episode.01

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episode.01

 四月はいつの間にか過去に過ぎ去り、中学二年に上がってから、一ヶ月が過ぎていた。  昼に気温がグッと上がる事が増え、夏がにじり寄ってきているのを感じるが、まだ朝夕の気温は低い。この時期の学生の悩みは、学ランを着ていくか着ていかないか、だ。着ていくと暑くなって脱いで、鞄の中でかさ張るが、着ていかなかったら着ていかなかったで寒気を感じて後悔する事になる。でももっと不憫なのは女子で、セーラー服は冬用と夏用に分かれているから、暑かったら脱ぐとかいう事ができない。時代的にも荒れた中学校で生活を送った親達が、「あんまり早く衣替えすると先輩に目付けられるかもよ」とかいう忠告を子供達にするのは僕らの世代ではお約束なので、尚更身なりには慎重になる。  家を出て五分。三十分の通学路の六分の一で、僕は既に、今朝の自分の判断を後悔した。  暑い。  漆黒の学ランの中は、サウナの様にぬるい湿気た空気が充満していた。学ランの下の開襟シャツも汗で肌に密着していて、気持ち悪い。  僕の暮らすこの町は、県庁所在地から二つ市を挟んだ市の、その中でも一番県庁所在地から遠い場所にある。関東とはいえどこもかしこも都会という訳ではなく、この町は良く言えば平穏で長閑、悪く言えば田舎で不便、だ。  公園を曲がると住宅街が広がり、そこを抜けると駅に出る。  駅といっても小さな無人駅で、改札もないし待合室もない。駅名の書かれた看板と、日差しや雨から守ってくれそうにない屋根、時刻表が、線路から一段上がったコンクリートのホームの上の、思い思いの場所で佇んでいた。色褪せた水色のベンチが、辛うじて寂れた駅に彩りを与えていた。  僕は電車を利用するわけじゃない。駅の真横に踏切があって、そこを突っ切るのだ。線路の凹凸を跨いで過ぎた直後に、けたたましく踏切警報音が鳴り響き、振り返ると黄色い遮断機がゆっくりと降りていった。  ラッキーだ。  踏切近くに住む人は、結構騒音がする筈だが、住み心地は悪くないのだろうか。この町は通勤通学や帰宅の時間は10分に一本だが、それ以外は一時間に二本電車が来るか来ないか位だから、まだ良い方だ。だけど、都市部の人達は大丈夫なのだろうか、と心配になる。夜寝る時に鳴る踏切警報音なんて、僕には苦痛でしかないだろう。  徒歩だと通学に時間が掛かる。いつもは自転車だが、不運な事に土曜日、タイヤがパンクしてしまった。丁度タイヤがないらしく、入荷の関係で自転車が戻ってくるのは来週になるらしい。月曜日の今日には間に合わなかった。  歩いてみると通学路の長さに驚く。自分の歩く速さと、自転車の速さにも。自転車だと線の様に流れていく風景が、今日はずっとゆっくりだ。自転車の有り難さを、しみじみと感じた。  学校に着く頃、辛抱たまらず学ランを脱いだ。出てきた風が開襟シャツに染み付いた汗を乾かしていくのが心地良かった。  僕の通う学校は、創立百ウン十年の節目を迎えるらしく、校長をはじめとする上層部は、最近、全校集会でその事しか言わない。僕ら生徒としては、別に学校の歴史になんざ興味ねーよ、と言いたい所だが。  勿論未だに古い木造の校舎、何て事はないが、建て替えが四十数年前という微妙な時期のため、どこか昭和感の漂う学校だ。謎に外観だけ綺麗に真っ白にしている癖に、中は修繕せずに所々ひび割れていると、また女子からはトイレが和式ばっかりで、あと臭いと、不満が上がっている。  木製の下駄箱に履いてきたスニーカーを突っ込んで、簀子の上で上履きに履き替える。  近くで靴を脱いでいる人がいたので少し横にずれた。顔を上げると、彼は屈んで、脱いだ靴を持ち上げていた。  クラスメイトだ。  おはよう、という言葉が頭に浮かんで、でも僕はその言葉を発さずに、彼に背を向ける。まだ喋った事もない人だ。もしかしたら僕の事をまだ覚えてないかもしれないし、「こいつ誰?」って顔しながら挨拶を返されるのも気まずい。僕の声が届かないって事もあり得る。別に物凄く低い、という訳ではないけれど、地声が小さくてボソボソと喋るのと、マスクをしているのとで、何て言ってるか分からないと、良く言われる。最悪、喋ってる事に気付いて貰えない。  廊下を歩きながら、彼の靴は、メーカーが僕のと同じでナイキだったなぁ、とぼんやり思った。
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