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──湿った砂の感触を蹴って、黒いバケモノの腹に突っ込む。
激しい音を立ててぼくを飲み込んだ海は、乱れたリズムで怒ったように揺れた。
肌に纏わりつく、ぬるりとして冷たい水。すぐに全身が痺れて硬いうろこが生えてくる。水の抵抗を感じつつ、ぼくは底へ底へと泳ぎ続けた。バタつかせていた両脚はぴったりとくっつき、あの子が綺麗だと言ったうろこで埋め尽くされていた。
──あの子はどこだ。どこで泳いでる。
まさか溺れて亡くなったなんて思っちゃいない。ぼくが泳ぎを教えたんだ。泳ぎに慣れている島の子供のなかでも、ぼくがいちばん速いんだから。
平泳ぎをぼくに褒められ、はしゃいで溺れそうになった彼女を思い出す。油断するなよ、海って危ないんだぞ──抱きとめて、そう忠告したんだから、きっと大丈夫。
影みたいな魚たちが見える。あの子の姿を探す。遊覧船はまだ見つかっていない。三十人ほどの乗客のうち、何人かは発見されたが、全員亡くなっていた。
救命胴衣。無線交信。避難用ボート。流れ着いた島。通りかかった別の船。
なんでもいい。あの子が助かっていれば、なんでも。
「……あぁ、もう」
胸の痛みと焦燥に耐えられなくなり、ぼくは急上昇して水面に顔を出した。いつのまにか差した月の光に照らされて、水面に映るぼくの顔は、涙でぐちゃぐちゃに歪んでいた。
ぼくの姿は人魚というより、デカい人面魚だ。胸にも首筋にも現れたうろこを掻き毟る。毎年、海に潜るのはあの子が来たときだけだから、久々の海水に身体が馴染んでいない。
もうすぐ夏になる。今年の夏休みも、来てくれるはずだったのに。
「……あぁ、くそが!」
悲しみに似た怒りがぼくを泣かせた。
冷えているのに燃えるように熱い、無能なぼくの身体を、ぼくは再び底深くまで沈めた。
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