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ネギが落ちてきた
「ネギですか?」
「そ、ネギ」
「丸いほうのネギ?」
「いや、蕎麦に入れるほうの、長いネギ」
「うちにもありますよ、ネギ」
「ふーん、こんな古風な喫茶店にもあるんだ、ネギ」
「……使い勝手が良いですから」
三代目店長が、目立たない程度に唇を尖らせて言った。
時代遅れのこの店を孫の、ましてや次男が継いだのには、いろいろあったが、初見のお客様に話すことではない。それに――なんだか面倒くさそうだ。
微妙な時間帯に一人で入ってきた男は、テーブル席ではなくカウンター席に座った。ランチのお客様が全員居なくなって、アルバイトのミーコちゃんが昼休憩に入り、一人でまったりと新しい珈琲豆を試飲していた、そんな店長の目の前に。
「いらっしゃいませ」
スッとメニューを手渡すと、視線を一往復させてから、「ブレンドコーヒーください」と言ってすぐにメニューを手渡し返された。
「かしこまりました」
時間調整のお客様だと、その時は思っていた。
「ネギが落ちてきた?」
「友達の友達の話なんですが……」
男はおしゃべりだった。
カウンター席、しかも店長の近くに座るくらいだから、何かしらの会話を求められるのは日常だ。
天気の話から始まって、景気の動向、他愛もないニュースの話題などの後に、これからが本題のように、少し改まってからの――『ネギ』
その友達の友達の近くに、よくネギが落ちてくるそうだ。店長は「どうでもいいわ」と言いたげな表情を隠したつもりで、会話についていく。「使い勝手…………」の続きから――
「どうする、ネギが落ちてきたら」
「……落ちてきかたにも、よりますね」
「例えば」
「坂道の途中で、果物みたいに転がってきたら、拾って持ち主に渡します」
「それは、渡すよね。持ち主が居ない場合は?」
「……状態にもよりますね。袋に入っているんですか?」
「入っている時もあるし、無い時もあるし、一本だったり、複数だったり、新鮮だったり、そうじゃなかったり、するらしい」
「新手の嫌がらせですか?」
「いや、それがね――」
嘘のような話が、噓くさく続く。
「本人は物心ついた頃には、そういう現象?だったらしく、他の人も、何かしらが、落ちてきていると、思っていたんだそうだ」
「はぁ、そんな前から」
「○○くんは、何が落ちてくるの?って無邪気に聞いたこともあったんだが、幼稚園から母親に連絡が入って、妄想って、心の、ねぇ……」
「そうですねぇ」
「母親からは家族以外では、その話は禁止になった……らしい」
取って付けたような「らしい」は突っ込まない。
男がコーヒーを飲んでいる間に、店長は「新しいお客様、来ないかなぁっ」と心のボリュームを下げて、入り口をチラ見した。
そろそろ、常連客の一人や二人来てもいい頃だが、待っている時に限って誰も来ない。話を終わらせる為に、店長から質問した。
「……友達の友達は、そのネギを見たんですか、実物の?」
「いや、誰も見ていない。本人いわく、一人の時でないと落ちてこないらしい」
「信じがたいですねぇ」
「そう、誰も信じない。急に空からネギが落ちてきたり、坂道の上からネギが転がり落ちてきたり、寝返り打ったらネギが添い寝してたり――」
「添い寝!」
「枕がネギ臭くなって」
「……ある意味、ホラーですね」
「そうなんだよ!」
男は思い出したように、苦々しい顔をする。
店長にしてみれば、今のこの状況もホラーであって「ミーコちゃん、早く帰ってきてください」と、使ったことの無いテレパシーを送ってみた。
「ただ、ねぇ」
意味あり気に、ちょっと口角を上げる。
「このネギ、食べた人の話によると」
「えっ、食べたんですか、そんなもの」
「本人も悩んだ末に、食べてみることにしたらしい。で、本人はなんともなかったし、味も普通のネギと同じ味だったそうだ、食べ比べてみたが、一般のネギよりも、若干甘味があった……そうだよ」
「はぁ、よく食べましたね」
「食べたら、『もう落ちてこなくなるんじゃないか』と思ったんだと、思うよ、切実だったんじゃないかな……」
遠い目をする男。
「……他にも食べた人、いるんですか?」
「弟に食べさせた。何故か喘息が治ったよ。母親は視力が良くなったって騒いだね、父親は腰痛が改善したとか……あっ、変な宗教の勧誘とかじゃないから、そんな目で見ないでください」
店長がお客様には決して、してはいけない目つきを瞬きで整える。
男が最後の一口を飲み干した。
「本人には何も起こらないらしいけど、知らずに食べさせられた人たちは、良い事が起こっているらしいね。騙されて連帯保証人になって借金負わされた人に、カレーうどんの薬味に混ぜて食べさせたら、宝くじが当たって全額返済できたらしいよ」
「いらっしゃいませ」
話の途中だったが、常連客が入ってきたので声をかけた。
いつもの席に座って、注文を聞きに来るのを待っている。
店長は軽く男に会釈してから、コップに水を入れて持って行く。今日に限って何を迷っているのか、メニューをずっと見ている。背中越しに「ごちそうさま、お釣りは無いですから」と聞こえて、振り返ると男が座っていたカウンター席に、小銭が積んであり、入り口付近に移動した男は、さっきの店長と同じ角度で会釈してから、出て行った。
最後のほう、もっとちゃんと聞きたかったなぁと思ってしまって「ありがとうございました」が少し遅れた。
「店長遅くなりましたーっ、あのう、入り口にネギが落ちてたんですけど……」
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