103人が本棚に入れています
本棚に追加
Hungry Spider4
琥珀のサングラスを掛け直した呉哥哥に報告する。
「下調べはすんでます。リビングの壁は防音仕様、隣近所に音が漏れる心配はありません。警備員や番犬もいないっすね。よっぽどお楽しみに水をさされるのが嫌だったんすかね?」
「アップタウンにお住まいの名士のご趣味がキッズポルノ鑑賞なんて大っぴらにゃできねえだろ、バレたら社会的に死ぬ」
俺がここに連れてこられた理由は簡単、この人がこれからやろうとしている事に一番使えるからだ。
呉哥哥は「ドアを塞げ」と命じた。
即ち、コイツを逃がすなということ。
俺の糸はよく伸びて感度が良い。ポルノにのめりこんでる招待主は隙だらけで、裏をかくのはたやすかった。
男が悔しげな面持ちで吐き捨てる。
「全部嘘だったんだな、私のコレクションに興味があるって言ったのも……やっぱりマフィアは信用ならん」
「この変態とどちらでお知り合いに?」
「公司の取引先の一人だよ。先週のパーティーじゃプライベートな話をしたんだ。知ってるか劉、キッズポルノに盛る手合いは独自のネットワークを築いてる。世間様に白い目向けられる自覚はあるんだろうな……ガキを好きにできる店とか至高のオカズとか、マニア同士せっせと情報交換しあってんのさ。で、だ、コイツはそこそこ有名人だった」
ブーツの爪先で拍子をとる呉哥哥に、脂汗塗れの男が卑屈な笑みで媚びる。
「こないだは手厚く接待してくれたじゃないか」
瞬時に頭を過ぎったのは、倉庫の檻に閉じ込められたガキどもの顔。まさか……
「今さら驚くな。蟲中天のシノギは知ってんだろ」
知ってる。人身売買、売春……この人に送り込まれたガキがどんな接待をしたのかも、容易く想像が付く。
俺は呉哥哥のことを何も知らねえ。
改めてそれを思い知らされた。想像しうる限り最悪の形で。
「はめんのは簡単だった。ちょっとおだてりゃテメェの方からぺらぺら歌ってくれたよ、レア物ゲットしたって自慢したかったのか」
「知らなかったんだ、呉氏が小蛇ちゃ……アレに出てたなんて。でも何故二十数年たってから……ふ、復讐か?そもそもアレは蟲中天が主催した金持ち向けのショーじゃないか、畸形を慰み者にする会員制クラブの噂は聞いてたぞ!ハッ、マフィアらしい汚いやり口だな。借金のカタにとった連中を見世物にして、さんざん荒稼ぎしたんだろうが」
「詳しいじゃん、さすが情報通。二十二年前の事件が原因で打ち切られたが、今でも再開を熱望する物好きが多い」
二十二年前の事件?
「黒後家蜘蛛の駆け落ちか」
男が期せずして口走った名前に衝撃を受ける。
呉哥哥は凄惨な笑みを深める。
「思い出した、親父に聞いたことがある……黒後家蜘蛛の逃亡騒ぎに乗じて、何人か脱走したとかしないとか」
「親子二代でペドフィリアかよ、終わってんね」
驚きをもって上司の横顔を見直す。
ということは、この人と黒後家蜘蛛は昔馴染み?同じショーに出てたのか?
呉哥哥が右手に銃を持ち、左手で銃を抜き、くるくる回して歌いだす。
「親父譲りのペド野郎に教えてやるよ、アンタがさっきハアハアしてた産卵ショーの卵はよくできた偽もんだ。パッと見わかんねーよな、見た目や質感にゃ無駄にこだわったって話。本物使うかどうかで揉めたが、中で潰れちまったら興ざめだろ?ケツを使いたい客もブーイングをよこす」
楽しげに楽しげにショーのやらせを暴露し、寿命のカウントダウンでもするようにシリンダーを回す。
「でもさァ、馬鹿なガキだった俺様ちゃんはそれを教えてもらってなかったわけよ。ケツに卵を突っ込むから中であっためて孵せって言われて、そりゃもー泣いて暴れたね。なんでもするから勘弁してくれって」
この人は手遅れだ。
痛いも辛いもぶっ壊れてる。
「馬鹿ガキが馬鹿げた話真に受けて、泣いて嫌がるのが面白かったんだろうな。連中嗤ってたぜ。俺がひりだすの遅れて中で孵っちまったら腹を食い破られるとか脅しやがって、ケツの穴からちょろちょろ子蛇が這い出てくんだ、傑作だろ」
「哥哥、それ位に」
これ以上聞きたくなくて遮る。呉哥哥は止まらない。何かに憑かれたように喋り続ける。
「それ位ってどれ位だ?悪いな加減がわからなくてよ、まだ聞きたい事があるんだ喋らせろよ。なあアンタ、俺が出てるシリーズコンプしたんだよな。ぶっちゃけどれが一番お気に入り?鞭でぶっ叩かれてるヤツ?カテーテルで尿道責め?他のヤツと絡んでんのか?VIPになりゃどれとどれを掛け合わせるか指名できるんだぜ、俺様ちゃんは突っ込む方が得意で好きだよ、だって痛てェのは嫌じゃんか、苦しいのは誰だってお断りだよな?」
「あ……」
止まらない。止められない。銃口が男の額に擬され、トリガーがゆっくり絞られていく。
「ゆ、許してくれ!フィルムは全部捨てる、焼却処分する!あなたが出演してた事は誰にも言わないから見逃してくれ、私たちは仕事上のパートナーじゃないか!今後も末永く良い関係を築いていきたいと本心から望んでるんだ、どうかわかってほしい、私を殺したってメリットはない」
銃口を突き付けられた男が命乞い。
「よくわかるよ、辛かったんだね。私の父も息子に興味がない男だった。あなたも親に売られて、地下で慰み者になって、大変な苦労をした。なのにどん底から這い上がって今こうしているのは本当に立派だ、素晴らしい、不屈の精神に敬意を表する」
何がわかるってんだ?
「あなたがどんな辱めをうけてきたかは知ってる。だが立ち直ったじゃないか、一度は逃げ出した蟲中天に舞い戻る覚悟は見上げたものだ、自分の力と才覚で呪われた過去に打ち勝った事実は誇るべきだ!誤解しているようだが呉氏、私は断じてスケイルキラーズなんかじゃない。あの映像も可哀想で可哀想でずっと胸を痛めていた」
右手でマスかいてたくせに。
「公司が蟲中天のフロント企業だって事はアンデッドエンドの人間なら皆知ってる、しかし構わない、資金は提供するから新しいビジネスモデルを一緒に考えようじゃないか。大丈夫、私は味方だ。あなたの過去を知っても、軽蔑したりしないよ。ましてやよそに漏らしたりなど」
上から目線で。
「騙るなよゲスが」
右腕が飛んだ。
男が激痛に絶叫を上げ、至近距離で返り血を浴びる。呉哥哥がこっちを見てる。レンズの奥の目が丸くなってた。
チャイニーズマフィアの端くれのくせに人を傷付けたり殺したりは普段極力避けたがる臆病で使えねえ舎弟が、カタギの腕を切り飛ばした事に驚いてる。
前髪から滴る赤い雫とレンズの汚れも意に介さず、催促する。
「何ぼさっとしてるんですか、らしくもねェ。とっとと『殺せ』って言ってくださいよ」
俺はきっと、その為にここにいる。
「腕が、腕がああああああああああああ!」
「暴れると失血死するぜ」
今ならどこまでも残酷になれる気がした。
しゅるしゅると螺旋を描いて開いた糸をまた絞り、付け根の動脈を圧搾。
「あがっぐ」
その後足元に落ちた右腕を蹴りどかし、止血を兼ねた拷問を継続。
「『軽蔑しない』?何様だよ。他人様か。いいかよく聞けゲス野郎、この人はテメェ如きに同情や軽蔑されるほど落ちぶれちゃねェんだよ」
俺は呉哥哥が嫌いだ。
この人はめちゃくちゃだ。
金庫を破って逃げた情婦と部下にエゲツねえヤキ入れるし、即戦力のスカウトを目的にスワローと組まされた時は心底恨んだ。
愛人ちへの送り迎えに駆り出されるのもざら、日頃からパシリを押し付けられてストレスをためている。
なのにどうして
『そりゃ捨ておけねえ。お前は俺のなのに』
『被害者から加害者へ……てめぇの人生も波瀾万丈だな、山あり谷あり落差が激しくて目が回る』
『いじめられんの好きだろ。行ってこい』
この人に認められると、俺のどうしようもない人生がちょっとだけすくい上げられる気がするんだ?
『やりたいように生きてたらそうなったんだもんよ』
俺は多分、この人に憧れてる。
それは悪趣味な映像を見せ付けられ、壮絶すぎる過去を聞いた後でも揺るがない。
『優しいのよ哥哥は。どうせ不幸にするだけだから絶対子どもは作らないって決めてるの、私たちがどんなに欲しがってもね』
この人はやることなすことめちゃくちゃで、最低最悪な自分を曲げねえからかっこいい。
『思い出のブツなんだろ。もらっといたほうが可愛げあるぜ』
俺はずっと日陰を歩ってきたから、この人の気まぐれな施しをナシにするほど器用な生き方はできねえ。
マーダーズから命からがら逃げだしたあと、行くあてなくさまよっていた所を拾ってもらった恩も感じている。
だから侮辱は許せねえ。
鱗が剥がれる痛みに耐えて過去をねじ伏せてきたこの人を、くだらねえ同情なんかで貶めてたまるかよ。
「ハッ……ハハハハッ、たいした忠誠心だな!さすが呉氏、付き人の躾が行き届いてらっしゃる。上司に売られたと知ってもまだ庇えるのかな」
「何?」
「玄関先で耳打ちされたんだ。君、蜘蛛のミュータントなんだって?」
激痛とショックで大量の脂汗をかき、痙攣を引き起こした男が壮絶な笑みを浮かべる。
「鑑賞後は君の口を使っていいって言われたんだ。私の好みからは少々外れるが、君の体は育ちきってない少年みたいだいし、その童顔は悪くないね。そばかすもそそるじゃないか」
ああ、そうだったのか。玄関先の意味深な様子を思い出して納得する。
「ウリ、してたんだろ」
そこまで言ったのか。
呉哥哥は目的を果たす為なら手段を選ばない、使えるものはなんだって使うし邪魔となれば即座に切り捨てる。俺だって、所詮コマだ。
「自分の愛人を貸し出すなんて呉氏も人が悪い……」
「俺は哥哥のもんだから、この人が好きにしていいんだよ」
ヒステリックな哄笑が途切れ、宙吊りにされた男が固まる。目を瞑り深呼吸で覚悟を決める。再び瞼を上げた時、心は決まっていた。
「殺れって言ってくださいよ。コイツが息してるだけで不愉快だ」
「劉」
「その為に寝入りばな叩き起こして連れてきたんでしょ。いいんです、わかってます。アンタがそうしろっていうなら、汚ェ返り血いくらでも浴びてやります。認めんのは癪だけど、アンタがいなけりゃ俺は野垂れ死んでた。ていうかね、あんな気分悪ィもん見せられてキレそうなんスよぶっちゃけ。途中でスクリーン切り裂くの我慢したんだから褒めてくださいよ、頑張ったでしょ」
服や前髪からぽたぽた血が滴る。臭くてかなわねえ。ギリギリと糸を締め上げる俺と並び、呉哥哥がため息を吐く。遠からず寿命が尽きると悟ったのか、隻腕の男が前のめりに喚きだす。
「許してくれお願いだなんでもする、フィルムはただちに破棄する!早く病院にっ、腕っ、私の右手!怒る気持ちはもっともだが復讐なんて意味がないぞ、私と組んだ方が稼げるじゃないか!『蟲中天』で上を目指すなら金はいくらあっても足りないはず、もし命を助けてくれるなら末永くパトロンになると約束するよ、だから復讐なんて不毛なまねやめたまえ自分の将来を考えるんだ!」
「復讐ねェ。別にそれでもいいんだがよ」
呉哥哥がリボルバー銃を投げ上げては掴み、とことん平行線を辿る男の勘違いを訂正していく。
「俺がアンタをブチ殺しにきたのは、どうしようもねえアホなお喋りだからだよ。俺様ちゃんはまだまだ組織で成り上がりてェのよ。ただでさえ『蟲中天』は蟲以外に当たりがキツくて周りは敵だらけ、ガラガラヘビの下剋上が目障りな連中が足引っ張ろうと手ぐすね引いて待ち構えてる」
曲芸師さながら両手の銃を投げ上げては発矢と掴み、また投げ上げる繰り返し。レンズ越しの瞳は冷えた達観を湛えてる。
「そんな時にアンタ秘蔵のフィルムが出てきちゃまずい訳よ。こっちは替え玉と新しい戸籍まで用意したのに、全部おじゃん。リトルとラトルが同一人物だって勘付く聡いのが出てこねえとも限らねえ」
宙で回るリボルバー銃が、なめらかな軌道を描いて両手に吸い込まれていく。
「だから殺す。ここで殺す」
「ひっ」
「あとは単純に気持ち悪ィ、知らねえ所でオカズにされてるとかむかむかして反吐がでる。小蛇ちゃんとか正気かよ、夢中でマスかいてる姿は笑えたが絵面がキッツイぜ。これも私怨による復讐って事になんのかな、だったら否定しねえよ。アンタは出世の邪魔だ、てっぺんとんのに爆弾抱えンなァごめんだね」
呉哥哥が二十二年前の生き残りとばれたらどうなるか。まず間違いなく出世の道は閉ざされ、今度は追われる立場になる。最悪部下や隠し子まで累が及ぶ。
蟲中天は裏切り者を許さない。
呉哥哥が天下をとる為に、フィルムの流出は絶対に阻止しなければいけない。俺は証拠隠滅の共犯に選ばれたのだ。
「遺言は?」
「死にたくない……」
恐怖の絶頂で情けなく震えだす男と対峙し、呉哥哥は露骨な侮蔑を浮かべる。
「安心しなよ、アンタの趣味は揉み消してやる。小蛇ちゃんが出てるの以外は知ったこっちゃねえが」
呉哥哥の目配せに頷き返し、勢いよく両手を振り抜く。
翻った糸が棚やソファーを薙ぎ払い、棚の上に飾られた壺を端から端まで叩き落としていく。
まだだ。壁紙をジグザグに切り裂いて捲り上げ、ドアの表面を引っ掻いてカーペットを弾き、リビング中を派手に破壊していく。
強盗、それも複数犯の犯行に見せかけるなら偽装工作は入念にやるのが基本。
切り裂かれたソファーから綿が露出し羽毛が散る、床と壁と天井全方位に糸を撒いて抉って削ってひっくり返す。
腹ん底から突き上げる衝動を発散するように、沸点を突破した殺意を糸に乗せて解き放ち、飛来する壺や花瓶を紙一重で躱しながらリビングを蹂躙し、全部ブチ壊す。
視界の隅で呉哥哥が拷問をおっ始める。胸ぐら掴んで銃で殴打し、口に突っ込んで前歯をへし折り、嬉々として蹴りを入れる。
「最後の一本除いてそろえたんだろ。残りはどこだ?吐けよ」
「ぐはっ!」
完全防音仕様でどんなに暴れても漏れねえェのは有難い。横倒しになった映写機を糸で寸断、悪夢を上映していたスクリーンにでっかいバッテンをしるす。
糸だけじゃ足りねえ。蹴りで棚のガラスをぶち破り、高級なウイスキーをラッパ飲み。咽喉を焼くアルコールに高揚し、三分の一ほど中身が減った瓶を後ろに投げる。
今夜盗みに入ったのは金持ち狙いの荒くれども。家中荒らしまくって金品ぶんどる筋書きにのっとるなら、一番目に付く所に飾られてる高級酒をスルーすんのは不自然だ。
片っ端から掴んだ酒を飲んじゃ投げ飲んじゃ投げしてるうちに、酔っ払って視界が歪む。
狂乱の夜の終焉はあっけない。
「これで全部です、許してください!」
ギラ付く笑顔を剥きだした呉哥哥が拳を振り上げると同時、柄シャツの胸元から写真が舞い落ちる。
二人の中間に滑り出た写真には、7・8歳程度の女の子が映っていた。
おさげに結った髪。はにかむような笑顔。瞳孔が縦長の瞳と鱗に覆われた灰緑の肌は、ゲテモノと忌み嫌われる蛇のミュータントの特徴だ。
実際会ったことなんかねえのに、写真はまるで似てないのに、一目で誰だかわかった。
『见鬼!』
思いがけず視線を流す呉哥哥、横顔を掠めたのは焦りを含んだ痛恨の表情。胸ぐらを掴まれた男もまた写真を一瞥、嘲る。
「『お気に入り』の写真を持ち歩くなんて、やっぱり同類じゃないか」
殺意が逆流する。
呉哥哥の表情が消えた刹那、部屋中を切り刻んでいた糸を戻す。
リボルバー銃が火を噴くのと同時に男の首に糸を巻き付け、渾身の力で締め上げて窒息に至らしめる。
「娘だよ。見てわかんねェのか」
赤い血が光る糸を介して伝わる痙攣を最後に、男は事切れた。
最初のコメントを投稿しよう!