3、サファイアブルーの水槽-3

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3、サファイアブルーの水槽-3

「その服、今日買って来たの」  風呂場から出た佑輔は乱暴に頭をバスタオルで拭きながら、郁也にそう訊いた。 「うん。まほちゃんに選んで貰って。どう、かな」 「うん。可愛いよ」  郁也は頬がポッと熱くなったように感じた。 「あ、今日、まほちゃんに、『新生活はどう?』って訊かれて、『アタマおかしくなるくらい幸せ』って答えたら、すっごく呆れられちゃった」  照れ隠しに思い付くままのことを喋ったら、更に照れ臭くなってしまい、郁也はその場で顔を伏せた。耳まで熱い。 「郁」  佑輔が郁也の頭に手を載せた。石鹸の香りがシャワーに温められた佑輔の体温に強く漂う。 「本当にそう思ってる?」 「佑輔クン……」  郁也は顔を上げた。佑輔の焦茶の瞳が郁也を覗き込んでいる。郁也は何も言えなくなって、ただこくんと頷いた。  きゅるるるるる。佑輔の腹の虫が盛大に鳴り響いた。 「ああ、ハラ減ったー」 「あはは。夕ご飯出来てるよ」 「悪いな、いつも支度させちゃって。俺も覚えるから」 「そうだね。自分で出来ると便利だよね」  松山は自炊に慣れていないので、講義が始まる前から学食生活だと言っていた。メニューは悪くないが、毎日続くと飽きるだろうと郁也は思う。特にああいう、画一的な味は。  佑輔の食べっぷりを、郁也はまた堪能出来る。これを見ていると、自分の食べているものも美味しく感じて、郁也は前より食が進む。  そのせいか、段々丈夫になって来たようだ。この冬は一度も風邪を引かなかった。 「バイト、何やって来たの」 「玉ねぎ」 「玉ねぎ?」 「そう。玉葱の選別と出荷。みんな『玉ねぎ』って言ってる」 「ふーん」 「貯蔵されてた玉葱がベルトの上を流れて来て、それをサイズ毎におばちゃんたちが選別するのを、俺たち野郎が箱詰めして、運んで、コンテナに載せたりさ。モロ肉体労働だったよ」  時給に割り返すと別に美味しいバイトじゃないけど、今日みたいに空いた日一日使えることと、バイト代が即金で貰えることが魅力だな、と佑輔は食べる合間にそう言った。 「ほら、今日の稼ぎ八千四百円」 「わあ、すごーい」  郁也は箸を脇へ置いた。 「お疲れさまでした」  そう言って頭を下げる郁也に、佑輔は「生活費のプール缶に入れとくよ」と立ち上がった。 「ええ? いいよぉ。今月随分掛かったじゃない、ふたりとも。しばらくは今あるお金で持つから、それは佑輔クン自分で遣いなよ」  缶の中には、郁也の父が置いて行った金の残りがまだある。だが、佑輔は稼ぎを全て缶へ収めた。郁也は気遣わしげに祐輔を見た。 「佑輔クン」  佑輔は再び箸を動かした。大口を開けて抛り込んだ煮物をもぐもぐやって、呑み込んだ処で口を開いた。 「自分で遣うんだったら、あんな労働出来やしないよ」  佑輔はまた凄い勢いで食べ始める。 「あ、そうだ。松山君からメール来てたよ。佑輔クンのとこには?」 「メール? どれ。ああ、来てる。何? 明日の夜?」  同じこの街に住む、学院での同級生の矢口と明日日曜の夜、外で会わないかという誘いだった。 「明日かあ。玉ねぎ明日も入れて来ちゃったんだよな」 「時間的には余裕じゃない? 帰って、シャワー浴びてこの時間でしょ。でも、佑輔クン疲れちゃうよね」  「郁は行ってみたい?」 「別に、どっちでもいいけど」  顔を合わせるのが松山と矢口なら、郁也は今日買った女物の服を着てみたかった。キレイな格好で、この都会の夜を歩く。憧れに胸が一杯になる。 「……ちょっと、行ってみたい、かも」 「じゃ、行こう」  佑輔はにっこり頷いた。 「松山君に電話してみる」  郁也はケータイを取り出した。 「あ、松山君。うん。明日のことなんだけど。……うん、行くよ。佑輔クンとふたりで。……うん、そう……。うん」  佑輔は箸を置いて台所に立った。薬缶を火に掛け、茶を淹れる用意をする。 「……分かった。六時半に、S野のスタバの前ね。了解。じゃ」  郁也は通話を切った。 「六時半?」 「うん」  松山が言うには、ちょっと訳ありで、矢口がオヤジさんのツケの利く店を利用して遣りたいと思っているらしく、人数は多い方が有り難いらしかった。  松山は、 「どーせ矢口のヤロウが女っ気なくいる訳ないしよぉ、面白くないから橋本さんも誘ったぜ。それから田端にも声掛けた。どっちも来るって」 と言った。「どうせ矢口の驕りならさ、とことん驕らせてやろうと思って」とのことだ。  郁也はがっかりした。田端はともかく橋本が来るのでは、キレイな格好は出来ない。 「どうした、郁」  しょんぼりしている郁也に佑輔が気付く。 「……今日買った新しい服着て行けると、思ったの」  佑輔は湯飲みをふたつ、テーブルに置いた。 「それはよかった」 「え?」 「その脚を、ほかの男に見せるの、勿体ないからな」  郁也は正座が出来ない。こたつに向かうときいつも脚を崩して座る。明るい花柄の春物のスカートから、細い脚がにょっきり出ていた。  郁也は恥ずかしくなった。 「あ、ボク、顔洗って来る。ついでにお風呂も入っちゃうね」  そそくさと郁也は風呂場に引っ込んだ。 (人数多くていいんなら、まほちゃんも誘っちゃおうかな)
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