二週目 サンドウィッチとラングドシャ

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二週目 サンドウィッチとラングドシャ

1  一昨日と昨日のことを思い返す。タカヒロと揉めた土曜日。彼が帰ってからは、滑り止めの受験で滑った夕暮れの公園くらい腑抜けのように過ごした私。自分の衝撃的な写真が脳に重たくのしかかり、枕を濡らすにも眠気もやってこず、朝方までずっと起きていた。全ての行動が鈍重に感じた。歯磨きも、お風呂も、食事も。心臓と脚に鉛がぶら下がっているようだった。  そして昨日の日曜日、私は午前をセミの抜け殻のように過ごし、午後は部屋で缶チューハイを開けた。普段よりも酔いが回り、気づけばずっとテレビでゴルフの中継を観ていた。そのときのゴルファーの名前は一人も覚えていないが、気持ち悪いくらい明るい水色のポロシャツを着ていたゴルファーがいたのは覚えている。セルリアンブルーという色だろうか。外を見ると、夕焼けが真っ赤に見えた。  あんな休日を過ごすくらいなら、友人のサチの誘いに乗ってどこかへ出掛ければよかった。と言っても、サチはあまり聞き上手ではなく、彼女は自分が最近出会った男の話ばかりしたがるのである。ともすれば、こちらはもれなく土曜の夜のことを思い出して憂鬱になっていただろう。  よかったのだ。あの二日間はあれで。無事今日も出勤できた。そうだ、犯罪者にならなくて済んだんだ。  私は、憂鬱な月曜日を無理やり変換する。  だが、そう安心したのもつかの間、彼が持っていた私の隠し撮り画像を思い出した。あれがある限り、私はこれから彼にずっと銃口を突きつけられながら生きなければいけないのだろうか。病める日も、健やかなる日も、いつ何時でも彼に人生を潰されるスイッチを手渡したまま、過ごさなければいけないのか。 「どうしたの、ミカちゃん。クラゲみたいな顔して」   隣のデスクの牧瀬先輩だった。彼女は私の一番の理解者でもあり相談者でもある。もちろん、彼とのことは常々話していたが、私が凶行に及ぼうとしていたことは話していない。だが、今回はさすがに聞いてもらいたいという欲求を止められそうもない。 「あのー、先輩。話したいトピックスあるんで、また仕事終わりに時間もらっていいですか?」 「いいよ、聞く聞く。だからそんなクラゲ姿を入口付近の席の人がしないでよ。配送の人とかに、ジェリーフィッシュ星野って呼ばれちゃうわよ」 「なんか響きは格好良いですけど、恥ずかしいです。勘弁してくださいよ」  私はなんとか笑顔を作った。 「じゃあ、鉄は早いうちに打てじゃないけど、今晩どう? 仕事終わりに。月曜からしんどい?」 「いや、むしろ望むところです。お願いします」 「じゃ、いつものところで」  私は相談事があるときはいつも、サチではなく牧瀬先輩に話す。  牧瀬先輩は私より五歳ほど長く生きてるだけあって、やはり何というか余裕がある。傾聴力が高い。自分の話はあまりせず、後輩の私の戯言を黙って聞いてくれたあと、優しい一言をくれたりする。場合によっては、冗談で笑い飛ばしてくれるときもある。  そして、結婚して子供もいるというのに、全然遅い時間まで付き合ってくれる。近所におばあちゃんが住んでいて、喜んで子供の面倒を見てくれるというのもあるらしいが、それにしてもノリがいい。  もしかすると、二十歳のころに付き合いだした旦那さんとそのまま結婚してしまったらしいから、家ではもう二人で話すネタがないのではないか、と思ったりもする。だから後輩の悩めるネタをおかずに、旦那とちちくりあっているのでないか、と勘案しているのだが、こちらとしては全然それでもいい。だが、旦那さんの顔は見たことないので、そろそろ見せてほしい。  私たちの仕事はタカヒロとのセックスのように、毎日流れ作業のような事務業務がメインである。たまにかかってくる面倒な電話対応が嫌だが、人数はそれなりにいるので自分に当たる可能性は限りなく低い。上司も外に出てることが多いので、見張られてる視線もない。おそらく外でサボってるんだろう。なんて呑気な部署だ。  同じ事務でも、激務であったり上司にずっと隣でネチネチ言われながら仕事をしている人も多いと聞く。私たちのように、木漏れ日の中でピヨピヨ鳴く鳥のように優雅に仕事している人は稀だろう。  だからだろうか。人生はうまいことできてる。全員がどこかで辛いことを味わっているのではないか。  私はそれがプライベートの恋愛面なのではないか。いや、もう恋愛でもない。かと言って、何と言えばいいのかもわからないが。結局は皆、どこかで負債を払わされているんだ。どんな幸福そうに見える人でも。  カタカタとキーボードを叩く音。静かに隣をうかがう。  牧瀬先輩も同じようなことがあるのだろうか。ナチュラルメイクだけど華がある顔。いや、華があるからナチュラルメイクができるのか。顔の大きさは私の0.8倍くらいなのに、目は私の倍くらいある不条理。その不条理を包み込む微笑。性格は温和で真面目。それでいて冗談も言えて気さくな、誰からも好かれる性格。自分は仕事ができるが、人にはそれを求めない優しさ。人を不快にさせない言動。したとしても鼻につかない程度の自慢。  それこそ、歯科医をしている高給取りの旦那と、さりげなく庭に鎮座すると噂の高級車。高級車が自分の庭にとまっている時点で、全然さりげなくはないと思うのだが、土日に外に出かけるときには、後部座席に先輩に似た可愛い子供たちがいるのだろう。見たことないけど。  たしか、上は小学生の男の子、下は幼稚園の女の子だとか。  きっと、家の中もお洒落かつきらびやかなのだろう。顔もよく見ると、主婦だけど自分のセンスは捨ててませんよ、という雰囲気で家具を海外から取り寄せたりして、リビングをショールームのようにしているカリスマブロガーのような顔をしている。もちろん、私のような庶民にはそんな特別な性質を見せない。普通の主婦。  でも、どうして先輩はここで働いてるんだろう? 旦那さんの稼ぎ的には働く必要なさそうなのに。家庭に入りたくない人なのだろうか。やっぱり、誰にでも何かしらの事情ってあるのだろう。もしかすると先輩も、働くことでなにかの負債を払っているのかもしれない。  そう、負債を払わない人なんていないのよ。いたとしても今だけ。結局、後々それを払う日が来るんだから。そういう意味では人生は平等なのかもね。  そう思い、あたりを見渡す。やつれた顔で上司が帰ってきた。そうか、あの人もただサボってるわけじゃないのかもしれない。
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