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所長室に通されて、所長のデスクの前に置かれた応接用のソファーに座らされた。お互いにさっき淹れたコーヒを片手に。
「新藤さん、君の営業成績に今年度も我が営業所だけでなく、我が社はとても助けられたよ。」
そう、今日から3月になった。今年度の決算の時期だ。
「いえ。家を売ることが仕事ですから。」
自分にとって、この仕事が苦に感じたことは今のところない。
「そんな新藤さんに素敵なお誘いがあるんだけど。」
素敵なお誘い?
「今度ね、関西の方、京都に新しく営業所ができるんだ。」
「はあ……」
「そこの営業所所長になる人がね、僕が目黒の営業所にいた頃の後輩で、初めて営業所所長になるんだ。もともと関西の出身だから、そっちでやってみないかって声をかけられて。でも、上手くやれるかすごく緊張していて、僕も彼のことはすごく可愛がっていたから、ぜひとも所長として良いスタートを切って欲しい。」
「そうですね。」
その気持ちは分かる。例えば、もし久保ちゃんがどこかの営業所で初めて所長になるって聞いたら、それはもちろん応援したいと思う。
「それで、新藤さんに彼を助けて欲しいと思っているんだ。」
「それって……」
「京都の営業所に異動してくれないかなって話。急に関西にってなるのは分かる。でも、君にとっても悪い話ではないと思うよ。新たな土地で学ぶことは多い。これから先のキャリアに繋がるのは間違いない。」
「でも、京都……。」
「もちろん、すぐに返事をとは言わない。慣れ親しんだ土地を離れるのだから。ただ、そんなに時間もないんだ。再来週には返事が欲しいかな。勤務するってなったら4月から異動になるから。急なことだし、大掛かりな引越しになるだろうから、新藤さんに負担をかけることは分かっているけど、彼を助けると思って、話に乗ってくれたら嬉しいな。2年ぐらいして彼の所長としての仕事が軌道に乗ったら、またこっちに戻ってくるように本部にも話はつけている。」
「……。」
「だから、転勤というよりは、自分自身の研修も含めて行くと思って欲しいな。君みたいなできる人が、一営業所の営業マンであるだけでは勿体ないからね。」
できる人と言われて、いつもなら「ありがとうございまーす!」なんて言って、喜んで返事をしていたのに。
だって、以前の私はこんな仕事をしているくせに、自分の住むところに拘りが強い方ではなかった。実家に帰るのは足が向かないけど、それ以外は仕事ができればそれで良かった。
都内に住む大学の友人とは距離ができてしまうけど、みんな結婚しだして、最近は少しずつ付き合いも少なくなっている。それに、関西にも地元に戻って就職した友人や、就職して転勤した結果、関西で暮らしている友人もいる。
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