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「コーくん!」
悲鳴じみた声がまた別な方角から響いてきた。
「マンマ!」
こちらが振り向くのと若草色の野球帽が駆けていくのが同時だった。
「勝手に階段登ってっちゃダメって言ったでしょ」
手にした緑色の小さな長靴を我が子に履かせながら、息子と同じ黄色の五分袖Tシャツに紺色のデニムのワイドパンツを履いた母親はどこか底に固いものを潜めた笑顔でこちらに頭を下げる。
「すみません、うちの子が一人で二階に行っちゃって」
「いえいえ」
こちらも買ったばかりの虹色の傘とエコバッグを持って立ち上がった。
ズシリとエコバッグの取っ手が指に重く食い込むのを感じつつ、何でもない風な笑顔で続ける。
「お子さん、もう一歳ですよね」
部屋のある棟は違うが同じマンションに住んでいて、時々ロビーやエントランスでも擦れ違うから知っている。
「ええ」
幼い息子の肩を引き寄せて強いられたように笑い返す相手の目は買ったばかりの傘とエコバッグを手にした自分とその背後に広がるベビー服売り場に注がれている。
その眼差しに痛ましい色が走るのが認められた。
「じゃ、失礼します」
相手から立ち去られる前にこちらから踵を返す。
新品の服の糊臭い匂いがツンと思い出したように鼻の奥を突いた。
傘だけ買ってすぐ帰れば良かったのに、どうして長居してしまったのだろう。
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