四週目 ダンサーと缶チューハイ

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3  いつからだろう。  人と会うときの場所が、居酒屋やカフェからになることが多くなったのは。昔は昼間から遊んで、ボーリングや山登り、映画、はたまたショッピング等に時間を費やしてからテーブルに到着した。  しかし、私の中でいつしかそれらは霧散した。  ボーリングは、やってるときは楽しいのだが、予定を入れるとなると何か違う気がする。カラオケも同様だろうか。いつも煩わしさと小っ恥ずかしさが同居した。  山登りは、いつしか翌日の筋肉痛が冗談では済まされないレベルの痛みに変わって、ハードルが上がった。それ用のファッションを考えるのも面倒になり、今それらはクローゼットの奥に潜んでいる。  映画は一人で観たほうが、気を使わなくて楽だということに、最近気付いた。特にサチとは映画の趣味が合わない。私は洋画やアニメーション映画の単発もの、サチは邦画のドラマの続きもの。サチの見たい映画は、予め予習しておかないといけないので、これとまた煩わしい。「別にわざわざ予習する必要はない」とサチは言うが、そこはなぜか私のこだわりである。  買い物なんて、映画の比じゃないくらい一人で行くに限ると最近思う。服の志向はサチと似ているが、彼女はとにかく選ぶのが遅い。そして、一度保留にしては別の店に行くということを繰り返すので、一日に同じ店に三回以上行くこともザラだ。三回目に訪れたときには、私は買い物に付き合わされてくたびれたお父さんみたいな表情になっていることを、彼女は気付いているのだろうか。  こう考えてみると、サチと遊ぶときは特に居酒屋スタートでいいと思っている節がある。だから、他の人となら全然昼から色々なところに出掛けてもいいのだが、自然と今回もいつもの癖で居酒屋スタートにしてしまった。  だが、それで良かったとは思う。お酒の力を借りずに、正木くんとプライベートなところでお話するなんて、考えただけで緊張するし。  あと重要なのが、私には正木くんの連れてくる友達を、俺様系ダンサーに見立ててサチに紹介するというミッションもある。  最悪、そんな人物ではないとバレてしまっても、お酒が入ってたらサチも許してくれるだろう。ただ、まだお酒が回っていない序盤にバレることはなんとしても避けなければいけない。 「ミカ、お待たせ〜」  私が今まで見たことのないワンピースを着たサチがやってきた。一方の私は、数年前からずっと着ているネイビーのワンピース。弾けるような淡い黄色のサチのものとは大違いの年季の入った色だ。だがネイビーの濃さがそれを隠していると思っている。  仕方ない。いつしか、服への興味が全くなくなってしまったのである。 「じゃあ、行こっか」  私は、サチから少し目を逸らして言った。 「うわ、ドキドキするね」  そう言うサチの顔は希望に満ち溢れていた。僅かに罪悪感が胸を包む。  私は、予め正木くんに連絡をして、予約をしてもらった居酒屋に先に入ってもらうようにしておいた。  そのほうがあっちも気楽だろうし、なにしろサチは遅刻魔だ。こんな一大事に万が一遅刻でもされたら、私の株も同時に下がってしまう。その点、先に入店してもらっておけば、遅刻したとしても印象は悪くない。  事実、サチは私との待ち合わせ時間に約二分遅刻しているが謝りもしない。彼女にとって五分以下は遅刻したことにならないのだ。  サチと他愛もない話をしていると、すぐに正木くんが予約してくれた海鮮風居酒屋に到着した。実は何度かここに来たことはあるのだが、彼がご厚意で紹介して予約までしてくれたので黙っておくことにした。サチにも、前に私と来たことは黙っておくように念を押した。  店に入ると店員がやってきたので、「相席です」と伝える。予約者の名前を聞かれたので「正木です」と答えた。将来、彼と結婚して本当の意味でそう言う日は来るのだろうか。変な妄想と緊張が相まって顔が歪む。  だが、その顔は正木くんのいる席に案内されたあと、さらに歪むこととなった。  正木くんは相変わらず爽やかで好青年風だった。だが、その隣の俺様系ダンサーを期待していた友達が、あまりにもおたく臭の強い見た目だったからだ。私は、自分の顔が売れ残ったキュウリのように曲がった気がした。  挨拶をしながら、その男をじっと見る。サッと逸らされた。緊張しているのはこちらもだが、彼はそんなレベルではないほど動揺しているように見える。異性と喋った経験が少ないのも如実にわかる。  そして、隣から静かな恐怖を感じる。  正直、実際に俺様系ダンサーが来るというのは、奇跡だとは思っていた。だが、実際に正木くんの友達がそこそこ格好良ければ、それでサチの気は済むという算段であった。  だが、今実際に正木くんの横の彼は、俺様系ダンサーどころの話ではなく、おイモ系タンバリン奏者といった具合だった。  唇はなぜか小刻みに振動しているように見え、目はキョロキョロと落ち着きがなく、眉毛はワイルドな彼の雰囲気に全く合っていないワイルドさで、無精髭はなかったが眉毛の手入れとのギャップがやけに気になった。  隣のサチはというと、呆然とその彼を見つめていた。すぐに正気に戻り、私を一瞬だけキリッと睨んだかと思えば、正木くんに「久しぶり〜」と微笑んでいた。  ホントは、正木くんに愛想良くするのすら、嫌だったのかもしれない。これのどこが俺様系ダンサーなのよ、と瞳の奥が言いたげに見えた。  私はというと、完全私服姿の正木くんが見れたということで完全至福気分のトランス状態だった。サチの信頼に関しては、まだ取り戻せるとさえ思っていた。それくらいポジティブというか、感情を司る脳の部分がバカになっている気がした。 「予約、ありがとー」  そう言って、さり気なく正木くんの前の席に座った。こういうとき、狙っている人の斜めに座るほうがいいとか、横がいいとか色々聞いたりもするが、そんなことは考えなかった。照れることに変わりはないが、やはり正面から正木くんを見たい。それに、もし斜め正面に座って、向かいに座り合う正木くんとサチが二人で盛り上がってしまったら、私はとてもじゃないけど耐えられない気がしたのだ。 「ホント久しぶりだね、今井さんも」  正木くんに、声をかけられてサチは少し顔を崩した。 「あ、紹介しておくね。彼は、俺の会社の同僚のコンドウくん。一応、歳も年数も俺より一つ下なんだけど、もうほぼ同期みたいな感じだから」  正木くんが彼を紹介すると、そのコンドウという後輩が喋りだした。 「あ、どうも。いつも正木さんにお世話になってます、コンドウです」  正木くんは、お世話なんかしてねぇよ、という顔をしている。初めて見る先輩の顔。 「それであの、コンドウの漢字なんですけど、お二人が今思い浮かべてるコンドウと多分違ってですね、今とか昔の今に、草かんむりの藤で今藤っていうんです」  最悪なことに、横を見るとサチが「んなの、どうでもいいよ」という顔をしていた。やっぱり怒っている。 「趣味は? 趣味何かありますか、今藤さん」  変な空気になっていると思い、私は質問をした。 「趣味っすか? えーと、そうですね。いや、別に……ないっすね」  明らかに彼は困惑していた。こんな経験があまりなさそうなのに、いきなり自分だけ趣味を訊かれても困るだろう。私はそんなことにも気づかなかった。いや、気づかないフリをしていた。そして、私はさらに暴走した。まだ、奇跡を信じていた。 「またまた、照れちゃって〜。なんか踊ることとか得意そうじゃん? ダンスとか趣味じゃないの?」 「ダンスっすか? はぁ……ダンスミュージックはたまに聴きますけど」  私は彼の口から「ダンスミュージック」という単語が出てきた違和感に驚き、失礼ながら吹いてしまった。  そこからはもうやけくそだった。  正木くんが後輩をいじるような感じで「こいつ、レジヘルプの音鳴ってるのに、応援にいかないときあるんだよね」と言ったときには、「うわっ、利己的だね。もしかして今藤くんって意外とオラオラ系?」と促した。  その間、隣のサチの表情を窺うことはできなかった。  さに、サチのグラスが空になってるのを見ると、「ちょっと今藤くん、正面に座ってる年上の女性のグラスが空になってるんだから、気を使ってドリンク聞かないと。もしかして、意外と自分が尽くしてほしい系男子? ということは要約すると、やっぱりオラオラ系男子?」  と、おそらく正木くんにも悪い印象を与えてしまうんじゃないかというくらい、今藤くんを俺様系ダンサーに仕立て上げようとした。実際は、少し緊張していて無愛想に見られてしまう、たまにダンスミュージックを聴くこともある子なのだが。  そういうわけで、前半は今藤くんの印象操作に躍起になっていたため、私は肝心要の正木くんとほとんど喋れなかった。だが、よくよく考えればそれでよかったのかもしれない。いい感じにその間にお酒も回り、横の席の二人のことで喋ることができたので、ちょうど正木くんと喋る頃には、場も私の心も暖まってきていたのだ。もちろん、引き続きサチの目は見れなかった。  正木くんは、今働いているドラッグストアのチェーン店で三年目の正社員だとのことだった。  だが特に、ドラッグストアや小売業に興味があったわけでもないらしい。大学四回になってもしばらく就職活動をしていなかった彼は、冷暖設備がばっちり効いている店内で仕事ができ、重労働もなさそうだから、というなんとなくの理由で今の会社を受けたらしい。彼にそんな成り行き任せな印象はなかったが、やはり月日の経過は人を変えてしまうのだろう。  私がコンドームを買ったあの店は、三店舗目の配属店舗で、ほぼ一年周期で異動をしているらしく、今の店の歴では今藤くんのほうが長いらしい。彼は一年目の最初の配属先が今の店で、一度も異動せず一年以上いるとのこと。  それを聞いた私は、ほろ酔いに任せて「あの店、結構女性社員いたけど、なんか出会いとかないの? 綺麗な美容部員さんもいたけど」と訊いてみた。だが、彼は即座に否定した。 「いやいや、全然ないよ。そもそも星野さんが見かけた女性は、社員じゃなくて大学生のアルバイトじゃないかな。社員は俺たち二人と店長だけだからね。うちの店はお喋りな人が多くて一瞬で噂が回るから、さすがにアルバイトに手は出せないよ。俺はね」  と言って、今藤くんのほうを見た。彼はそうでもないのだろうか。 「でも、美容部員だったら、バレないんじゃない?」  サチが続いて訊いた。ナイスだ。 「いやいや、あの人たちは別の会社から派遣で来てくれてるだけだから、そこまで詳しいことは知らないけど恐ろしいほど気が強いからね。形上は俺に敬語も使ってくれてるけど、ちょっとこちらに不手際があったら、鷹のような眼光で睨んでくるから。恐ろしくてそんな対象では見れないよ」  その様子は、本当に美容部員に怯えているようだった。 「じゃあ、正木くんは彼女いないの?」  私は流れに任せて思い切って訊いた。 「いないよ。だいぶ長いこといないから、誰か紹介してほしいくらいだよ」  私は、目の前がまばゆい光に包まれた気がした。今藤という男は、その光に飲み込まれて消えた。  思い切って聞いてみて良かった。紹介なんてするものですか。 「いや〜私の周りとか変な子多いし、彼氏もち多いんだよね〜」  そもそも友達もあまりいないのだが、そのように言っておく。 「そういう二人は?」  正木くんが訊き返してきた。待ってました。 「いません!」  私とサチは一言一句同じ言葉をハミングした。  あとで一応聞いてみると、今藤くんは彼女がいてるとのことだった。しかも、相手は店のアルバイトの子とのこと。  あ。さっき、正木くんが店舗内恋愛の噂はすぐ流れるって言ってたのは、そのことからだったのか。
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