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2歳になった上総(かずさ)が、立てかけてあるサーフボードに爪を立てていた。
「下敷きになっちゃうぞ」
ボードを横に倒した。
上総は小さな体でそれを地面に引きずり置くと、すぐにポーズを取った。
「すごい。見て、とーさん!」
「おお!上総もやるか!」
上総は、何にも感じないのに。
頭の奥に、つい最近見た優斗(ゆうと)の姿が焼き付いていた。
―兄ちゃん兄ちゃん!見て!デキタ!―
ぶざまに、それを見上げている自分の姿も。
その時に起こった、凶暴な感情も。
道着を持って門から出た。
「なんだ、総史(そうし)は行かなかったのか」
父さんが僕に声を掛けた。
「うん。空手の方が面白い!」
「そうだなぁ。総史はそんな感じだな」
「行ってきます」
「ほら、お兄ちゃんに行ってらっしゃい」
「イッテラッシャイ!」
あれから、10年経った。
色とりどりの自転車が、玄関の前を埋め尽くしている。
今日もミスドコースか。
家に背を向けて歩き出した。
後ろから、甲高い女の子たちの声が聞こえた。
歩道は、舞い散るイチョウの葉で黄色一色だ。
「総史くん!」
後ろから声を掛けられた。
「家、入らないの?」
この子は・・・見たことはある。
優斗の取り巻きの内の一人。
「あ、うん。甘いもの食べたくなって。ミスド行く」
「私も一緒に行ってもいい?」
「いいけど・・・けっこう長居するよ」
「コーヒーでしょ?お替わりし放題だもんね」
ま、いっか。
女の子が追いついてきた。
ミスドまでは5分もない。
店に入るといつも同じ注文をするから、店員さんもよく覚えてる。
「こんばんはー。ブラックですよね」
「はい」
女の子と席に座る。
「家で何か食べたんじゃないの?」
母さんは料理が好きで、人数が多くなるほど燃えるタチだ。
「うん。そうなんだけど、最近なんとなく会話についていけなくて」
「ふーん」
それでも家に来るのか。
女のグループって、そういうとこが面倒くさそう。
女の子は、食べにくそうなクリーム入りのドーナッツを慎重に口へ運んでいる。
「女の子の食べ方って可愛いね」
「え・・・?」
「食べ方が可愛い」
女の子が、真っ赤になった。
あれ。
変なこと言ったかな?
え?これ、セクハラですか?
「ごめんね。変な意味に聞こえたらゴメン」
「い、いいの。そ、そういう、言ってくれるのって嬉しい」
セクハラ・セーフ。
そのまま会話もなく、食事は終わった。
「僕、ちょっと課題やるけど・・・」
「あ、うん。気にしないで。私もマンガ持ってきた」
カバンからチラリとサプリメントらしきものが見えた。
―セントジョーンズワート―
なんだそれ?
課題に目を落としながら、後で調べてみようと思った。
10時になった。
目の前の女の子は、マンガに集中してる。
その顔をじっと見た。
単純に可愛い顔をしてる。
顔が小さくて、目がつぶらで、口がちょこんとついてて。
ちょっとタレ目で、締まりのない顔かもしれないけど、妙にそそる。
オトコ所帯だからな。
学校も3次元に興味ない女子ばっかりで。
女の子が目を上げた。
目線が合う。
戸惑ったように、女の子が口を開いた。
「あ、え・・・ごめんなさい。集中してた」
「もう。10時になるよ」
「え!うそっ」
慌てて自分の端末に手をやる。
端末が机から転がった。
僕の伸ばした手と彼女の手が重なった。
僕は彼女の端末を取り上げた。
彼女があっけに取られた顔で、僕を見ている。
「アドレス、交換して」
「え、あ…うん」
彼女に端末を返した。
お互いの端末が向かい合う。
― 安西 花純 Kasumi Anzai ―
「花純ちゃんて、呼んでいいの?」
「あ、みんな・・・」
「みんな?」
「カスって・・・」
「イジメ?」
「イ、…イジメじゃなくて!たぶん…イジメてる気はない…」
だけど、気に入ってもいない訳だな。
「…ちゃん付けも止めようかな」
「え、えええ?」
「花純って呼ぶ」
「あ、あの…」
「ダメ?」
花純が耳まで真っ赤になった。
「どうぞ」
「花純の家はどこ?」
「柿ノ木。自転車取に行かないと」
二人で立ち上がった。
トレイをまとめる。
「すみません」
「いいよ」
アタマ、小っさ。
女って、こんなん?
家に帰ってから、「セントジョーンズワート」を調べた。
『セロトニンの分泌を促進することで知られ、
うつ病や自律神経失調症、不安神経症に対する効能が、医学的に認められている。
サプリメントとして手軽に入手可能だが、副作用もあり服用には十分な注意が必要』
危なっかしい感じの子だもんな。
医者にかかるほどじゃないけど、いかにもこういうのに頼ってそうな。
話についていけないって言ってたっけ。
優斗の取り巻きなんて、みんな芸能界に片足突っ込んでるみたいなのが多い。
なるほど…な。
端末を出して、花純に送った。
「もう遅いから心配。家に着いたら連絡して」
すぐに返信がきた。
「もう着きました!ありがとう」
「おやすみ」
「おやすみなさい」
次の日もミスドにいると、花純が入ってきた。
「こんばんは」
「ああ」
「あ、勉強。続けてください」
「うん。花純はなにか食べた?」
「…食べた。ママの料理、美味しいもん」
うちの食費がどんな事になってるのか…
父さん、客が好きだからな。
「わ、わたし、もう家に行くの止めようって思ってたんだけど…ツラくなったら、ここに来てもいいかな?」
「いいよ、もちろん。花純が来てくれたら嬉しいけど」
「…え!」
「なんでツライのに、家に行かないといけないかな」
「前日の夜までは、もう行かないでおこうと思うんだけど…その時間になって、みんなに呼ばれると、やっぱり出てきちゃう…」
「ふーん」
「みんなキラキラしてるよね。話の内容もサーフィンとか、雑誌の撮影の事とか、ブランドの事とか…一生懸命覚えようとしてるんだけど、頭に入ってこなくて」
「そんな無理に覚えなくても」
「総史くんは、どうしてそんなに覚えられるの?」
「覚えたら…もっと知りたいことが出てくるし、知りたくなるとやっぱ覚えるのが一番手っ取り早いし」
花純がため息をついた。
「いいな…そういう人は」
「マンガ、一生懸命読んでるじゃん」
「え!だって、マンガだもん」
「だけど、タイトルとか作者とか登場人物の名前とか覚えてるよな?」
「そ、そうなんだけど…」
入口が騒がしくなった。
「かすぅ!なに!?こんなとこに居たの!?」
「こっそり総史くんと会ってたの!?」
例のグループだ。
「総史くんに乗り換えた?」
「カッコイイもんね~。ユートみたいにアホの子じゃないしね」
優斗もいた。
「兄ちゃんはマジで特別だから!超優秀!空手だってすげーし」
「つーか、ユートが特別アホなんでしょー?」
「あ、そっか」
ぎゃっはっは!と笑い声が上がった。
「カスさぁ、総史くんの方が合ってる~」
「合ってる合ってる!」
いい加減な口調で女子が騒ぐ。
だけど、本当はいい加減じゃない。
妙にムキになってる。
仲良くしてるように見えるけど、底では優斗の奪い合い。
こわ。
テーブルの周りに、みんなが集まり始めた。
「すっごい難しそーなのやってる!」
「ねぇねぇ!総史くんはカスのこと、どう思ってる?」
花純が慌てたように身を乗り出した。
「そ、そんなこと…!」
その瞬間、僕は見た。
花純が目を向けた先を。
そういうことか…
「花純は可愛いよ」
「うわっ!!うっ!本当にぃぃぃ!?」
「か、花純とか呼んじゃってる…」
「なんで?」
と僕は尋ねた。
「それ、だって、カスのこと…花純とか呼ばないでしょフツー」
このグループのフツーって何なんだ?
あっけに取られる周りを見渡しながら、淡々と申し渡した。
「まず小柄」
モデルの卵たちが眉を吊り上げた。
「声のボリュームがちょうどいいし、音質がキレイ」
自称シンガーソングライターの表情が曇った。
「口も鼻も小さくて可愛い。食べ方も可愛い。守りたくなる感じ?だから『花純』が穏当」
「わ、私ら別にカスってバカにして言ってるわけじゃ…」
「分かってるよ。僕にとっては、花純の方がフツーなだけ」
優斗が声を上げた。
「すげえ。さすが兄ちゃん。オトコだ!」
花純が体をビクつかせた。
僕はそれを横目で見ながら、コーヒーを飲みほした。
花純は、どうするつもりなのかな。
それ、見込みないぞ。
分かってるんだろうけど。
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