第1章:動き出した時間

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「私ね……涼介くんのことが本当に忘れられなかった。涼介くんと別れて大学に進んでからも、ずっと涼介くんのことを考えてた。忘れないといけないなって思って他の人と付き合ったりしたけど……それでも涼介くんのことは忘れられなかった。涼介くんが言うように、涼介くんはあまり口数が多くないのかもしれない。でも、私は涼介くんと一緒にいる時間が好きだった。部活でもそうだったし、どこかに2人で出かけているときも、ずっと。涼介くんといると、安心したんだよ」 「それ、付き合っていたときの自分に聞かせてやりたいです。こんな良い人、オレには勿体なさすぎます」  目の前で沸騰している鍋を見ながら、先輩がゆっくりとオレの肩に体を預けてくる。先輩の頭がちょうど肩にもたれかかるくらいの身長差だったため、やけにフィットしていた。 「今度は……先輩を悲しませたりしないように気を付けます。あと、高橋とか周りの人たちに悟られないようにします」 「ふふ、そうね……誰かに見つかったりしたら、一気に病院内に噂が広まってしまうものね。新しく来たばかりの理学療法士が、早々に放射線技師と付き合っているって知られたら、色々な憶測を呼びそうだものね」 「そうですね。本当に、うちの病院のネットワークというか、情報網はヤバいと思いますよ。誰かに知られたりしたら、一気に広まりますから」  つい先日も、とある栄養士が街中でデートをしている姿を目撃されて噂になっていた。その栄養士は普段からあまり目立たない存在だったらしいが、それがかえって周りの想像を掻き立ててしまう原因になったらしい。人は見かけによらないとか、色々な声が広まってしまっていた。  結局それは、循環器内科の医師が女性と街中を歩いていたという噂で上書きされて自然と消滅していった。その循環器内科の医師は、この前CT室に様子を見に来ていた瀬川先生と同期入社らしかったが、性格的には正反対との評判だった。 「みんな、こういう話が大好きだものね。前の病院でもそうだったわ。誰かと誰かが付き合っているとか、どこかの医師が浮気したとか……当事者ではない人たちからすれば、面白い話題なのかもしれないわね」 「当事者からすれば、たまったものじゃないですけどね。でも、オレは元から目立つようなキャラじゃないと思いますから、たとえ誰かに見られても大丈夫だと思いますよ」 「そう思っているのは涼介くんだけかもしれないわよ。だって、少なくとも私はそうは思わないわよ? 涼介くんは、もっと自分の存在に自信を持つべきだと思うわ。だって、私が好きになった人だもの」  根拠のない言葉ではあったが、先輩にそう言われるのは悪い気はしなかった。  オレは先輩の頭をゆっくりと撫でながら、自分の体へとそっと引き寄せる。鍋に入れた具材が煮込むまで、オレたちはそのままずっとお互いの体温を感じていた。
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