1.無い袖は振らない。

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 彼の部屋は私の部屋と同じ間取りのようで、廊下の途中にある3つの扉はトイレ、バスルームとベッドルームに繋がるものだと分かる。壁紙も廊下の色調も一緒だ。玄関の片隅に資源ゴミが積み上がっている。  避けるように、靴を脱いで行儀良く並べる。   「あ、梨乃は相良(さがら)梨乃(りの)って言います。病院の受付やってます。年齢は25です」  さらりと、個人情報を教えられる。 「ちょっと、待ってください。25歳なんて……私、38ですよ。バレたらどうするんですか!」 「大丈夫、年齢なんてあってないようなもんです」  いや、そんなことない! と、心の中で毒づく。 「いやいやいや、13歳って一回り以上ですよ!?」 「干支は一緒ですね」  だからなに!? なんなのこの人。 「あ。オレのことは、(ごう)って呼び捨てで」 「呼び捨て!?」  つい、声が張る。 「ちょっと静かに!」 「ごめんなさい。ただ、その……初対面の方を振りとはいえ呼び捨てとか……」 「恋人なんですからそのくらい普通ですよ。梨乃はそう呼んでます。それに、結婚前の男女が剛さんとか、他人行儀でしょ」 「こ、、恋人……たしかに」  うだうだと考えていると、躊躇した声で尋ねられた。 「……あの、失礼ですけど、付き合ったこ……」 「あります!」 「……ふふ……なら、大丈夫ですよね?」  つい意固地になって、力強く反応したことが面白かったのか、彼は、嫌に意地悪な顔で笑った。漏れそうな声を手の甲で抑えながら。それは、家と仕事を往復するだけの私には、テレビ越しのバラエティ番組でしか見たことのない表情だ。  馬鹿にされた笑いなのに、うれしいと思った。  職場でも、男性とは極力仕事の話ししかしない。まして笑い合う会話なんてもってのほかで。  あの日、婚活で出会った一番さんみたいに、コミュニケーションツールの一つとしての優しい笑顔じゃない。もちろんそれだって十分にうれしい。だけど、自然に出た笑いを悪戯に押し止めるような。私はそういったものに、ここ何年も接してこなかった。  自分の発言にこの人は、どんな心情であれ心から笑ってくれた。 「分かったわよ。剛ね、剛」  結婚予定の、しかも若者に、これ以上の深入りはよくないと、気持ちを切り替える。気合いを入れて突き当たりの扉を開けると、キッチンとリビングが広がる。  部屋の中は、とても片付いていた。家具も少なく、ダイニングに置かれた四人掛けの足が長いテーブルだけだ。そこから部屋をぶち抜いた先に、50インチはくらいのテレビが壁に張り付いている。  お母さんがなれた手つきで、ベランダを開けながら、遅いなぁと、毒づいていた。 「ちょっ……おかん、暑いからしめぇ」 「何言ってんのあんた、換気換気。5分だけ開けとくで」  面倒臭そうに、剛は冷蔵庫から取り出したお茶をコップに注いだ。一人暮らしには大きすぎるファミリーサイズの冷蔵庫があるが、台所に生活感がない。同棲していた彼女が出て行ってしまったからかな。  リビングの入り口でたじろぐ私は、グラスを渡されてダイニングテーブルへ勧められた。
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