6、揺れるジョンブリアンの裾-2

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6、揺れるジョンブリアンの裾-2

 昼には佑輔も合流した。五人揃えば自然と一昨日の夜の話題になる。 「でも、一昨日の橋本さん、可愛かったなあ」  松山がにまっと笑う。橋本は照れつつ、「悪かったね、普段はこうで」と松山を睨んだ。 「橋本は普段からきりっとした美人だぞ。服装のせいじゃないか」  箸を動かす手を止めて佑輔がひとこと言った。  橋本は更に照れて、自分の衣服を眺めて言った。 「そうかなあ、郁也くんにも言われたけど、そんなに変な服着てる?」  郁也は笑顔で橋本を見た。 「変じゃないよ。でも、例えば今日のその黄色ベースのチェックのブラウスなら、下は白いパンツにするとか、綿のパーカーは止めてジャケットにするとか」  ヘプバーンが身に付けそうな組み合わせを考えるのさ。と郁也は悪戯っぽく笑った。橋本はまた赤くなった。 「ヘプバーン?」  佑輔が隣の郁也の顔を見る。 「うん。彼女のね、理想の女性像はヘプバーンらしいよ」 「おお。橋本のきちっとした感じに丁度いいな」 「でしょお?」  郁也が佑輔ににこっと笑う。それを見て、橋本が訊ねた。 「そうそう。一昨日、ふたりで何話してたの? 矢口君のお店に行ったとき、ふたりでカウンターにいたでしょ、郁也くんと瀬川くん」  郁也は言葉に詰まった。斜め前では松山も動きを止めている。 「特に何も。俺たちのテンポは鈍過ぎて、何分あったってどうせ大した会話にはならないさ」  佑輔がさらりと言って退けた。昨夜の松山の台詞に当て付けたものだ。郁也はほっとした。橋本は「またまたまたあ」と笑ったが、それ以上追及しては来なかった。  三コマ目を五人で取れば、その後佑輔はバイトに向かう。郁也は大学の廊下の端、烏飼と顔を合わせる「英会話B」だ。  次に失礼なことされたら、今度は張り倒してやる。郁也は腹に力を入れて講義室へ向かった。 「Hallo, everyone. Today, we have training about...」   講師が軽快な口調でレッスンを始める。郁也は講義の内容に集中しようとした。  途中何度か、烏飼が講師の質問に答えた。てきぱきとして的確な返答だ。  講師は全員、といっても二十人を切る程だが、学生たちの実力を把握したらしく、それぞれに適したレベルの質問を振っているようだ。  郁也も幾つか質問された。手加減なしのスピードに郁也が何とか答えると、講師は「Exellent!」と手許に何か書き込んだ。  郁也は父が好きだった。  年に何度かしか会えない父に甘えるため、郁也は子供の頃から英語を練習したものだ。お蔭で郁也は恐らく、母が学生時代経験したような苦労を味わうことはないだろう。それは両親に感謝した方がいいかも知れない。  講師と淀みなく英語で会話する郁也を、講義室の反対側から烏飼がじっと観察していた。  講義が終わった。  郁也はそそくさと道具を片付けて、混雑する戸口を廊下へ出た。松山と田端が廊下の壁に凭れて郁也を待っていた。郁也がそちらへ行こうとすると、背後から肩を掴まれた。烏飼だ。 「そう慌てて、どこへ行くんだい、谷口君」  烏飼は不敵に笑っている。松山が郁也の肩から烏飼の手を払い除けた。 「おおっと。こいつに気軽に触るなよ」  烏飼は松山と田端の存在に気付いた。 「……へえ。君ら、谷口君の『お友達』かい? 素敵だなあ。俺も仲間に入れてくれよ」 「そんなんじゃねえよ」  松山は低く唸った。 「このコはちょっとシャイなんでね。そう構われるとキンチョーしちゃうんだよね」と田端が髪をさらっとかき上げて烏飼に笑い掛けた。 「そうそう。だからあんまりしつこくしないでくれるか、悪いけど」  松山が烏飼に鋭い視線を送る。 「こういうことは言いたかないが、俺たちを敵に回さない方がいい。数を頼むのは卑怯もののすることだが、はっきり言って人数は多いからな」 「『俺たち』って、誰のことだい?」  烏飼は薄ら笑いを崩すことなく松山に尋ねる。 「……俺たち『東栄八十六期』だ。こいつのためなら骨身を惜しまない上の代も大勢いる」 「君たち東栄学院か」  烏飼は目を輝かせて皮肉に笑った。 「へええ。東栄学院には伝統的に『ある』って言うもんねえ。いいなあ、男の園かあ。天国だね。羨ましいよ。谷口君に何かあると、そうやって君らは飛び出して来るって訳だ」  松山はぶるっと身体を震わせた。 「冗談じゃねえよ。おかしな言い方するなよな」 「冗談だよ」と烏飼は笑った。 「俺は彼がバイト探してるのを見掛けたので、役に立てるかもと思っただけさ。金が要るんなら、そこらでちんたら『いらっしゃいませー』とかやってんの、馬鹿馬鹿しいだろ。谷口君なら」  そこで烏飼は田端の背中に隠れるように震えている郁也に視線を向けた。 「効率良く稼げるよ。俺が保証する」 「別にこいつは金になんか困ってねえよ」 「へえ、そうかい」烏飼はそう言った松山には目もくれず、「じゃ、『誰』が困ってるのかな」と郁也を横目で見てくすくす笑った。  郁也は拳を握り締めて真っ赤になった。田端が心配そうに「谷口?」と声を掛けた。 「残念だなあ。君って逸材なんだけど。まあ、気が変わったらいつでも言ってよ。きっと力になれると思うよ」  烏飼は郁也に向けて片手を挙げ、誰もいなくなった廊下を悠々と歩いて行った。 「『逸材』? どういうこった」  松山は訝しんだ。 「こんな我が儘で、気難しくて、愛想のひとつもないヤツに、何を遣らせようってんだ」 「それは幾ら何でもあんまりじゃないの」 「その通りだろ。何か反論出来るのか」 「うう」  松山と郁也の掛け合いに、苦笑しながら田端は言った。 「少なくともマトモな意味合いのバイトじゃ、ないようだ。関わらない方がいい。いいね、谷口」  言われなくとも。誰があんな奴に。
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