5、インジゴの夜に-5

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5、インジゴの夜に-5

「郁……」  もう、どうしてこのひとったら、ボクの願った通りの反応をしてくれるんだろう。  佑輔は「白夜の国のお姫さま」になった郁也を見ると、何も言わずにその場に佇み、何秒も何秒も郁也を見つめ続けた。  業を煮やした松山に「おいっ。眠ってんのか」とどつかれるまで、食い入るように郁也を見つめて黙っていた。 「……いや、寝てないよ」  松山への返事にも全然気が入っていない。郁也は裸身を見つめられるよりも恥ずかしくなり、真っ赤になって下を向いた。 「もう、こいつらの鈍いテンポには付いて行けねえよ。あっち行こうぜ。お前ら勝手に好きなだけやってろ」  そう吐き捨てて、松山は残りのメンバーの肩を押して奥のボックス席に収まった。  集まったメンバーは松山、佑輔それに田端。矢口は連絡付かなかったが、土曜なら放って置いてもこの店に顔を出すようだ。  真志穂も松山も、ふたりを揶揄うように笑って、賑やかに移動した。松山に肩を押された田端が、行き掛けにちらっとこちらを見たような気がした。 「佑輔クン」 「座ろうか」  佑輔は郁也にカウンターの椅子を引いた。郁也がしゃなりとそこへ落ち着くと、静かに隣に腰掛けた。 「ボク、もう、十八なんだ」 「うん」 「でも、まほちゃんは、『まだまだ大丈夫。キレイだよ』って」 「そうか」  佑輔は出て来た飲みものをひとくち飲んで、「良かったな」と笑ってくれた。 「ボク、どんどん、男のコになってくんだね」 「郁」 「ひとから見ても、もう、すっかり、普通の男のコなんでしょう、ボク」  佑輔は笑った。 「その姿を見て男と思うヤツはいないと思うぞ」 「佑輔クンたら」  郁也も思わず笑ってしまう。郁也は皿からチョコレートをひとつ摘み、ぷるっと光る唇に入れた。 「郁」 「なあに?」 「後悔してるか」 「え」  郁也はゆっくり佑輔を見た。 「『何』を?」 「ん……その」  佑輔は口籠もった。鼻の頭を数回掻いて、しばらくしてからようやく言った。 「あのとき、身体に手を入れなかったこと」 「佑輔クン……」  郁也は息を呑んだ。 「どうして。どうしてそんなこと言うの」 「俺の我が儘だったかな、と思って」  郁也は首を振った。 「ううん。そんなことない」  だってボク、決心、付かなかったんだもの。  確かに郁也は考えていた。 「事故」で入院した後、そのまま学院には戻らず手術をして、女のコになってから大検をパスし、一年遅れくらいで大学に進学すれば。家から遠い地方の大学を選べば、誰にも知られず違和感もなく、もしかして女のコとして生きられるかも知れないと。  だけど。 「ボク、佑輔クンが好きだったから。もう佑輔クンに会っちゃ駄目なんだって思ったら、なるようになれって思ったけど。だけど佑輔クン、来てくれたから、ボクのところに」  病室のベッドの上で、郁也は初めて「好きだよ」って言って貰った。憧れてた、大好きな、初めて郁也を抱き締めてくれた男のコに。  一生、どんなに願っても、絶対自分の許には訪れっこないと絶望していた幸せを、あのとき郁也は手に入れた。これ以上願ったら罰が当たる。 「女のコになったらなったで、一生そういう目が付いて回る。どんなに隠しても、なにかある度にひとは噂するでしょう。今後世の中はよくなっていくかも知れないけど、少なくとも今はそうだよね。ボクはきっと、そういうの耐えられないから。それくらいなら、男のコのままで、ボクの中身を隠して生きる方がきっとラクだよ。ボクの中身は、佑輔クンだけが知っててくれれば、もうそれでいいんだ」  それに母も父もまほちゃんも、オマケに、松山君、矢口君、中野君、横田君……。郁也は自分の性質を理解してくれた友人たちの名前を挙げた。最後に須藤の名前まで。 「みんな、分かってくれてるんだ。それだけで、ボク幸せだよ」  本当にキレイだった頃のボクの姿を失っていくのは、ちょっぴり残念だけど。郁也はそう言って笑った。  でも、女のコになっても歳は取る。失っていくことには変わりがないんだ。 「郁」  佑輔はじっと郁也を見つめた。その目は悲しそうで、何かをぐっとこらえているように見えた。 「どうして佑輔クンがそんな悲しそうな顔をするの。ボク、今とっても幸せなんだよ。それは佑輔クンだって分かってるでしょ」 「うん」 「ボク、ゲイのひとから口説かれそうになったんだ」 「何」  佑輔の顔から血の気が引いた。 「どこのどいつだ」 「もう、これだから。落ち着いてよ。だから嫌だったんだ。これからも生きて行くと、色んなことがあるよきっと。その度にそんな反応されたら、ボク、言わなきゃいけないことも言えなくなるじゃないか。佑輔クンはボクが大事なこと、全部秘密にしてしまってもいいの?」 「うう……」  そう言われると反論出来ない。佑輔は唸った。郁也は佑輔の腕を愛しげに擦った。 「そのひとはボクのことなんか全然好きじゃなくて、好きなタイプでもなかったみたいなんだけど」  「じゃ、何でちょっかい掛けて来るんだよ」 「さあ。珍しかったんだろう。それは知らないけど、とにかくボクは、『ゲイのひとの対象になる』ってことは、ボクが男のコだって烙印を押されたように感じたんだ。『ああ、これでもう、ボクは正真正銘、ただの男だ』って」 「郁……」 「それでちょっと、どっきりしただけ。それだけ」  馬鹿みたいでしょ、と郁也は笑って舌を出した。  佑輔はまた黙りこくって、カウンターの下で郁也の手を探した。その気配に郁也が手を差し出すと、佑輔はそれを自分の膝の上でぎゅっと握り締めた。  温かい大きな手。いつも郁也を優しく愛してくれる佑輔の手。 「佑輔クン……」  郁也は胸が一杯になってその名を呼んだ。 「郁」 「ん」 「腹減った」  あはは。みんなのところに行って、食べものにあり付こうか。
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