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6、揺れるジョンブリアンの裾-3
橋本は少しづつキレイになって行った。
垢抜けつつあった、というのが正しい。
講義とサークルという新しい生活の流れに慣れ、彼女はサークルの先輩に紹介して貰った採点のバイトを始めた。その収入で、橋本は一枚、また一枚と洋服を買った。
手持ちのものとの組み合わせを考えるようになり、郁也に助言を求めつつ、橋本は徐々に年相応にキレイなひとりの女性になろうとしていた。
或るとき、彼女は郁也に小さな声でこう言った。
「昨日、サークルの先輩に告白されちゃったんだ」
「へええ。で、かおりちゃんは何て答えたの」
郁也のそのリアクションに、橋本はぐっと口を閉じ黙っていたが、しばらくして、
「答えられないよ。だって、あたしその先輩のこと、そんな風に思ってなかったもん」
と早口に言った。
「なら、ちゃんとそう言わなきゃ駄目だよ。中途半端に期待持たせたままにするのが、一番罪重いんだからね」
橋本は俯いて、「……うん」と答えた。
素直なその返答に、郁也は笑って頷いた。
「よしよし、いいコだ。慌てなくても、そのうちきっと素敵なひとと出会えるよ。そうしてかおりちゃんが本当にいいと思ったひとが現れるまで、どうでもいい男は遠去けて置くんだね」
橋本は顔を上げた。
「じゃ、郁也くんは? 郁也くんも遠去けなきゃ駄目?」
「ボクは……」
郁也は面食らった。
「ボクらは『お友達』でしょ。あ、でも、ボクがかおりちゃんの周りにいると、素敵なひとの出現を邪魔しちゃうかな」
離れてよっか。郁也は悪戯っぽくそう笑った。
橋本は答えなかった。
無言で肩を並べて歩きながら、郁也は先日の橋本の言葉を頭の中でなぞった。
橋本は疑問に思っていた。郁也がヒールのある靴でスムーズに街を歩くのを見て、ああいう格好に慣れているのかと後で訊ねた。
あの土曜日。橋本との約束の前に、予備校の面接を終えた郁也は真志穂とひと足早く待ち合わせた。
学院を卒業して都会にやって来て、郁也のことを知るものはより少なくなった。
ここでなら、郁也はしたい格好で外へ出られる。春物の服も買った。だが靴は一足、生まれて初めて一昨年買った、白いパンプス一足切りだった。
真志穂は自分の買い物の合間に郁也に言った。
「もう一足くらい、買っちゃいなよ。白いのの次は、黒いのがあるといい」
真志穂はそう言って、郁也のために選んでくれた。光沢のある黒い細い紐が幾重にも組み合わさって、きらきらとシルバーとガラス玉の飾りがついていた。ヒールの高さも五センチくらい。これなら許容範囲だった。
郁也は服は真志穂のを着せて貰い、靴はその日買ったそれを履いた。隙間から肌が覗き、紐が絡み付いた足首を強調するデザイン。大人っぽくてセクシーな感じ。
松山が橋本に見せた画像には入っていないが、あのとき郁也が履いていたブーツのヒールは八センチあり、郁也はそれで四キロ歩いた。確かにヒールで歩くのは慣れていた。
橋本の疑問は松山が上手く誤魔化してくれたが、郁也は橋本になら知られても構わないと思えた。
いずれはボクのこと、かおりちゃんには知って貰いたい。そうした上で、本当に友人になりたい。
今はまだ隠していることが多くて、郁也は橋本に申し訳ないように感じていた。
「じゃね」
橋本は体育館へ向かう分かれ途で、郁也にそう手を振った。
「うん。またね」
郁也も笑って首を傾げる。
女のコの、友達だ。
風は暖かみを増し、五月になった。
日蔭に残る無残に汚れた雪の塊もなくなった。
郁也が佑輔と住む部屋から大学への道は、途中に広がる大学の実験農場のせいで有機肥料の臭いがした。風物詩だと佑輔は笑った。
時に風に煽られて、吹き付ける土埃が目に入る。
佑輔は自転車を買ってもいいかと郁也に訊いた。
「勿論だよ。『いいか』だなんて。佑輔クンの働いたお金じゃない」
「俺の稼ぎばかりじゃないからな」
郁也は結局家庭教師一軒と、予備校では中学生の数学二コマプラス自習講師を週に数時間、計平均四万五千円程度の収入を得られる見込みであった。佑輔の稼ぎには及ばないが、郁也にとっては精一杯だ。
移動時間が短縮されれば、効率が上がる。佑輔は言った。
「運送会社もさ、終わってからポイント毎に俺たちを下ろしていくだろ。真っ直ぐチャリで帰れば、もっと早く部屋に着くんだよな」
大した距離でもないんだし。そう佑輔は腕を組んだ。
それに佑輔の学部は農学部で、教養からは少し距離がある。専門の講義が混じる度、佑輔は駆け足で農学部へと急がねばならなかった。
近所のスーパーへ、自転車を見に行った。佑輔は置かれている中で一番値段の安いものを選んだ。お買い物用の所謂ママチャリだ。
郁也はスポーティな、佑輔に似合いそうなものを見ていた。佑輔は笑った。
「いーんだよ、こんなんで」
帰り途、買い込んだ食料を抱えた郁也を荷台に載せて、佑輔は自転車を漕いだ。郁也は照れ臭くなって、故意と鼻で笑ってこう言った。
「何か、『青春』って感じだねえ」
「当たり前だろ。青春だもん」
佑輔の返事は屈託がない。郁也は嬉しくて、佑輔の背に寄り掛かりその幸せを嚙み締めた。
自分の足が目に入る。この身に付けるのがパンツでなくて、ふわりと拡がるスカートだったら。布をたっぷり使ったスカートが風を受けて、時折ひらひらと郁也の白い足が覗く。
足許はきっと白いソックスにベルトの付いた茶色い靴か何かで、小花柄のブラウスと髪にはリボンが揺れる。
心の中で思い描くのは、いつもそんな女のコの自分。
「ねえ、佑輔クン」
「んー?」
「今度生まれて来るときは、ボク、絶対女のコになる。女のコになって佑輔クンを探すから。見付けたら、ボクをお嫁さんにしてくれる?」
「俺も女になってたりして」
「二回続けてそんなのなんてヤダよお!」
郁也は悲痛な叫び声を上げる。佑輔が愉快そうに腹の底から笑った。
「あはははは」
「もう。ひどいよ佑輔クン」
佑輔はしばらく笑っていたが、郁也に背中を叩かれて嬉しそうに身体をよじった。
「ははは。……嘘だよ」
佑輔の自転車は風を切って四つ辻を曲がった。ふたりの身体が遠心力で傾いて、郁也は慌てて買い物袋を握り直す。
「俺の方が、きっと先に見付けるよ。迎えに、行くから」
「……うん」
涙がこぼれそうになって、郁也は目を伏せた。ひとたちには分からないよう佑輔の背に頬を寄せて、郁也は呟いた。
「きっと、だよ」
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