アトリエラナンの小さな事件

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ウェディングドレスのフルオーダーアトリエ、『ラナンキュラス』。 そこは住宅街に埋もれるように存在する。はじめての人は正確な地図なしではたどりつけないような、小さくひっそりとしたお店だろう。 というのも、元はおじいさんが一人で仕立て屋さんをやっていたところ、年末におじいさんが亡くなって私が店ごと購入し、桜咲く四月からアトリエにすることにした。 私の名前は日比野結衣(ひびのゆい)という。祖母はホテル経営。母は結婚式場経営。そして25歳の私はウエディングドレスのアトリエオーナーとなる。きっと誰もが私の事を親ガチャSSRのお嬢様と思うだろう。否定はしないけど。そして私はガツガツしているのであまりお嬢様らしく見られないが。 シンプルすぎるスーツに、目つきの悪い顔と平均的なスタイル。髪は天然でうねっているものを高い位置で結んでいる。あまり見た目に手をかけていないけど、早くに起業するためには仕方ない。 そう、この起業の予定は随分と早まった。この不景気にはやってしまったのではと不安にも思う。とても現実的でなくて、足場がふわふわして落ち着かないかんじ。でも祖母や母も私と変わらない年で起業していたし、援助もしてくれる。 そもそも店をいつか譲ると約束してくれた前の店主が亡くなってすぐ手続きをしなくてはいけなかったし、ずっと狙っていたデザイナーも色々あって引き抜く事になってしまった。もう私が起業しなくてはならない状況だった。 「わぁ、ここがラナンですかー。レトロな雰囲気でかわいいですねー」 そのデザイナー、江西瑞樹君はラナンの外装に瞳を輝かせた。無精から伸ばしている黒髪は無精とは思えないほどにきれいだし、引きこもり作業のせいで白い肌がより引き立てられている。顔だけ見れば女の子と思うくらい柔和に美しい顔はまつげが異常に長い。細身だけどしっかりした体つきで手足も長いため、黒一色の服がよく似合う。ちなみに彼はいつも黒い服を着ているのはウェディングドレスの糸やらパーツが見やすいためだ。 彼は私が通っていた専門学校の後輩だ。学校一番のセンスの持ち主でウェディングドレスが異常なまでに好き。私もデザイナーを目指し専門学校に通っていたわけだけど、彼のデザインを見てその夢は諦めてしまった。そして経営の勉強を始めた。いつか彼のデザインを世に届けるために。 そこを卒業後、瑞樹君は某有名なウェディングドレスメーカーに就職した。彼のデザインに惚れ込んでいる私は当然の事だと思う。なので私は彼に言った。『いつか独立したくなったか、そこを辞めたくなったら連絡して欲しい』と。 でもまさか、十年先のつもりで話をしていたのに四年ほどで瑞樹君がそのブランドをやめてしまうとは思わなかった。それもわりとどうしようもない理由で。 「こんなに早くお店を持つなんてすごいですねぇ、結衣さん」 「そうね。私も瑞樹君が女性トラブルで辞めさせられちゃうとは思わなかった」
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