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線香の匂いがする。
これは、いつだったっけ。
「この度はご愁傷様でした」
喪服姿の大人たちが入れ代わり立ち代わり俺たちへかける言葉を、ただぼんやりと聞いていた。
そうだ、これは、十八歳の情景。
父の葬式はよく晴れた八月に行われた。
喪主の母と、着慣れたお互いの高校の制服を着た俺と悠花。参列者は親戚数人に、父の勤め先の関係者多数。あとは、俺の高校の友人たちも来てくれた。
地に響くようなお経と、すすり泣く声がいくつもしている。それらに対してどうにも傍観的で現実感が欠けているのは、今日が夏の晴天だからか。たとえば葬式らしく(不謹慎かな)湿っぽく雨が降っていたら、ちょっとは涙も滲んだだろうか。
悠花は、ずっと泣いていた。ずっと俺の制服の裾を掴んでいて、それがまるでちいさい頃みたいで、俺は少し可笑しかった。
「息子さん?」
葬儀が終わる頃、参列者たちを見送っていたときだった。その顔に覚えはなかったが、きっと親戚だろう、母と同世代ぐらいの女性が俺に声をかけてきた。
「はい」
「そう。……偉いのね、毅然として。お父さんが亡くなったのにね」
無表情で早口にそう言うと、女性はさっさと帰っていった。その後すぐ母から、気にしなくていいのよ、と囁かれ、それが俺に対する嫌味の類だったらしいことに気がついた。
父は、俺がどんなときでも泣かないでいることを、生前ずっと心配していた。そんな父こそ遺影の中でも笑顔だった。そこから今にも俺や母さんや悠花を呼ぶ声が聞こえそうな──。
「お兄ちゃん!」
実家の土間でサンダルをつっかけていると、後ろから悠花に捕まった。
「どこ行くの? 法事の準備さぼらないでよ」
「ちがうよ、おつかい。母さんがトイレットペーパー買ってこいって言うから」
「とか言って、煙草も買うんでしょ?」
鋭いな……。実家にいるときは吸わないようにしているのに、悠花は俺の喫煙にうるさい。
どうやってかわそうかと考えていると、おもむろに悠花も土間へ足を降ろして自分のサンダルをつっかけた。
「あたしもいっしょに行く」
と言って、悠花は俺を置いて一人さっさと外を出て行った。
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