1.無い袖は振らない。

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◇◇◇◇◇  マンションの階段を体を引きずるように登る。一日中外にいる体力ももうない。年季の入ったマンションも内装はリフォームされていて綺麗だ。人もそうやって簡単に変えられたらいいのに。  短い廊下を歩くと、自宅の一歩手前で何かを蹴り上げた。  バサリと紙の束が落ちる音がして、足元に倒れた手提げの紙袋から、封筒が辺りに散らばっていた。  えーーーー! こんなところに、なんで置くの!!  しゃがみ込み、散らばった封筒を袋に入れる瞬間、つい目に飛び込んできた。高級紙の封筒、墨で書かれた達筆な文字。結婚式の招待状だとすぐに分かる。  散らばった量だけで、おおよそ20便はある。裏には、瀬戸 剛 相良 梨乃 と、並んでいる。  梨乃(りの)……さん。  隣人の電話のやり取りを思い出す。  結婚するんだ。  なんだ、ただのマリッジブルーで揉めてただけか。  呆然と眺めていると、マンションを登る音が聞こえて咄嗟に振り返ると、見慣れたラフな格好の若者がいた。 「なにやってるんですか?」 「いや、あの…」 「中身、見ましたよね」  この状況で流石に嘘はつけない。 「すみませ……」 「全くこんなとこに置いとくなよな、アイツ〜」  そう言いながら、頭を抱えている。 「すみません、大切なものを……」  そう言いながら、立ち上がり手提げ袋を差し出す。 「いや、もういいんですよ」 「いいって……彼女も実際、こうして招待状を持ってきてくださったんですから、きっと謝りたいとおもいますよ」  渋い顔つきで、紙袋を受け取ろうとしたとき、よく通る高い声が聞こえた。   「あーいたいた! なんで電話に出てくれへんの」  彼の顔は引き攣っていた。 「あらー、はじめまして。梨乃さん?」 「え、あの……ちが……」 「なんだ、おかん。どうしたん? 明日だったはずやろ」 「いやあんた、明日は台風来るみたいやから、今日にしたん」 「はよ言えよ、そういうことは」 「別にあんたの部屋が汚いことだって知ってるさかい。はいはい、入ろ入ろ。あ、梨乃さん、もう帰るところ? もうちょっとどう? あら。これ、結婚式の招待状? もしかして出しに行くところやったん?」 「いや、あの……」  ここで、招待状の紙袋を抱えた私が梨乃さんではないと言った場合の言い訳が思いつかない。 「ああ、ええよええよ。わたしが出してくるわ」  紙袋を流れるように取り上げられた。  彼は頭をバサバサと掻いて、お母さんを家の中に押し込み、扉を閉める。  廊下で、眉間を押さえながら、何か考えること数秒。 「とりあえず、梨乃を演じてください。お願いします!」   頭を深々と下げられた。 「はぁ……でも、いつかはバレますよ?」 「それは、なんとかします。今日だけです」  蹴ったことも事実。プライベートに盗み聞きしたことも事実。なにより、この状況で、本当のことを言えない気持ちもわかる。 「わかりました。今日だけです」 「マジで助かる!」  ホッとした顔で、彼はありがとうと何度も頭を下げた。  部屋へと一歩足を踏み入れる。  異性の部屋に入るなんて何年振りだろうか。
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