれるのか考えましょうよ」  余計なお世話だとわかりつつも、私は提案した。楽しいからだ。それに先輩はほっておいたら、本当に一言二言喋るだけで満足するタイプに見える。  私が肩を押さないといけない。変な使命感が湧いていたのは事実だった。  そして、失った勇気が再び湧いてきた気もした。
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