■ 平安の宮

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■ 平安の宮

宮中での騒ぎは、大きくなる一方であった。 桓武天皇の皇太子、伊予親王があろうことか食あたりで臥せってしまったのだ。 「どういうことだ。みんな同じものを食べたろ?なんで皇子だけなんだ」 あばた顔でどことなく愛嬌があるが、頑固さはだれにも負けない、といったていで他の官人は嫌わずとも避けられている内薬正の役どころの長、羽栗はぼやいた。 「ちかごろ夜通しの護摩祈祷にて、胃の腑がだいぶお疲れになったかと」 「黙って見てたのか?」 「いえいえ、さんざん注意あそばしましたが、早良どのの御霊を鎮めるのだと」 「しっ、それは宮中で禁句」 「はあ…」 小さな体躯に大きな額を申し訳なさそうに乗せた大綱広道が、本当に申し訳なさそうに羽栗翼卿に頭を下げた。 「とにかく一刻も早く皇子のご快復をはからねば、おぬしもわしも、お上のお怒りに触れるは必定。おりしも例の祟りの噂がお上のお耳に入ればなおのこと」 「とにかく心当たりがありますゆえ、しばしご猶予いただきたく」 「もはや猶予はない。いそげ」 「は」 宮中の長い廊下を、女官を次々突き飛ばすのもかまわず、大綱広道は皇子の殿所に向かった。有能だがどこか横柄な広道は女官あいだで『キンポ』とあだ名されている。キンポウゲ科の植物である『トリカブト』のことで、有能だが毒がある、という揶揄らしい。 「まいったまいった」 親王御殿のご寝所につづく廊下で、急いで出仕してきた阿刀大足は立ち止った。 「これはいいところに」 しまった、という顔を思わずしてしまった。この卿にいま捕まるということは、もう無理難題を吹っ掛けられると想定して決して間違いではないからである。 「これはいかがなされた、広道どの…」 もはや諦めた境地で阿刀大足は答えた。 阿刀大足は桓武天皇の皇子、伊予親王の家庭教師をつとめ、つねにおそばにあって諸事全般を補佐していた。が、早急の御発病とあってとりもなおさず宮中へ参内したところだった。
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