第1章:動き出した時間

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「ど、どうぞ。インスタントなので、味は大したことないですけど……」 「ううん……ありがとう。ちょっとだけ落ち着いていたかも」  慌てて控え室の引き出しに入っていた新しいマグカップを取り出し、さっきと同じ要領でコーヒーを注ぐ。先輩の前に差し出すと、先輩はゆっくりと口を付け、その後に大きな深呼吸をした。  壁に打ち付けられた画鋲にぶら下がっていた時計を見ると、既に日付が変わっていた。こんな時間に先輩がここにいるということは、よほど何かがあったのだろうかと思う。しかし、今のオレはそこまで考えることが出来るほどの余裕はなかった。 「それで……オレに用というのは?」 「うん……ごめんね、急に来てびっくりしたよね。しかも、涼介くんが仮眠している可能性だってあったのにね。何も考えずにここに来ちゃって……私、バカみたいだね」 「確かに、時間を外せば高橋と鉢合わせた可能性はありましたけど……今は奥の仮眠室で寝ていますけど」  先輩と話している間にも、高橋の鼾は止まることなく流れ続けていた。よほど疲れていたのか、今となってはこのシリアスな雰囲気には今ひとつそぐわないような気がした。 「遅くまで仕事をしていたのは本当なの。まだここに来たばかりでシステムもよく理解していないし、患者さんに行ったリハビリの記録も遅くまで掛かってしまったの。時計を見たら22時を回っていたから、早く帰ろうと思った。でも、ふと理学療法室の休憩室に貼ってあった当直表を見たら、涼介くんの名前があるのを見つけたの。そうしたら、何だか涼介くんに会いたくなっちゃって……でも、行っても会えるとは限らないし、会えても涼介くんに嫌がられたらどうしようって思っていたら、こんな時間になっちゃった」 「そんな……オレが先輩と会うのを嫌がるなんて、そんなわけないじゃないですか。嬉しいですよ、オレは」 「本当に? だって、昔フラれた元カノが目の前に突然来たら、普通は拒絶したくなるでしょう?」  先輩は何度も首を振りながら、まるで自分の行いを悔いているように懺悔していた。  別に先輩がそんなことを思う必要はなかったし、単純に先輩にここで偶然再会出来たという事実に対して、オレは全くネガティブな気持ちにはなっていなかった。
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