愚かな恋人

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次に花純に会ったのは、翌年。 優斗が入院した時だ。 疲れ切って家に帰ると、そこに花純がいた。 「優斗に会わせて」 目をランランと光らせて、俺に飛びついてきた。 「どこに入院してるの!?」 「焦らなくても、明日には退院するよ」 「今!会いたいの!今、私が必要なはずなの!」 どうも芝居がかってるな。 「なんで?」 「私は『死』を知ってる!私だけが知ってるの!今、優斗を救ってあげられるのは私だけなの!」 腕をつかんだ。 「これのこと?」 何本もの白い筋が、そこに入っていた。 「また増えた?」 花純は俺の手を振り払った。 「教えて!教えてよ!」 「自分こそ、ちゃんと病院行った方がいいんじゃないの?」 「私を利用したくせに!自分のコンプレックスを!私を使って!…腹いせしたくせに!」 時間が止まった。 「わ、わたし、優斗を救ってあげたいの!私だけなの!」 馬鹿だな。 気づかなかったのか。 ずっと守ってやってたのに。 「新総南病院…405号室」 荒い息を抑えるように、花純が僕を見た。 「本当だよ。だけど、花純は帰ってくると思うな」 「ど、どこ…」 「僕のとこに」 「馬鹿にしないで…!」 花純は転げるように走り去った。 明け方、端末の鳴る音で目が覚めた。 「はい…」 ディスプレイを見なくても花純だって分かってた。 電話の向こう側は、しんとして何の音もなかった。 「花純?」 「分かってもらえなかったの…なんで?何でなの?」 「分かってもらえると、思ったんだ?」 「だって私が一番よく優斗を分かってるから」 「相手が好きなら、分かりたいと思うの当たり前だ」 「だから、わたしは…!」 「だけど、優斗は花純を好きじゃない。分かりたいとも思わない」 「す、好き…好きじゃない、それは、それは分かってるけど、私はね!?」 「嫌われてるよ」 「…うそ」 電話が切れた。 またすぐに鳴った。 「なに?」 「うそつかないで!嫌われてるなんて!そんなわけないじゃない!」 ヒステリック… 受話器を耳から離した。 「優斗になんて言われた?」 「お、お兄のところに帰ればって…」 「あいつ、俺のカノジョ取るようなヤツじゃないよ」 「は、はああ?」 「俺と付き合った時点でアウトだったんだよ」 「…」 「今日、花純が告白した時点でゲームセット」 電話口から、悲鳴が聞こえた。 すっげー声。 死んでやるっ!死んでやるっ!うううう恨んで!恨んで!死んでやるっ!!」 家族らしき人の慌てたような声が聞こえた。 「家に来なよって言って欲しい?」 僕は言った。 「だから電話してきたんだろ?」 言葉にならない声が聴こえて、 それは泣き声に変わったかと思うと唐突に電源が切れた。 「可愛いなぁ…分かりやす過ぎるだろ」 完全に夜が明けるまで、まだ少しあった。 ラジオをつけると、親父の好きな古いバンドの曲が流れだした。 最後に会ったのは、その1年後。 駅の構内だった。 大きくて武骨なトランクを小柄な女の子が引いて歩いていた。 「どこいくの?」 突然、声をかけられた花澄が驚いたように僕を見た。 ショートカットで、日に焼けている。 「もう行ってるの。うち引っ越すから、荷物取りに来たの」 「どこに?」 「石垣。お父さんの地元」 小麦色の腕に、ミンサー織のブレスレットが巻かれていた。 「行くね」 思わず、その腕を取った。 「行くな」 花澄が僕を見上げた。 懐かしい、昔遊んだ樹でも見るように。 「さよなら」 その言葉には、なんの裏もなかった。 ただの、ただの「さよなら」だった。 するりと腕が離れて行った。 いつからだろう。 僕はいつから、本気になったんだろう。 自分のことは、分からない。
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