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 ツヤツヤと光る鍵盤を叩くと、突き上げ棒が支える大きな屋根の下、黒光りするボディの中でハンマーが弦を叩く。その衝撃音は内部で響き、豊かに膨らむ。そして、鮮やかに大輪の花が開くように空間に広がっていく。  10本の指が鍵盤の上を舞い踊れば、それとシンクロしてメロディが、ハーモニーが、泉のように溢れ出す。  奏でられる音楽は、人が秘めている喜びも悲しみも、怒りも、全ての感情を包み込んで、美しいフレスコ画を色鮮やかに描き出す。  音楽なんか、なくても生きていける。  だけど、神は人に、音楽という麻薬を与えた。  そして、俺には鍵盤を叩くという枷を。  だから、俺は鍵盤を叩かずに生きてはいられない。  俺が愛するショパンは、この曲を教えている時に「ああ、私の祖国よ」と泣き叫んだって言う。そして、「これほど美しい旋律を見付けることは、もう二度とない」と語った。  この曲を、俺は今までどれだけ弾いただろう。何度も何度も繰り返し練習をして、何度も披露してきた。  でも、どのステージで弾いた時よりも、どのコンクールに挑戦した時よりも、今が一番美しく弾けていると思うんです。  この、俺の最後になる演奏が。  先生。
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