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3、サファイアブルーの水槽-5
果たして真志穂は来るだろうか。
引き籠もりの生活から、専門学校に通うまでに回復して丸一年。真志穂は松山と矢口、それから当然佑輔とは面識があるが、知らないひとのいる知らない場所に、顔を出せるだろうか。
郁也は無理しなくていい、とメールして置いた。
(来たくなったら、来て見て。驕りらしいから)
郁也はそう送ったのだが。
田端が現れ、殆ど同時に真志穂もやって来た。
「ご無沙汰してます、お姐さん」
背筋をピンと張って松山が挨拶をした。真志穂はそう緊張した素振りもなく、「えーと、松山君だっけ、矢口君だっけ」と首を捻った。
「松山の方です」
「ああ、御免御免」
そうした会話を、郁也は落ち着かない気持ちで聞いていた。佑輔にそっと「去年の学祭前に、一度ね。その、彼がメイク教えて欲しいって。ほら、あのとき」と耳打ちした。
「ああ。成る程」
佑輔は特に気分を害した様子もなかった。郁也はほっとした。
初対面同士を軽く紹介し合いながら、松山の先導で彼らは矢口の待つその店へ向かって街を横切った。
学院祭の中でも、彼ら学院生にとって最も重要なのはクラス対抗の仮装大会であった。
一年、二年と郁也は個人賞である「仮装大賞」を連続受賞した。並み居る上級生を押し退けての快挙であったが、三年次、彼らは今年こそクラスの勝利を狙っていた。
ヒロインをいかに美しく出来るか。その重要課題に挑み、ヘアメイク担当の松山は真志穂に彼女が郁也にメイクするところを見せて貰ったのだった。
妖精のように愛らしく仕上がった郁也を自慢したくて、松山と矢口は郁也を高校生のパーティーに連れて行った。
そこで郁也があまりにモテたため、さすがにまずいと思ったふたりは慌ててそこへ佑輔を呼び出した。
真っ白な膝上のふわふわのドレス。幾重にも重なったレースのフリルの裾と、白いストッキングの上端のフリル。
郁也が動く度にそこにちらちら隙間が出来て、ほんのり浮かび上がった血の色が覗いた。
大きく開いたデコルテは白い羽で縁取られて、突然目の前に現れた佑輔の姿に、高鳴る郁也の胸の動悸がそこから見られてしまうのではないかと郁也は思った。
あれも夢のような一瞬の記憶。郁也の幸せを彩る、記憶の宝石だ。
飲食店の入るビルをエレベーターで五階まで上がる。郁也がエレベーター内の案内板を物珍しそうに眺めていると、エレベーターは衝撃なく止まった。
五階はワンフロア全体を一軒の店が占めていた。松山が扉を開いた。
「おお、いらっしゃい」
きゃあきゃあうるさい数人の女のコに囲まれて、矢口がソファから大きく腕を振った。ほかに客はいない。
「おう。皆様お誘い合わせの上お越しになって遣ったぜい」
松山がふんぞり返って近付いた。その様子に橋本が転げ回る勢いで笑った。
「こりゃお揃いだな。ありがとう」
矢口は立ち上がって彼らを出迎えた。真志穂には「ご無沙汰してます。その節はどうも……」と礼を欠かさず、初対面の橋本にはその手を取って口づけせんばかりに歓迎し、そして。
「田端君……。君かあ。これは驚いた」
矢口はしばし言葉を失った。
田端は「やあ。押し掛けちゃって御免」と頭を掻いた。
「何を言うんだ。却って助かるんだ。会えて嬉しいよ」
矢口は田端の肩を叩き、全員を奥の広いボックス席に案内した。
途中賑やかにまとわり付くお姉さんたちには、「お前らうるさいよ。こっち来んなよ」と軽く睨み付けて通り過ぎる。
佑輔はその様子に眉をひそめた。
「すっかりハレムだな」
矢口は横目で佑輔を見返した。
「俺は自分の貞操は自分で守らなくちゃならんからな。時には弾幕も必要さ。学院出てひとり暮らしを始めたら、諸方面からの攻勢が一気に強くなった」
矢口はかつて、自分の父親の権力、財力、政治力を目当てに、娘をあてがおうとする親たちについて郁也にこぼしたことがある。
御曹司でいるのも大変だなと郁也はそのとき思ったものだ。
矢口のもうそのままホストで食べて行けそうなきめ細かな心遣いは、そんな生活の中で身に付けられたものだと知ると、何だか痛々しかった。
誰のことも大切にして、特定の誰かと仲良くならないようにする技術だった。根っから優しい男のコなのだ。
「みんなが幸せな家庭生活を送ってる訳じゃ、ないってこと」
矢口は「家庭生活」のところを強調して、佑輔の背中をばしんと叩いた。
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