2人が本棚に入れています
本棚に追加
家に帰る途中で、少し雨が降った。
霧みたいに細かい雨だったから大丈夫だと思ってたけど、霧でも長く降ったらそこそこの雨量になる。
僕は折り畳み傘を携帯するタイプじゃないので、勿論今日も持ってなくて、自然の恵みを全身で受け取ってしまった。
カッターシャツがベッタリと肌にくっついて気持ち悪い。
家の鍵をリュックの中から見つけ出す。鍵穴に差し込んで捻る。
ノブを引いたら、途中でグッと止められる様な感覚があった。
あれ、と思う。どうやら鍵は開いていたらしい。僕が閉めてしまったみたいだ。
なんでだろう、と思いながら、今度はちゃんと開ける。
紺色のローヒールパンプスが、玄関にちょっと雑に置かれていた。
そういう事か。
母が帰って来てたみたいだ。
母は看護師だ。
そういや昨日は夜勤だった。
夜勤明けに帰ってきて、もはや鍵を閉める力も残っていなかったのだろう。
見るとリビングへの扉も開きっぱなしで、だから多分、リビングの隣にある、両親の寝室の扉も開きっぱなしなんだと思う。
リビングに入って、戸を閉める。片引タイプの引戸は、最近滑りが悪くなってきていて、動く度にバリバリと音がする。
階段を上れば僕の部屋だ。
階段の一段目に足を乗せる。
ガタリと、音がした。足元からじゃない。後ろから。
「あぁ、お帰り」
母が寝室から顔を出す。
彼女は、気怠げに頭を掻いた。
控えめに染めた茶髪は、根元が黒っぽく色落ちしてきていて、寝癖で少しぐしゃぐしゃだった。
帰ってきたままの格好で寝たせいで、春用のウィンドブレーカーは皺が寄っていた。
疲れて重そうな目元にはうっすらと隈があって、いつもより少し幼げに見えた。
「あ、ただいま」
首だけ振り返って、答える。
「どうしたの。グショグショ」
「雨。帰ってる途中で降ってきた」
「え、うそ」
母は窓の方に歩いていって、カーテンを少し乱暴に開ける。
「ほんとだ」と言ってカーテンを閉め、雨空を家から遮断する。
「傘は?」
「忘れた」
「忘れたの!」と、母は眉を寄せる。
「母さん夜勤だから、ちゃんと天気予報見といてって言ってたでしょ」
ちょっと苛立った声だった。
寝不足なのもあって、夜勤明けの母はいつもピリピリしている。
いつもよりも繊細に扱わなきゃいけない。
でもそれでしくじって、彼女の怒りに触れちゃうのが、僕というポンコツだ。
「ごめん」
「ごめんじゃないでしょ。風邪引いたらどうするの」
「はいっ。ごめんなさい」
返事がちょっと雑になった。
母はそれを見逃さない。
「真剣に聞いてるの? 大体こんな季節に何でマスクなんかっ」
ヤバい。更にめんどくさくなってきた。
「はいはい。ごめんなさい」
足早に階段を上る。
「ちょっと! 優っ」と、母の怒鳴り声が背中に打撃を与えた。
これが思春期だろうか。
気持ち悪くてダルいシチュエーションだ。
最初のコメントを投稿しよう!