水面下の白鳥

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 恋香を待っていた。  ボートに乗る恋香たち二人より早くたどり着けたものの、何年振りかわからない全力疾走による酸素不足に陥っていた。  肺も呼吸をするたび軋むような気がする。  両手を膝について体を折り曲げた状態で息をした。  足りなくなった酸素をどうにか取り込む。  落ち着いてきたとほっとしたところ、唾液が気管に入り思い切りむせた。 「げぇほっ、げほっげふ……げは」  涙目になりながらも顔を上げると、ボートを漕ぐ恋香の後ろ姿が見えた。  おそらく自分がここにいることには気づいてはいないだろうと思う。  気づかないでくれと相反した気持ちも出てきそうになった。  そんな弱気じゃだめだと顔を両の手で挟むように二度叩いた。  そうしている間にも恋香が乗ったボートは岸に近づいてくる。  降りて数歩、歩き始めたところが狙いどころだ。  降りてすぐは池に落ちる危険があるし、だからといってボート乗り場から公園に戻ってきたところでは奇襲の効果が薄い気がしている。  杞憂かもしれない。  そもそも成功しないかもしれない。  成功したところで、恋香は快く迎えてくれるだろうか?  いや、そういったことはどうでもいい。  今は欲望の本能の化身でしかない。  ただ恋香を手に入れたい、腕の中に抱き留めたい、それだけだ。 「ありがとうございました」  恋香の声が聞こえた。  しまった、考えに浸りすぎたか。  ボート乗り場のおじさんにお辞儀をする後姿が見える。  反射的に走り、腕を掴んだ。  ちょっと力加減がうまくできず、痛い思いをさせたかもしれない。  そして……走った。  わけのわからない顔をした恋香。  何かを大声でいっている彼氏。  知るもんか! 「え? なに? なに??」  答えられない。  なんて返事をすればいいのかわからなかったからだ。  周りの人が何事かと走っている二人に視線を向ける。  恥ずかしそうに顔を赤く染める恋香。 「ちょっと待って、待ってってば。あきら止まって!」  強い口調に、恋香の腕を掴んだまま止まった。 「どうして――」 「ごめん!!」  恋香の言葉を遮るように頭を下げて謝った。  頭を下げたまま硬直する。 「どういうこと? 説明してくれる?」  さっきとは変わって優しい言葉で恋香は聞いた。 「れ、恋香の姿を見つけて……それで、えっと、居ても立っても居られなくなって、彼氏から奪おうと……」  自分でも弱々しいとしか思えない声で自己満足な理由を恋香はどう思っただろう。  恋香が吹き出すように笑い声をあげて笑った。  どうしてかわからず、下げたままだった頭を上げて恋香を見る。 「奪うもなにも、私あの人のものじゃないよ。ただの友達」 「あ、ええと、そうなんだ……」  顔を真っ赤にしてしどろもどろになるしかなかった。  呼吸も変に乱れてきて大きな胸が上下に揺れる。 「でも、ありがとう」 「え?」 「まだ、あきらが私のこと気にしてくれていてうれしかった」 「それは当然だよ。だってあたしまだ恋香のこと大好きだし……」 「なら、今からデートする?」 「するする!」  小悪魔的な笑顔を浮かべる恋香を見てやっぱり好きだなぁと思う。 「じゃあ、腕じゃなく手をつなごうよ」 「あ、ごめん。痛かった?」 「大丈夫だよ」  恋香と二人、手をつないでもう一度ボート乗り場へと向かった。  そこにはあの彼の姿はない。 「あとで連絡しておくから、あきらは気にしなくて大丈夫だよ」 「うん、それもだけど、さっき恋香はボートに乗ってたのにもう一回乗るの?」 「だって、私が乗りたかったのって足漕ぎのスワンボートだし」 「ああ、恋香好きそうだよね。……麦わら帽子、似合ってるよ。ブルーもいいね」 「うん、だって選んでくれた人がデザイナーの卵だからねっ」 「残念、もう卵じゃないんだ」 「本当に? おめでとう!」 「ううん、そうじゃなくて、デザイナーは後輩に託すことにしたの。今は小さなアパレルショップの店長だよ。会社を興したんだ」 「わあ、すごいね。今度行ってもいい?」 「当然」  二人は手を取り合いはしゃいだ。 「あのー、ボートには乗らないのかい?」  和やかな空気を壊すのを申し訳なさそうな様子でおじさんが声をかける。 「あ、ごめんなさい。乗ります。今度はスワンボートで」 了
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