第1章:動き出した時間

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「こんばんは。ちょっと早いけど、来ちゃった」 「どうぞ入ってください、先輩。わざわざすみません」  当直勤務が終わった次の日、夕方までゆっくりと睡眠を取った後、オレの住んでいたアパートのインターホンが鳴った。玄関の扉を開けると、吉田先輩がスーパーの買い物袋を両手に下げて立っていた。  先輩から荷物を受け取り、キッチンへと持っていく。先輩と約束していた時間よりも、少し早く到着したようだった。  ちなみにあの後、高橋が仮眠から戻って来る前に、先輩は帰路についた。まさかあの現場を高橋に見られるわけにはいかなかったし、それこそ目撃されては一貫の終わりだっただろう。翌日が土曜日であったため、先輩を自分のアパートに来ないかとメールで誘っていたのだ。急な誘いではあったが、先輩はすぐに了承してくれた。 「当直お疲れさま。ちゃんと寝れた?」 「大丈夫ですよ。逆に気を遣ってもらって、すみません。こっちこそ、部屋が汚くてすみません」 「大丈夫よ。これで汚いって言われたら、私の部屋なんて恥ずかしくて見れないよ」  先輩と一緒にキッチンに立ち、2人で分担して夕飯の準備を進めていく。  私服で来ていた先輩は、病院で見ている先輩とはかなり違って見えた。整った顔立ちと透き通るような肌が、先輩の優しげな雰囲気を更に際立たせていた。材料を切って鍋へと手際良く入れていく先輩の姿に、オレは手を止めて見惚れてしまっていた。 「どうしたの? そんなに私の顔を見て。何か付いてる?」 「いや……やっぱり吉田先輩は綺麗な人なんだなって、改めて思ってました」 「っ、ど、どうしたの急に? そんなこと急に言わないでよ。そんなこと言っても、何も出ないわよ。涼介くんの口からそんな言葉が出るなんて、一体どうしたの?」 「昔の失敗を繰り返さないようにするため……ですかね。高校のときは、先輩とちゃんと向き合って話したことがなかったと思ってます。だから、好きな人にはちゃんと素直に伝えないとって、そう思ったら自然に先輩が綺麗で可愛いなって……そう思ったんです」  先輩が包丁を持っていた手を止め、オレの方を見る。オレたちはしばらく、どちらからとも口を開くことなく見つめ合っていた。  静寂が満ちていくキッチンの中に、コトコトと鍋に入れていた水が沸騰していく音が響いていく。先輩は少しだけ遠い目をしていたけれど、やがて柔らかな微笑みを浮かべた。
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