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「えーっと……その、何というか、偶然だな。こんなところで会うなんて」
「そ、そうですね……よりによって、こんなところで会うなんて」
旅館の廊下で瀬川先生と鉢合わせしてしまったオレと先輩は、成り行きで一緒に夕食を食べることになった。
4人掛けのテーブルに座っていたオレたちの元へ、美味しそうな料理とお酒が次々に運ばれて来る。しかし、向かい合って座っている全員の表情は固かった。
「ま、まあ、せっかくここまで来たんだし、みんなで食べよう。なっ?」
「あんた、この前も同じようなこと言ってなかった? よりによって、1度ならず2度までも職場の人と遭遇するなんて……」
瀬川先生の隣にいた女性は、顔をテーブルに押し付けるようにして落ち込んでいたようだった。病院内で見たことがあるような人だったけれど、名前までは覚えていなかった。
「えっと……南野くんの隣にいるのは、今年から新しく来た理学療法士の人かな? 確か、何回かリハビリ室で見たことがあったから」
「はい、吉田真奈美といいます。去年までは違う病院で働いていたのですが、縁あって今年からこっちの病院で働くことになりました。どうぞ、よろしくお願いします」
「あ、悪い。気を遣わせてすまないね」
真奈美先輩が瀬川先生に挨拶をすると、近くにあったビール瓶を手に取り、瀬川先生の前にあったグラスへと注ぐ。
そんな小さな気遣いが出来るあたりは、さすが先輩だった。
「オレは消化器内科で医師をしている瀬川尚人だ。よろしく、吉田さん。こっちは、消化器内科の病棟で働いている桐ヶ谷結衣。あまり接する機会はないかもしれないけど」
「……よろしく」
「結衣は南野くんのことは知っているよな? 放射線科で1番のホープと呼ばれているくらいだから」
「まあ、名前くらいわね。あのチャラチャラした人と一緒にいるイメージね」
「……いつも高橋が迷惑を掛けてすみません」
鋭い視線を向けてきた桐ヶ谷さんに気圧されたオレは、思わず頭を下げて謝罪する。
病棟のスタッフにまで噂が広まっているとは、高橋の女好きは一体どれ程のものなのだろうか。
「別に怒ってるわけじゃないわ。あなたはそういう人じゃないみたいだし。まあ、こういうところを見られて気まずいのはお互い様だから、仕方ないわ。こっちは、こういうことに慣れてるから」
そう言うと、桐ヶ谷さんは手に持っていたグラスの中に入っていたビールを一気に飲み干す。そして、隣にいた瀬川先生に肘打ちをしていた。
この2人がどんな関係なのかは、聞かなくても分かるような気がした。そしてそれは、オレと先輩も同じことだった。
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