沈んだその手をすくい上げて

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 ──幼い頃から、海を眺めていると心が落ち着いた。  ゆらゆらと、一定のリズムで揺れる水面。  水吹(しぶき)のひとつぶひとつぶが自由なようでいて、海全体となって揺れている。みんな仲が良くて、かといって誰かに縛られてもいない。ぼくたちの世界じゃとても叶わなさそうなゆったりとした繋がりに、包まれていたい。  だからぼくは海の流れを邪魔しないよう、砂浜に座り込んで、膝を抱えて小さくなる。  ふいに、さらりと良い香りがした。 「きみは?」  優しい、女の子の声だった。振り返ると、見慣れない真っ白な顔。  このあたりの子供はだいたい日に焼けて、がっしりしている。ぼくみたいなひょろ長くて青白いのは、仲間に入れてもらえない。  さっきまでその子たちと遊んでいたのだろうか。ぼくと、石塀の向こうに視線を往復させ、みんなと遊ばないの、とでも訊きたそうに首をかしげる。 「きみは」  ぼくはそっくりそのまま訊き返した。浜辺でぽつんとうなだれる陰気なぼくをどう思ったのか、彼女は「ばあばのおうち」と微笑む。 「はじめて来るの、ばあばと、ママのおうち。きみは、地元のひと?」 「うん、まぁ。すぐそこだよ」 「いいなぁ〜! 海のちかく! わたし海が見てみたかったの。きみは海、好き?」  黙って頷いた。同じ歳頃の子と、久しぶりに話した気がする。嬉しげにうんうんと頷く女の子は、ふとぼくの片手に目を止めた。 「おてて、うろこみたいなのついてる!」  とっさに隠す前に、両手で掴んでまじまじと観察される。  ぼくの一年中ひんやりと湿った手に、女の子の体温。うろこが出る場所は日替わりだった。コンディションが良ければ一枚も出てこない。こんな日に限って手の甲に出るなんてと、ぼくは顔に熱がこもるのを感じた。 「キラキラして、すっごくきれー……これ、どうやって()やすの?」 「は、生やしたんじゃないよ。元から生えてて、たまに出てきたり隠れたりするんだ」 「きみは人魚さんのハーフなの?」  言葉に詰まる。キラキラと輝く瞳に、気圧(けお)されるようにぼくは呟いた。 「……クォーター」 「くぉーた?」 「おばあが人魚だったんだ。じいは人間」 「ハーフの子供ってこと? じゃあきみも人魚さんなんだね!」  人魚と呼んでいいのかどうか、首をひねる。そもそもその"人魚と人間のハーフ"であるぼくの母には、うろこはまったく現れなかった。  母は人間として生きていくことを選び、生まれてすぐにうろこが出始めたぼくをじいに押しつけた。人間離れした美しさをもつ母を、ぼくは写真でしか知らない。 「人魚さんってことは、すいすい泳げるの?」 「まぁ……泳ぐのは得意だよ。水に浸かるとうろこがいっぱい出てきちゃうけど」 「すごい! わたし、泳げないの。人魚さん、わたしを泳げるようにして!」  彼女が満面の笑みで飛びついてきて、押し倒された。いたずらっ子な彼女に苦笑するぼくの片手を、打ち寄せる波が濡らす。  久しぶりに海水に触れた。うろこが出てくるぴりっとした(しび)れを感じて、たまには人間の友だちに泳ぎを教えてあげるのもいいかな、とぼくは思った。
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