幕間・船室にて

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幕間・船室にて

 船に乗って二ヶ月。  乗船券の空きもなく、今後いくら金が必要になるのかもわからなかったので、俺と灰簾は最下層の船底で生活している。寝台なんかない。夜になれば床に自分ひとりがなんとか眠れるスペースが、確保できるかできないかという環境だ。  毛布も一枚しか持っていないから、俺と灰簾はそこで毎晩お互いを抱きしめて小さくなって眠っている。  最初は俺が触れるたびに身を固くしていた灰簾だが、今ではあたりまえのように俺にしがみついて眠るようになった。仕方がない。お互いの体温がなければ寒いのだから。 (それはいいんだが……) 「灰簾?」  下半身の違和感に俺は目を覚ました。夜明け前か。周りのやつらは皆眠っているようだが、ひとり、俺の腹の上に乗っているやつがいた。  暗闇の中でもよくわかる際立った美少年。左頬にうっすら傷が残ったが、今は暗くてよく見えない。  灰簾だ。  俺に跨って、下半身をそっと撫でている。 「なにやってんだ」  俺は声をひそめて、地域語で尋ねた。  これは珍しいことだった。というのは、こいつは初対面から俺にずっときれいな大陸共通語で話しかけてきていたからだ。  この世界の言語は、住んでいる土地や自分の一族の種類で色々あるが、大きく分けると民族語、地域語、大陸共通語にわかれている。民族語は自分の一族の言葉、地域語は生まれた地域の言葉、大陸共通語は複数ある大陸で共通に用いられる、学校や仕事で使う言葉だ。  だから彼のいた<ゴミ捨て場>で共通語を話す子供はまずいない。彼の用いる地域語はたどたどしく、大陸共通語の方に馴染んでいるようだが、幼くして大陸共通語を使う人々は限られている。俺もそのひとりと言っていいが、俺たちがいた<黒き石の大陸(ニーグルーム・ラピス)>で、そんな人間は珍しい。 (まさかな……) 「あの、舐めましょうか?」  俺に合わせたのか地域語で、灰簾が恥ずかしそうにささやいた。玉随のやつにどう仕込まれたのか、その顔はやたらとエロくて、俺は思わず唾を飲みこんだ。  最悪だ。  こんなガキに、そういうふうに礼を返さなくていいって教えてやりたいのに。俺が興奮しているなんて。  それもこれも、俺はしばらく忙しかったし、今はこんな船なんかで他の人と一緒に寝ているから、自分を慰める暇もなかったからで。 「いらない。俺は、あと五年はっ、おまえとそういうことはする気はないから!」  俺は慌てて彼を自分から引き離すと、小声で怒鳴って背中を向けた。 「……琥珀、怒りましたか?」  背中にぴったりとくっついて、灰簾が聞いてきた。声だけで、しょんぼりしている様子がわかる。  いつも大人びた表情をしているが、こいつだってただの子供だ。俺が自分の欲情に動揺して声を荒げたのも気づかずに、大人を怒らせたと思って窺ってくる。こいつは単純に、俺に恩返しをしたいだけなのに、俺が怒ってしまったら、まったく意味がわからないだろう。 「怒ってないよ。そういうことは、大切なひとと以外はやることじゃないんだ。おまえは屋敷ではそういう扱いを受けてこなかったけど、俺は好きじゃない。身分が低い人間も高い人間も同じ扱いを受けるべきだと思うから、おまえも大人になるまでちゃんと扱ってやりたい」 「あの、俺は琥珀が大切です。だから、大丈夫」  ……大切じゃねえよ!  俺はまた怒鳴りそうになったが、こいつにとっては俺は命綱で、俺がいなくなったら困ると思って必死に違いない。  ずいぶん、ひどい目にしか遭ったことのない子供だ。あの街ではそんな子供ばかりだが、優しく話してやらないと伝わらないだろう。  俺は振り向いて、灰簾の頭を撫でてやる。 「子供に手を出さないのが大切にするってことなんだよ、灰簾。大丈夫、俺はおまえがそんなことをしなくても、見捨てたりはしない。おまえが親を見つけるまで、俺たちは仲間だろ?」 「仲間……」 「な?」 「はい」  灰簾はやっと子供らしい笑顔を見せた。エロい顔のおまえより、そっちのおまえの方がかわいいよ。  だけど、俺がたくさん笑えって言っても、無理に作らせた笑顔じゃ意味がない。こいつが自然に笑顔でいられるように、もっと俺が考えていけばいいんだろう。  今までずっと逃げることに精一杯でこいつに構う余裕がなかったが、こいつはまだまだただの子供なのだった。  港に着いたら、少し観光していくのもいい。きっと<ゴミ捨て場>以外のところなんてほとんど見たことがないだろうから。  そう思った自分に俺はちょっとびっくりする。俺だっていつかは、こいつを利用するつもりなのに。なに、兄のような気持ちを抱いているのだか。まあそれまで、こいつを不幸にさせる必要もないのだけれど。一緒に旅する仲間は、楽しそうな方がいい。 「おまえはなにも気にしないで、おやすみ」  俺はいつものように腕の中に灰簾を抱きよせた。額に軽く唇を落とす。ぎゅっと抱きついてくる感触がある。そんなふうに子供になつかれるのは、古い、誰かをいつくしんだ記憶が揺さぶられる。  そういえばまだ下半身が元気なままだったのを思い出したが、俺はそのまま目を閉じた。 幕間・船室にて/終
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