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序章:旅立ちの日
「もういいよ、僕は死ぬまえに生きたい」
着の身着のままちょろまかした親の財布を握って歩く旅の途中、僕は自宅を飛び出したときに父に最後に投げかけた言葉を頭のなかで反芻していた。
僕の父は回復術師にして発明家。回復魔法の効果を瓶にこめた回復薬を発明し、それまで呪文や薬草頼みだった傷病の回復に大きなイノベーションをもたらした。
それまでの長旅は、僧侶の同伴が常識だった。
薬草では軽症からしか回復出来ず、大きな怪我やまた火傷のような状態異常に陥った場合、僧侶による回復魔法以外に助かる術が無く僧侶の存在は命綱そのものだった。
そこに父の発明した回復薬が登場した。
瓶のなかの液体を患部にかけると、もしくは回復薬を服用すると回復魔法と同等の効果を発揮する。
その発明は、旅団が僧侶を雇い高額の報酬を支払う必要も、僧侶が危険な長旅に随伴する必要も、そして僧侶を雇いきれない貧乏人が遮二無二命懸けの旅をする必要も不要なものとした。
父はまず、それを国王様に売り込んだ。専売特許を取得し、父の名前無しでの販売を不可能なものとした。
薬は効果を確認されるとすぐに軍に常備され、国王軍は周辺諸国へ次々と進軍した。不死身と言って過言ではない兵隊はみるみるうちに領土を拡大させた。
他国に住まう、多くの命を一方的に踏みにじった。
その一方で痛覚や危機感の麻痺した兵隊たちは、回復薬の製造のために酷使された僧侶たちは、次々と過労で倒れていった。
だがひとたび徴兵すれば連戦連勝の国王軍は武勲を求める志願兵で溢れ、圧倒的売り手市場の製造現場もまた目をカネの色に光り輝かせた僧侶たちで溢れた。
街なかでは詐欺が横行し粗悪なコピー品がモグリで出回った。
旅の最中に深傷を負い激痛と恐怖のなか最後の力を振り絞って傷口にただの水をかけた旅人がそのまま息絶えた。
粗悪品の副作用で心身に重大な後遺症を抱える者も少なからず現れた。
人々を救うはずの回復薬は多くの人の命と幸せを奪っていった。だがそれすら父にとっては福音だった。
自らの肥えていく私腹に、自らの発明の影響力に酔いしれた。
そして際限なく増長し続ける父は、僕に対してこう言った。
「おまえは勉強以外なにもしなくていい、それだけで私の二代目になれる」
今に至るまでそう諭され続けた。
そう口癖のように聞かされた。
「お父さんの言うとおりよ」
その度に母は続けた。
僕に物心がついたころには、父は壮年と言っていい年齢に差し掛かっていた。母は僕が姉と言えば周囲は信じるであろうほどに若かった。
世紀の大発明を成し遂げた父は、家柄と学歴と見た目の好みだけで伴侶を選び子を産ませた。
「わたしはあなたを産みさえすればあとは好きにしてていい、その条件に喜んで飛びついた。生まれてきてくれてありがとう」
母は酒に酔うたびにそう僕に告げた。第一子である僕が男だったから、最低限の我慢で済んだのだと。
父ではなく、父の権力と財力を愛しているのだと子どもながらに思わされた。
姉のひとりくらい、欲しかったかな。
ひとによっては羨む話かもしれないが、母に叱られたことは一度もない。
もうひとつ言えば、母から学んだことは何ひとつない。
強いて言えば、自慢の美貌を丸々と自堕落に肥え太らせた豚の喘ぎ声は実に汚らわしいということは母から学んだ。
母が毎晩毎晩小間使いを求めるのであれば、母の寝室のとなりにある僕の部屋に小間使いを住ませ小間使いの暮らす離れを僕の部屋にしてほしかった。
もっとも父にとってそのようなわけにはいかなかったのだろう。
まず時として泊りがけでの研究や会議となった父は、屋敷の片側を父自身の寝室や研究施設や世話をするメイドの部屋、あとは来賓のための客間で固めた。
僕や母の部屋や母のための客間は応接間をはさんで反対側。
盛りのついた豚の鳴き声は間違ってもそのような方々には聞かれたくなかったに違いない。
次に、唯一僕の部屋だけは特別な造りになっていた。
明かりをとるための天窓以外の窓は無く、扉は内側から鍵を開閉することはできないが外側からは出来る構造となっていた。
僕に勉強以外のことをさせるつもりは一切無く、また僕が勉強以外のことを一切知れない造りになっていた。
毎日僕の目や耳に入るものは、ほぼ学業のための書物と盛りのついた豚の鳴き声だけだった。それ以外は求めるたびに父から例のセリフを聞かされるだけに終わった。
「おまえは勉強以外なにもしなくていい、それだけで私の二代目になれる」
と。
そんな日々に耐えられた理由はひとつだけだった。
「この地獄は、無事学歴と資格の修得に成功すれば終わるんだ」
僕はそう自分に言い聞かせることで正気を保った。
そんな日々が続くなか、僕はなんとか父の求める学歴と資格は手に入れた。なんとか正気を保ち続けた。
手に入れたその後を知るまでは、正気を保てた。
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