第1話 呪いの子

5/8
前へ
/90ページ
次へ
 時々俺の生活を手伝いに来てくれる楔の話によると、屋敷には俺たちみたいな少年が五人ほどいるらしい。俺が彼に一番年が近くて、人数は増えたり減ったりするらしいが。  他の少年はそれぞれ部屋に監禁されていて、屋敷内を自由に移動できるのは楔だけのようだ。目が見えないから、逃げないと思われているのかもしれない。  玉髄が他のやつのところに行っている間は気楽なものだったし、そうでないときも、慣れてしまえば、それほど悪い仕事でもなかった。  あいつは確かに楔が言うように、気まぐれで残酷になることがあった。俺の体には、いつのまにか傷痕が増えている。それでも、定期的に出される茶になにか薬が混ぜられていて、それがあれば痛みを感じなかったし、なにをされても馬鹿みたいに気持ちよかったからだ。  でも、あまりあれは飲まない方がいいんじゃないか。<王国>で皆が噛んでいたカーファと同じだ。しばらく飲んでいないとイライラするし、気持ちが落ち込む。  俺は、机の上に置いてある茶器から中身を器に移して、自分より背が高いところにある窓に向かって中身を捨てた。窓には鉄格子がはまっているが、中身はそのまま外に飛んでいく。  数日前に茶を飲まずに仕事をしたときのことを思い出して、俺は憂鬱な気持ちになった。そのときの仕事は最悪だった。あいつに少し触られただけで吐き気がして、いつもと同じふりをするのにひどく苦労した。まだ治っていない体の傷も、やがて痛みが戻ってくるだろう。  それでも、このままの生活でいいわけがない。痛いものは、痛いと感じる方が正しいのだ。 「熱っ」  窓の外から声がして、俺は慌てて窓の方を見た。  そこには誰かいたらしい。俺が捨てた茶の中身が触れたのか。  <王国>から俺を連れ出したあの金髪の男が、鉄格子の向こうから顔を出した。髪が月に照らされて輝いている。  やばい。  俺はふざけて茶を捨てたふりをしようと、あえて明るい声を出す。いたずら好きな子供のように。 「お兄さん、濡れました?」  彼が鉄格子の間から俺を見下ろした。 「小僧、飲んでないのか?」  鋭い翠の瞳に見透かされているような気がして、俺は視線を逸らした。 「今日は、そういう気分で。あの、いつもじゃないです」  彼の形のいい唇の端が引き上げられて、少し、微笑んでいるように見えた。 「おまえは賢いな。大丈夫、誰にも言わない」  俺はほっとして彼を見た。 「俺は、痛いものは痛いと思う方がいいんです」  彼の鋭い瞳が少しやわらいだように見えた。 「そうだな。本当に苦しんでいる人間が言うなら、立派な考えだ」  本当に苦しんでいる人間が言うなら? 意味がわからなくて、俺は彼を見た。 「なあ、おまえは生きたいか」 「生きたい」  それは、俺にとってはいつも迷う必要のない問いだった。  俺は生きたい。生きて親に会って、自分が何者なのかを見つけだしたい。 「じゃあ、おまえの力で生きのびろ」  窓の鉄格子の隙間から、折りたたんだ薄いナイフが投げ込まれた。 「俺はこの屋敷の向かいの、緑の屋根の家に寝泊りしている。それであいつを殺してここを出られたら、誰にも見られずに俺のところに来い。そうしたら逃亡を手伝ってやる」  俺は慌てて、ナイフを拾って寝台の下に隠した。色々尋ねたかったが、彼の姿はもう見えなくなっていた。  俺は、隠したナイフを取り出して、そっと指先に押し当てた。血の玉ができて、指を滑り落ちる。切れ味は悪くない。  <王国>は出たかった。今はそこを出て、一応生活の心配はなくなった。屋根のあるところで寝られるし、食事も与えられるし、変だけど服もある。でもこれは違う。これは新しいところに囚われただけだ。俺はどこにも囚われたくない。  このまま、あの茶を飲み続けていたら俺はなにも考えられない人間になってしまう。<王国>でカーファを噛み続けていたやつらと同じだ。偽りの幸福に溺れて、現実を見なくなる。たとえそれが幸福な現実ではなくとも。  俺は外に出るんだ。
/90ページ

最初のコメントを投稿しよう!

32人が本棚に入れています
本棚に追加