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「響」
「こ、この本!」
光に下手に話しかけられるのを恐れて、慌てて薄っぺらな学生カバンの中から良太に頼まれた本を取り出すと、強引に光の胸元に押し付け、光との距離をとる。
「良太さんにオレから返すように言われた本だから! …じゃあ」
「あ、響?」
二度目の呼び掛けにも答えずに、先にこの場から立ち去った太司に習うように振り向きもせず、走ると危険なプールサイドを脱兎の勢いで駆け抜けた。
(なんで逃げてんだよ、オレのバカ!)
先行する苦手意識が光と顔を合わせることも駄目だと言わんばかりに響の体を突き動かし、自宅にいても光と正面切って向き合うタイミングを逃しているそのままに、今日も反射的に逃げ出してしまった。
――何も、逃げる必要などないのに。
兄の光は自分のことをとても大事にすると同時に慕ってくれているし、そんな風に思われている響だって、心底光のことを嫌っている訳ではなかった。
良太のことだって――響の一方的な思い込みの部分があるにしろ、光のせいにしなくとも良太の心を響自身の心に縫い留めておくチャンスはいくつもあった。
良太の傍にいるのは、いつも響だった。
だから良太の両親とも良好な関係を維持していたし、良太の心の機微も誰より感じ取れていたと思う。
―――それでも…
光を見ただけでも逃げ出すことしかできなかった日々の積み重ねが、その気はなくとも光から足を遠ざけさせるのだった。
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