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心は晴れ模様
「……なるほどね」
幼馴染みのギルモアに仄かに抱いていた好意、打ち明けようとした直前での友人同士の会話、そして今日のカフェで一緒に歩いていた女性の件。
全てを告げると、レオン様は少し沈黙した後で呟いた。
「まあそれも私が地味で存在感がないとか影が薄い、印象が薄いというのが原因ですので、致し方ないと申しますか。分不相応な願いを抱いていたから、ショックを受けてしまったのではないかと思います」
レオン様が聞き上手なあまりに正直にぶっちゃけてしまい、恥ずかしくて顔を上げられずにいると、「不思議なんだけどね」と彼が言い出した。
「……え?」
「パトリシアは何故そんなに自分のことを悪いみたいに言うのかな?」
「あの……ですが女性として、地味で華がないとか印象が薄い、存在感がないというのは良いことではありませんよね?」
「どうして?」
「だって男性に、好印象どころか女性としてまともに認識されないということではありませんか?」
「そんなことはないと思うけど。男性によりけりじゃないかい?」
私はレオン様の顔を見つめた。私を慰めようとして言っているのではないかと思ったからだ。だが彼は本気でそう考えているようだった。
「──マルタから私がかなり神経質だと聞いているだろう?」
「はい。そう伺っております」
「……私はね、自分の領域を乱されるのが嫌なんだ」
「領域、ですか?」
「そう。まあ距離感だよね。例えばさ、大して親しくもない人に親密そうにベタベタ体を触られたくないし、自分がゆっくり何かをしたいと思っている時に、邪魔をされたりするとイラッとしたりしないかい?」
「そうですね、それは確かに」
「まあこれは私の勝手な思い込みもあると思うから話半分に聞いて欲しいのだけど、印象が強い人とか派手な人、まあ目立つ人だよね、そういう人たちは、自分を認識して欲しい、優先して向き合うべきという無言のオーラみたいなものを感じるんだ。それが私にはとてもしんどく思える」
「……何となく分かります」
「分かって貰えて良かった。……それでね、そんな人たちは良くも悪くもまとっている空気の押し付けが強いというか、私の領域を無視してずかずかと入り込もうとすることが多い。多分これは、私が母譲りの顔をしていることも無関係ではないと思う。もっといかつくて父のような荒削りな顔だったら、ここまで神経質になることもなかっただろうと思うよ」
「お顔が整っておられるから、男女問わず魅力を覚えるのでしょうね。……失礼ですが、以前どこかのご令嬢が寝室に忍び込もうとしたことがあった、とマルタ様から話を伺ったことがございます」
「ああ、それか! 怖かったよ、浴びたのかってくらい強烈な香水の匂いをさせて、ネグリジェ姿でベッドで寝ていたんだよ。寝室に入る前から廊下まで漂っているその匂いに気づいて、目眩がしそうになって慌ててマルタを呼んだんだった。その後窓を開けっぱなしにしてさ、シーツなど全部交換しても臭いが取れるまで数日かかったよ。普段使ってなかった客室で寝る羽目になって、本当に散々だった。後も似たようなことが数件あったかな。ああ、私をたらし込めれば、先々お金に苦労もしないだろうという打算も当然あったかも知れないね」
レオン様は思い出したくもない、といったしかめっ面で吐き捨てた。
「レオン様も色々大変なのですね……」
「いやまあ私のことはいいんだ。でね、パトリシアが気に病んでいる存在感がないってことだけど、逆に考えれば人に対する強引な圧がない、存在の押し付けをしないという考え方は出来ないかい?」
「押し付けをしない……」
「そう。私は確かにパトリシアがいることに気づかず……まあ色々と紳士にあるまじき醜態を晒してしまった訳だけれど、それは自分の領域を乱されていると感じなかったことにも起因している。つまりパトリシアの存在に違和感を感じなかった、ということでもある」
「……」
「これはね、やろうと思ってもなかなか出来ない人の方が多いんだ。相手の迷惑にならないよう気を配る配慮が無意識に出来るということだよ。多分、パトリシアは友人と話をする際にも、会話に無理やり割り込んだり、自分の話を延々としたりして場を壊すような真似なんてしないだろう?」
「……良くお分かりですね」
単純に揉めたりするのが苦手な性格だからという話もあるのだけど。
「……あれ、おかしいな。言いたいことがどんどんズレてしまう気がする。私はこういう話をするのに慣れていないんだ。申し訳ないね」
「いえ、そんな」
「結局、何が言いたいかというとね、存在感がないのが悪いことみたいに思わないで欲しいんだ。空気のように意識せずとも当たり前のようにそばにあるものだってあるだろう? 私のようにパトリシアの存在が、とてもありがたいし好ましいと思っているような人間もいるのだから、別に無理に自分を変える必要はないということなんだ」
「……っ」
「……パトリシア、まさか泣いているのか? すまない、泣かせるつもりはなかったんだ。私の伝え方が悪かったかな? ああどうしたらいいんだ」
私は慌てたような声のレオン様にぶんぶんと首を横に振って応えた。必死にこぼれる涙をハンカチで拭うと笑みを浮かべた。
「……すみません。この件で肯定的な言葉を受けるのが初めてだったもので、何だか涙が出て止まらなくなってしまいました。レオン様は何も悪くありませんのでご心配なさらず」
食べかけだったマドレーヌをぱくりと頬張り、紅茶で流し込んだ。
「ありがとうございます。お陰で何だか気持ちが晴れ晴れしました。明日からも一生懸命働きます! あ、空いたカップ位は私が洗っておきますね」
私は深く頭を下げる。
「そうか。元気になってくれて良かった。これからもよろしく頼む」
「はい。それでは失礼致します」
書斎を出ると、カップを洗い丁寧に拭いて片付ける。
本当に、何かクヨクヨと考えていたことが本当に馬鹿らしく思えてしまった。そうだよね、空気のように私がいて当たり前だと思って貰える素晴らしい男性がこれから現れるかも知れないものね。
ずっと欠点だと思っていたことを、サラっと長所であると感じさせてくれたレオン様には感謝しかない。何と懐の広い思いやりに溢れた主人だろうか。これからも、彼の領域をなるべくおかさないよう誠心誠意仕事に励もう! そう私は強く決意をした。
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