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三毛別の羆《ひぐま》事件の概要
明治20年代の後半 苫前町では原野の開拓が始まる。
未開の原野への入植は、掘っ建て小屋に住み、粗末な衣類、空腹に耐え、マサカリで木を倒し、ひとくわひとくわ開墾。
撮影日 2022年6月27日
当時の掘っ立て小屋を再現したもの。
よくこんな掘っ建て小屋でマイナス30℃以下になる雪深い北国の長い冬をやり過ごしたものだ。
先人の苦労を偲ぶだけで胸が絞めつけられる。
(事件概要は苫前町発行パンフレットの資料より転載)
大正4年12月9日、10日の両日。
500Kg超の巨大な羆が三毛別の開拓部落に現れた。
冬眠を逸した「穴持たず」と呼ばれる羆は、空腹にまかせて次々と人家を襲い、臨月の女性や子どもを食い殺す。
その犠牲者の通夜を行っていた民家に、再び羆が現れ、通夜は一転して悲鳴と怒号の恐怖の渦と化す。
興奮した熊は、近くの人家を次々に襲い、5人を食い殺す。
7人の婦女子が殺傷、3人が重傷という獣害史上最大の惨劇となる。
恐怖のどん底に突き落とされた部落に、熊打ち名人のマタギ山本兵吉が鬼鹿(少し離れた集落)から駆け付け、12月14日この羆を射殺。
その時突然に暗雲がたちこめ激しい吹雪となる。
この天候の変わりように人々は
「クマ嵐だ!熊を仕留めた後には強い風が吹き荒れる」
と叫んだという。
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