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3
幸せを噛み締めて家のドアを開ける。
まさか、週の最後にこんなご褒美が待っていただなんて。最高の夜だ。
結局、今夜正木くんとは、ピエトロカストロでご飯を食べただけで、店を出てすぐに別れた。
改札で別れるときには、とめどない寂しさに襲われた。それだけ二人の時間が幸せだったのだろう。
一瞬、「どこかに連れてって」と甘えようとしたけどやめた。明日はどちらも朝から仕事だったので、さすがに遠慮してしまったのだ。
でもそれでいい。ここからは、カタツムリのようにゆっくりと恋愛感情を育みながら二人で進むのだ。
だが、そのつかの間の幸せな気分は、玄関で目にした本来あるはずのない見慣れた靴を見つけたことで、全て一気に冷めてしまった。
これはどういうことだ。今日は、日曜日だ。なぜだ? 私は目を疑った。
どうして、タカヒロの靴が玄関にあるんだ?
顔を上げて奥をうかがうと、リビングから光が漏れているのが見えた。私にとってそれは、光とは名ばかりの暗闇だった。闇へと誘う暗闇。
おそるおそるリビングに入ると、そこには今夜いるはずのない見慣れた男がいた。約二週間ぶりの姿だった。
「おう、どうした? こんな遅くまで」
やはりその姿の主はタカヒロ、その人だった。今の浮かれ気分にこれ以上水を差す顔はないだろう。
「なんでいるのよ」
「なんでって、別に日曜に来てはいけないなんてルールないだろ? 俺、お前の彼氏なんだし」
彼氏? まだそんなこと言ってたのか、こいつは。
「そんなの、とっくに別れてたと思ってたけど」
私は意図して冷たく聴こえるように言った。
「別れる? そんなこと一言も喋らなかったぞ」
「そんなの、自然消滅に決まってるじゃない! どうして、彼女を隠し撮り画像でおどしてる男を、彼氏だと思わないといけないのよ!」
「そんなの、知らないよ。ミカだって俺にナイフ向けたじゃないか」
「ミカ? 呼び捨てにしないでよ! ケダモノ!」
「おいおい、ひどい言い草じゃないか。せっかくの可愛い顔が台無しだぞ。どうしたんだ、今日は楽しいことがあったんじゃないのか? その様子じゃ、うまくいかなかったのかな」
「な……どうして、あなたがそれを」
「おや、図星だったのかな。さすが、俺の見込んだ女だ。おモテになるらしいね。それとも、本人が必死に出会いを求めてるのかな?」
「あんた、誰に聞いたのよ」
「なんのことだよ、知らないよ」
「とぼけないで! 誰に聞いたのかって聞いてるのよ!」
「知らないよ。そろそろ俺に黙って男と遊んでるんじゃないかな、と思ってカマをかけただけだから。だけど、本当にその通りだとはな」
「嘘言わないで。さっきの言い方はそんな感じじゃなかった。私が今日誰と会ってたのかまで知ってるような言い草だった。誰に聞いたのよ、言いなさい」
私がムキになってるのには理由があった。私はそこまで交友関係が広いほうではないし、そもそも自分のことをペラペラ喋るほうではない。だから、今日マサくんと会うことも、この男と揉めたことも、いつもの固定の三人しか言ってないのだ。
そして残念ながら、それをこの男が知っているということは、その三人の誰かがこの男に告げ口したということだ。
でも誰がいったい……三人の内の。
牧瀬先輩。真中先輩。そしてサチ。この中の誰かが、この男に言ったってこと? そんなまさか。
「おいおい、自分が被害者みたいな顔してるけどよ、お前は加害者なんだぜ、ミカ。彼氏に黙って爽やかな男と密会してたんだからよ」
爽やかな男? やっぱり、こいつ、正木くんのことを知ってる。まさか、今日ピエトロカストロで会ったことも知ってる?
「ほら、黙ってないで、そこで寝ろ。浮気したお仕置きだ」
疑問は解けずに、私は言われるがままにベッドに横になり、いつもよりも長く凌辱的な彼からの責めにあった。悔しいかな、なぜか普段よりも気持ちよかった。
その理由は、酒が入っていたからか、正木くんのことを思い出して気持ちが高ぶっていたからの、どちらかであってほしかった。
「ミカ、お前のことは逃さねぇよ」
最中、魚のフナのように見える笑顔でタカヒロが私の目を見て笑った。それを見ると正気に戻れた。
だが、先ほどまでの幸せなエスカルゴライフは、ナイフのような鋭利で冷たいこの男によって終わってしまった。
それにしても、いったい誰がこいつにマサくんとの情報をリークしたんだろう。三人の顔を順々に思い浮かべたが、誰もピンとこなかった。
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