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君がくれた幸せ
音波が俺の耳を指差して言った。
「そのイヤリング、付けてくれてるんだね。」
「うん、付けてる。」
音波がいなくなってからも、俺はイヤリングを付けていた。
音波から貰ったもので気に入ってたし、それ以外に大きな理由があったが、思い出せない。
ああ、まただ。
心が痛む。
水族館から出ると、外はもう薄暗くなっていた。
やっぱり外にも、人1人いない。
それに、なんだか外の景色が少し変わって見える。
周りは何だか異常に暗く、相変わらずぼやけている。
そして、ここを進めといわんばかりに道だけが、少し明るくなっていた。
音波が言った。
「海に行きたい。2人で行った、あのビーチに行きたい。」
俺達が行ったビーチまではここから5キロはある。
この、人がいない世界では、電車は動かないし車も借りれない。
「歩くのか?」
「うん。行こう。」
それから俺達は照らされた道を進み、ビーチまで話をしながら歩いた。
「初めてのデートで手ベタベタになったの覚えてる?」
「覚えてる。ハンカチ間に挟んだくらいだしな。しかも2回。」
「そうそう。2人とも手洗うもの無くなっちゃったよね。あはは。」
あれ。
いつの間にか忘れてしまっていた音波との記憶が、少しずつだが思い出せてきている。
しかし、それと同時に心がズキズキと傷んだ。
2人で思い出話をしているうちに、ビーチが見えてきた。
いつもよりも足取りが軽く、1時間ほどでビーチにたどり着いた。
あたりはすっかり暗くなっていた。
横の階段からゆっくり降りていく。
「暗いから気を付けろよ。」
「うん。」
足元をスマホのライトで照らしながら、俺達は砂浜まで歩いた。
今日も満月だ。
そこには1年前と変わらない、夜の海が広がっていた。
どこからともなく流れていく風。
静かな世界の中でさざめく、波の音。
何もかもが包まれてしまうような、暗くて、深い夜の海。
そして満月の光が海を照らし、さざ波と共に、キラキラと輝いている。
音波が、俺の方を振り向いて言った。
「今日も、星が綺麗だよ。」
俺はスマホのライトを切った。
あの日と同じ世界が広がっていた。
無数の星が、見える限りの空を埋め尽し、それがどこまでも続いている。
星の1つ1つが、この天の川という銀河を作り出しているのだ。
この暗闇の世界をうっすらと照らす満月の光と、それに反射するように輝く海。
1つの空間に、これほどの神秘を見せてくれる宇宙に、俺はただ、ひたすら感動した。
暗闇の中の絶景で、うっすらと満月に照らされている君が、とても美しい。
でもその光景は、夢であるかのように思う。
久しぶりの再会。
1年前のように、水族館を周り、語り合った。
そして、夜の砂浜で2人、数えきれない星を眺めた。
この再会は、彼女を思い出すきっかけになった。
音波が、俺の顔を覗き込むようにして、言った。
「私、奏音と一緒にいられて幸せだった。すごく楽しかった。」
彼女の薄暗い姿と、キラキラ光る夜の海の、2つの光景が目に入る。
ずっと無のままだった俺の感情が今、大きく動いている。
それと同時に、胸が締め付けられるような気持ちになった。
俺は音波のスマホをポケットから取り出した。
音波が、スマホを指差した。
「君と私の、2人の思い出が、そこに詰まってる。」
電源ボタンを、押す。
パスワードの画面が出てきた。
ゆっくりと、数字を打ち込んでいく。
初めて君に、恋をしたその日から、俺は君に夢中だったんだ。
2人で一緒にギターを弾いたこと。
お互いの家へ行った時、緊張してずっと正座してしまって、足が痺れたこと。
自撮りがうまく撮れなくて、変な顔になって2人で笑ってたこと。
何もなかった日常に、君は夢をくれたんだ。
ありがとう。
大好きな、俺の彼女。
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初恋。
ロックが開いた。
写真のアイコンタップした。
そこには、俺と過ごした、2人の思い出の写真がフォルダーを埋め尽くしていた。
ライブでの、俺とのツーショット。
水族館で買ったぬいぐるみと、一緒に自撮りした写真。
俺の家でお泊まり会をした時の写真。
頭の中で、彼女と過ごした記憶が溢れ出した。
俺の、ずっと無だった感情が今、大きな悲しみの感情へと変わった。
どうして俺は、こんなにも大切な思い出を忘れてしまっていたんだろう。
画面をスクロールする。
写真に写る彼女は、どれも笑顔だった。
そうだ、このクラゲのぬいぐるみは、音波が気に入って買ったんだ。
それで、どうせなら大きいのにしようってなって、一番大きいやつを買ったんだっけ。
持って帰るのが大変だったなぁ。
さらにスクロールしていくと、1本の動画を見つけた。
俺は、それを再生した。
「こんにちは!元気?って、これでいいのかな?あはは。」
患者服を着た音波が写っていた。
「この動画を撮ったのはね、理由があるんだよ。私、きっともう長くないんだ。だから、最後に残しておきたいと思ったの。」
これって、あの時の。
「初めて行ったデート、すごく緊張して2人ともガチガチだったよね。でも、最後はちゃんとキスも出来た。告白、嬉しかったよ。それと、ギターはお互い上達したね。同じ舞台に一緒に立って演奏できて良かった。」
思い出話を語り、彼女は涙ぐみながら続けた。
「私、あなたといられて幸せだった。私の彼氏になってくれて、ありがとう。あなたの彼女で良かった。」
動画はそこで終わった。
俺、君のために力になれてたんだな。
いつの間に俺は、こんなに大切なものを忘れてしまっていたんだろう。
思い出、詰まり過ぎだよ。
「うっ、っっっ。」
画面にポタポタと、雫が落ちる。
君と出会った一昨年の春。
それから君と過ごした時間は、今までのどんな時よりも、幸せだった。
これからもずっと、2人で一緒にいられる永遠の未来を願った。
そして、そんな幸せな時間が、これからもずっと続くと思っていた。
でも、それももう、叶うことはない。
ああ、そうか。
そうだったんだ。
君がいなくなってから、俺は君との思い出を閉じ込めたんだ。
イヤリングを付けることで、彼女がずっと側にいる気がしたんだ。
2人の時間は永遠であると思いたかった。
君がいない世界なんて、耐えられなかったから。
ただ、会えていないだけ。
同じ世界のどこかに、君がいる。
そう、信じたかった。
「っっっ、ううっ、ああぁっ、、、。」
溢れ出した涙が、止まらない。
たったの1年半という短い時間の中で、俺は最高に幸せな日々を過ごした。
夢のような時間だった。
「泣かないで。せっかくの顔がびちゃびちゃだよ。」
彼女が俺を、優しく慰めてくれた。
俺は顔を上げた。
俺を見つめる音波のその瞳からは、涙が流れていた。
「はは、慰めてる人も泣いてどうするんだよ。」
「本当だね、あはは。」
音波の姿は透き通り、伸ばした手は彼女の体をすり抜けた。
音波に触れることは、もう、出来なかった。
別れの時間は、すぐそこまで来ていた。
「お別れだね。私、奏音と話せて嬉しかったよ。」
「俺もだ。凄く、嬉しかった。」
音波の姿が、うっすらと消えていく。
「いつかまた、絶対に会おうね。それでまた、一緒に幸せになろうね。」
「当たり前だ。どんな世界だろうが、俺達はまた同じ世界で、幸せになろう。」
「うん。ありがとう。大好きだよ、奏音。」
音波がニッコリと笑った。
最高の笑顔だった。
風が吹き抜けていく。
夜の砂浜に、俺は1人になった。
夢を見ていたのだろうか。
短い時間だったが、君ともう一度出会うことが出来た。
この奇跡は、俺の心にしまい込んでいた記憶を思い出させてくれた。
水族館が、俺達を巡り会わせてくれたのかな。
神様が俺達を巡り会わせてくれたのかな。
それとも、。
「あの日の流れ星かな。」
空を見上げた。
今夜は満月だ。
さざ波の揺れる広い海に、光が差し込む。
空を埋め尽くす満点の星空は、今日も美しい。
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