1.無い袖は振らない。

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 早々にダンボールを抱えて、扉を音を立てないように開いた。隣人に気づかれていない可能性だってある。  ふと、目線の先に何か黒いものが見えた。  隣の部屋の扉に張り付いている。それが、『G』と呼ばれるものだとわかり、目が離せなくなった。  これはヤラなきゃ……ヤラれる。  今、部屋に戻って殺虫剤を持ち出して戻ってきたとしたら、見失ってしまうかもしれない。いやしかし、素手は無理がある。  ジリジリと睨み合っていると、その扉が開いて、Gとの距離が近くなり、咄嗟に叫んでしまった。 「うぉっと! こんばんは」  隣人が驚いた声で開いた扉から、顔を出して目線が重なる。  何事かと彼も怖がりながら私を見た。そっと指を扉へと向けると、慎重な動きで出てくると扉を外から閉めた。  見た目は20代後半くらい。Tシャツにハーフパンツにサンダルというラフな格好だ。右手には財布のチェーンを手首にぶら下げている。  扉を閉めた瞬間、Gが彼に向かって羽ばたいた。彼は器用に避けると、Gは廊下の脇の手すりに飛び乗った。 「あー、ゴ◯◯◯」 「言わないでください!」  恐怖が勝った私は咄嗟に強い声が出た。 「いやいや、現に召喚されてますよ」  先ほどの訛りを感じさせない標準語で彼は話した。 「殺虫スプレーを取ってきます。見張っていてくださいませんか?」 「えーー、かわいそうだし」  興味のなさそうな表情で返されるが、引き下がるわけにいかない。 「そんなこと言ってる場合じゃ…」 「逃がしてあげましょうよ。部屋にいないのに、こいつらからしても共有スペースなんだから」 「な、なにを呑気な……」 「呑気な状態じゃないですよ。さっきの今でお隣さんと対面して恥ずかしくて穴に入りたいくらい。せっかく配達が帰ったのを見届けてから開けたのに。聞いてましたよね、あれ」  あれ? とは、さっきの電話の話に違いない。 「……いやいや、何も聞いてません!」  大慌てで、かぶりを振る。 「今の間、なんですか。ウソっぽいなぁ」  軽薄な口調でそう言う彼の目線が遠くに流れた先に、手すりから外へとGは暗闇へ溶けていった。 「これで安心ですね。で、どうなんです? 悪意があって聞いていたのなら、こちらとしても考えがあります。正直に話してくれたら、咎めたりしません」 「悪意って、だいたい、あんな毎日、ベランダで話してたら聞こえて当然で……」 『あ……』  言葉が同時に重なり、彼の顔が石油ストーブみたいに赤くなった。
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