若手新聞記者、マルコム・エヴァンス

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若手新聞記者、マルコム・エヴァンス

「エヴァンス君」  努めて感情を押し殺した声で自分の名を呼ばれ、マルコムは緊張で身を強張らせた。  王都の一角に居を構える民間企業、『ハイタウン・タイムズ』。その名の通り、タイムリーなネタの数々で市井を賑わせている人気の新聞社。普段は活気溢れる職場も、しかし今は葬儀場のように静まり返っている。  机を挟んで椅子に座るこの目の前の上司は、こめかみに青筋を浮かべながら射抜くような目付きでこちらを睨んでいる。彼から発せられる静かな怒りのオーラは、自分達だけでなく部屋全体を包んでいるかのようで、周囲の同僚達は皆固唾を呑んで成り行きを見守っている。 「君は、自分が何をやったか理解しているのかね?」  抑揚のない、というよりあえて付けていないと思われる声音で、上司はマルコムに問う。トレードマークである黒縁眼鏡の奥から覗く大きな目玉には、抑圧された激しい感情が熾火のようにチロチロと燻っている。冷静な態度ではあるものの、少しでも返答を間違えればたちまち烈火の如く燃え上がるに違いない。  心の中で深くため息をつき、マルコムは悄々と口を開いた。 「……はい、充分に承知しております」 「よろしい、では具体的に何をしたか言い給え」  そこまでわざわざ言わせるのかよ、とこれまた心中だけでボヤきつつ、命令されるがままに言葉を吐き出す。 「俺……いえ私は先日、自分の一存で闇商人達の麻薬取引現場に踏み込み、大立ち回りを演じた挙げ句に市警当局の九ヶ月に渡る潜入捜査を台無しにしました――」  はっきりと口にしたことで、自分のしでかした失態が改めて重くのしかかって来る。後悔したところでもう遅いが、あの日もっと注意していれば――などとどうしても考えてしまう。  王都に蔓延る非合法麻薬の闇ルート。それがここ数ヶ月の間に自分が追っていたスクープだった。警官隊から白い目で見られるのも意に介さず、方々に足を伸ばしてひたすら地道な聞き込みや張り込み調査を続けて、ついに先日取引現場を押さえるに至った。……そこまでは良かった。  本当にドジを踏んだ。うっかり物音を立てて連中に気付かれた。殺されてたまるかという思いで一杯だった。元々腕っぷしは強くガタイにも恵まれていた上に、いざという時の備えとして短銃も懐に忍ばせていたお陰で、特に怪我を負うこともなく修羅場を潜り抜けた。連中を撒いたと確信した後、生き延びたという安堵と数ヶ月の調査を不意にしたという深い落胆を胸に抱えつつ、家に帰って寝た。  ――そして今に至る、というワケだ。あの時悪党どもの追撃が激しくなかったのは、現地に居た市警の潜入捜査官達が正体を現して戦ってくれたからだった。善良な市民の生命を守る為に、将来有望な二人の若手捜査官が発奮して悪党どもと銃撃戦を繰り広げ……結果としてひとりは右手の人差し指と中指を喪い、もうひとりは膝の骨を砕かれるという重傷を負った。そして、彼らの血と汗と涙を振り絞った潜入捜査は水泡に帰した。  誰がどう見ても取り返しのつかない失敗だった。弱冠二十三の齢でよもやこれ程までの大事件に関われるとは思わず、有頂天になったのがそもそもの失敗だったのだろう。もっと慎重な行動を心掛けていれば防げた事態だった、と言われれば反論の余地がない。 「市警当局は怒り心頭だ。裁判所に掛け合って、我社の業務停止命令を出させるとまで息巻いている。重要な捜査を潰された上に身内が病院送りになってこのままでは示しがつかん、というのが向こう側の主張だ。君の逮捕を検討する声も上がっている、とも聴いている」 「…………」  言いたいことは自分にだってあるが、マルコムはぐっと堪えて上司の言葉に耳を傾けた。どうせ言い訳と切って棄てられるだけだし、客観的に見て自分に非があるのは明らかだ。  何より、当局に睨まれた以上、民間組織である新聞社ではどうすることも出来ない。相手は御上、元々交渉できる相手ではない上に今回は状況が状況なのだ。どのような決定が下されようと、小市民に過ぎない自分達はそれに従うしか無い。  けれど、どうしようか。このままでは良くて解雇、最悪逮捕だ。そうなったらもうおしまいだ。折角念願の記者になれたというのに――。 「……しかし、君は運が良い」  マルコムが唇を噛み締めて絶望を味わっていると、俄に上司の調子が変わった。怪訝に思って顔を上げると、相変わらず苦虫を噛み潰したような顔ではあるものの、フレームの向こうで僅かに細められた目からは若干怒気が薄らいでいる気がした。 「当局のお偉いさんが君に目を留めたようだ。たったひとりで独自に闇ルートを洗い、あの取引現場を抑えた手法に感心したらしい」 「え? それって……!」  風向きが変わった気配を感じ取り、マルコムの眉が晴れる。  が、先走る喜びを押し止めるように上司が厳として言葉を被せた。 「此処からずっと北西にあるグラッドストン市を知ってるな?」 「ええ、そりゃまあ……。ケルタリア海に面する、我が国でも有数の物流量を誇る一大港湾都市ですよね?」  喜びを覚えたのも束の間、突然そんなことを言われてマルコムは訝しむ。  グラッドストン市なら改めて言われるまでもない。非合法麻薬の王都流入経路として目を付けていた候補地のひとつだ。調査の結果は、シロだったが。  だと言うのに、一体それがこれまでの話とどう関係するのだろう? 「先日、その貿易港から少し離れた場所で奇妙な殺人事件があったらしい」 「……は?」  何やら雲行きが怪しい。嫌な予感を覚えてマルコムの頬がひきつる。 「事件解決の為に動いている、現地の捜査官から要請があった。君は即日同地に出立し、先方と合流して協力するように――とのお達しだ」 「何故にっ!!?」  思わずマルコムは叫んだ。いくらなんでもありえない話だ。 「捜査に協力って、俺はその事件とは何も関係ありませんよ!? グラッドストン市に取材に出向いたのは、かれこれ二ヶ月近く前です!」 「参考人としての招致では無い。現地の捜査官に協力して、合同で捜査に当たれ――と、まあそんなところだ」 「はあっ!!?」  呆れとも怒りともつかない、素っ頓狂な声がマルコムの喉から絞り出た。 「俺は民間人ですよ!? 警察が民間人を巻き込むんですか!?」 「先に首を突っ込んだのは君だろう?」  マルコムの抗議を、上司は冷たく突き放した。机の上で腕を組み直し、据わった目付きで威圧するように睨みつけてくる。鋭い眼光を後押しするように、眼鏡のレンズが部屋の光を反射してキラリと光った。 「お偉いさん直々のご指名なんだ。今回の捜査に協力し、成果を上げたら先の失態は帳消しにしてやろうと言ってきてるんだ。勿論オフレコだがな。噛み砕いて言っといてやるが、これは破格の条件だぞ? 君への怒りで燃える他の警官達を抑えた上で、尚且君の嗅覚を買ってもらえてるんだぞ? 受けなきゃどうなるか、分かっているんだろうな?」 「ぐっ……!?」  痛い所を衝かれる。この条件を断れば、解雇→逮捕→裁判→実刑の囚人コースまっしぐらだ。社会の最底辺に向けての逆出世街道邁進なんて、頼まれたって御免だった。そんなことになれば、もう二度と記者としては生きられなくなってしまう。 「で、ですが部長! それって法的に問題は……!?」 「“市警等の治安維持組織は、必要に応じて非常時における民間人の徴用権を暫定的に行使出来る”――。我が国の法ではこうなっている。何ら問題は無い」  最後の逃げ道も潰された。王国法に抵触してないとまで言われては最早抗弁も成り立たない。  マルコムの住むこの王国は、およそ数百年にも及ぶ歴史を持つ大国である。国土の規模こそ他所の国々と比べても下から数えた方が早いくらいだが、近年に至り産業革命を成し遂げた影響で爆発的に国力を高め、積極的に外地に進出して植民地を増やしながら発展していった。高まる国際的地位と共に国内の法整備も着々と進み、国民は例外なく平等にこの法の下で管理される。  曲がりなりにもお天道様の下を大手を振って歩ける人間であるマルコムに、法を蔑ろにする度胸は無い。 「わ、分かりました! 行きます! 行って汚名返上してきますっ!!」  結局、選択肢は最初からひとつしか無い。マルコムは半ば自棄っぱちに、高々と承諾を宣言したのだった。  ――マルコム・エヴァンス。新聞社『ハイタウン・タイムズ』に所属する新人気鋭の若手記者。  ある理由を胸に真実を追い求める世界へ飛び込んだ彼は、これから待ち受ける数奇な運命をまだ知らない――。
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