三週目 グミとカニカマ

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3  真中先輩の煮豆のような小さな目が、今朝もむき出しだ。眼鏡は鞄の中にでも入っているのだろうか。なのに先ほど、鼻の上のほうをクイッと触って眼鏡を上げるような素振りをしていた。どうやら、朝からかなり緊張しているように見える。  昨晩私と、ばっちり取り決めをしたはずだが、それがかえって緊張に繋がっているのかもしれない。 「いいですか、先輩。男ってのは結構単純な人が多くてですね、自分に興味を持ってくれてると思った人に興味がでるんですよ。つまり先輩が佐川くんに興味があるよ、ってことをうまく示してしまえばいいんですよ」 「そんなの、どうやるのよ」 「あの人、ほぼ毎日なにかしら配達物持ってくるから明日もきっと来ますよね?」 「たぶんね。来ない日は月に一回あるかないかかな」 「それで、来たときは基本的には入口に一番近い席の人が対応する。つまり先輩か岡本さんですけど、最近は先輩がずっと対応してますよね?」 「まあね。サイン書いて、荷物受け取るだけだけど」 「そのときしかチャンスはありません。そのサインを書いてるときに、ふと思いついたみたいな感じで訊きましょう。『あ。そういえば、佐川くんって、彼女とかいるの?』って」 「バカ、そんなの聞けるわけないでしょ!」 「いやいや、聞けますよ。ほぼ毎日、荷物を受け取って小話してるんですから、そろそろそれくらい訊いても違和感ないですよ」 「でもさぁ……」 「意識してるから、聞きにくいと思うんですよ。佐川さんのこと、意識してないと思えば全然自然に聞けますから」 「でも、いてるって言われたらどうするのよ」 「それは仕方ないです、諦めましょう。ただ、もし別れかけてたら、先輩の一言で佐川さんが揺らいで別れるかもしれないですよ。先輩と付き合いたいと思って」 「ホントに? そんな効力あるの? 彼女の有無聞くだけで」 「あります。そのとき効かなくても、後々毒のように身体を巡ってジワジワと効くのがこの質問のいいところなんです。私は逆サプリと呼んでいます」 「そうなの? じゃあ聞いてみよっかな……」  そうして真中先輩は、終始納得いかないような表情だったが、結局は今日佐川さんに踏み込んだ質問をすることを納得した。  そして、今朝からの苦悶の表情と動揺した様子。必死に私にそれを悟られないように隠しているつもりだろうが、緊張しているのが丸わかりだ。  時計を確認すると、現在朝の十時半。そろそろ、いつも佐川さんが来る頃だ。  私も段々ソワソワしてきたが、それを隠しながら仕事に打ち込むふりをする。  そのときだった。来客の呼び出し音が聴こえた。  隣で真中先輩が大きく深呼吸したあと、立ち上がって対応した。 「おはようございます、佐川ですー」  来た。  真中先輩は玄関の解錠ボタンを押し、扉に近寄っていった。開けると、すぐそこに佐川さんが立っていた。何も知らない無垢な表情に見える。 「あら、おはよう」  いつもより、お姉さんのような挨拶で真中先輩は声をかけた。なるほど、お姉さんキャラでいけば、例の質問も違和感がないと考えたのかもしれない。 「あ、どうも。おはようございます。サインお願いします」  先輩が小包みを受け取った。今だ。今しかない。 「あのさ」 「はい?」 「あのー、佐川さんって彼女とかいるの?」  訊いた! 敬語とお姉さんキャラが混じって変な訊き方になってるけど、とりあえずは訊いた!  隣の岡本さんは、ギョッとした顔を必死に隠して仕事に打ち込んでいる顔をしている。私もきっとそんな表情になっているのだろう。 「えっ、彼女ですか? いますよ。最近できたんすよ。ほら、これです」  佐川さんは、おそらく彼女と一緒に写ってるであろうスマホの待ち受け画面を見せているようだった。見たいが、見れない。今さら「見せてくださーい」って行くと、会話を盗み聞きしていたことが如実である。 「可愛いね」 「でしょ? あ、真中さんは彼氏さんとかいてるんですか?」  そのとき、あたりが静まり返った。いや、元々静まってはいたが、空気が張り詰めたような気がした。よくよく見れば誰もキーボードの上の手を動かしていない。 「いないよ」 「えっ、あっ……なんかすいません」  その後、佐川さんは頭上から汗を飛ばすような様子で帰っていった。  終わった。横目で見ると、絶望の表情の真中さんがいた。  そして何事もなかったように、皆また手を動かし始めた。  先輩はしばらく呆然として、佐川さんから受け取った控えの紙を見つめていた。  うん、なんか先輩ごめんなさい。  隣を見ると、牧瀬先輩がこっちを見てニヤけていた。私は口元の緩みだけでそれに応えた。  佐川さんはその日、そのことについて喋りかけてはこなかった。ただ普段より、グミを食べる頻度が多かった気がする。  帰り際、少しの自己嫌悪に襲われたが、また自分に自信を持てるようになった自分に気づいた。そんな自分に嫌悪感を抱いた。
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