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私行くって言ってませんよね
「……パトリシアどうした?」
私が足を止めたのに気づき、レオン様が声を掛ける。
「あ、あのですね……」
私が話をしようとした時に、モニカが満面の笑みで近づいて来た。
「まあ、あなた仕事してらしたの? メイド姿だけど……ああケイロン男爵家はさほど経済状況が恵まれているとは言えないものねえ」
どうでもいいのだが、親しくもないのに何故家庭事情を把握しているのだろうか。そして更にどうでもいいが、何故同情口調なのか。別に私は不幸ではないのだけど。
モヤモヤした気分になりながらも、
「はい。仕事中ですのでこれにて失礼致します」
と頭を下げてさっさと退散しようとすると、レオン様に目をやり驚いたような顔をして、素早く淑女の礼を取った。
「私はパトリシアの友人のモニカと申します。失礼ですがそちら様は……」
「私か? レオン・ロンダルドだが」
「まあ! ロンダルド伯爵でございましたの。つい町中で友人を見かけたもので、思わず声を掛けてしまい失礼致しました」
「──へえ。仕事をしているのも知らない程度の友人なんだね」
「最近はなかなか会う機会もなく、近況を存じ上げませんでしたの」
つい先日お会いした記憶はありませんか。記憶喪失ですか。
レオン様の嫌味を分かっていないのか意に介していない様子で、私を無視したまま話を続ける。
「レオン様の屋敷で友人が勤めているのも何かのご縁ですわね。来週、私の屋敷で父の新規事業立ち上げのパーティーがございますの。多種多様な商人も参加致しますし、レオン様のお仕事の繋がりを広げるのもよろしいのではと思いますけれど、ご都合がよろしければ是非ご出席いただけませんでしょうか? ああ、勿論パトリシアもご招待するわ。……ただギルモアも来るので気になさらなければ、ですけれど」
「いえ、私は仕事が忙しいので……」
何が悲しくてギルモアとモニカがいちゃいちゃしている、仲良くしたくもない相手のパーティーに参加しなければならないのか。
それにギルモアという恋人がいるにも関わらず、モニカの眼差しは明らかにレオン様へのただならぬ好意が透けている気がする。私が何か言える立場ではないものの、正直あまり気分は良くない。
レオン様はパーティー嫌いだろうしきっとお断りされるだろう、と思いふと見ると、何か考えているようで、楽しげな顔をしている。
「──そうだね。仕事の付き合いを広げるのは悪いことじゃない。是非招待状を送って欲しい。あ、パトリシアの分も一緒にね」
「え? あっ、はい、かしこまりました」
私まで出席すると思っていなかったのか、モニカは少し意外そうな顔をしたが、気が変わったら困ると思ったのか、それでは早急に手配します、とずっと無言だった友人らしき女性とそそくさと立ち去った。
「レオン様! 何故あのような返事をされたのですか? 私はパーティーも苦手ですし、モニカ様やギルモアとも会いたくないとお分かりでしょう?」
彼女たちの姿が見えなくなると、私を促し馬車へ向かい出すレオン様に抗議した。
「分かっているよ。……だけどさ、今までパトリシアが理不尽にやられ放題な感じがして少し腹が立ったものでさ。君だってさ、ちょっと見返してやりたくないかい?」
「見返す、ですか?」
「そう! 地味で存在感がない令嬢と貶められているパトリシアを、華やかで存在感溢れるレディーに変身させて、私がエスコートするんだ。あの香水臭い尊大な令嬢にも、たまには痛い目見せな──っ、へっくしょんっ」
「まあ、大丈夫ですかレオン様?」
「……なんだか目がかゆい……鼻も詰まって来た」
少し情けない顔をして目をこしこしとこすり始めたレオン様に、私は呆れて説教をする。
「薬を飲んだからと調子に乗って、長いこと花壇の近くにいたからですわ。万能薬ではないので過信をしないで欲しいと申し上げたではありませんかもう! さっ、早く戻りましょう」
鼻をずびずび言わせ始めて、「いきなり大量の花粉デビューはダメだったかー」と今になって反省しているレオン様を引きずるようにして馬車に戻る。レオン様の服に残っているかも知れない花粉を落とすように、パタパタとはたくと急いで馬車に乗せた。
「パトリシア……点眼薬を」
「はいこちらです」
動き出した馬車に揺れながら器用に点眼薬を注したレオン様に、続けてちり紙も渡す。鼻をかみ、彼はようやく落ち着いたのかホッと息をついて笑った。
「いやー、危なかった危なかった。徐々に慣らすのが良かったね」
「笑いごとではございません。本当に心配致しました」
「今回は喜びに我を忘れてしまったんだよ。許してくれ。二度と無茶はしないさ。……だけど、以前ならその場で滝のような鼻水と涙とくしゃみに見舞われているはずだったんだ。やはり薬の効き目だね」
「体に影響が出ないかなど、しばらく続けてみないと分かりませんので、これからはくれぐれもご自愛下さいませ」
「ははっ、分かったよ、気をつける」
そして、私はこのバタバタで脳内からすっぽりと抜け落ちていたことがあった。パーティーの件である。
あれから数日経って、レオン様の寝室の掃除を終わらせ、廊下に出た際に、マルタが笑顔で立っていた。
「どうしたのですかマルタ様? 何かまたお手伝いでも?」
「お手伝い……まあ大人しく突っ立っていてくれればいいというのもお手伝いになりますか。さ、いらっしゃい」
謎のような台詞を言うと、私はそのまま寮のマルタの部屋まで引っ張って来られた。大きな箱がベッドに乗っている。
「あのー、マルタ様? これはいったい……」
「夕方からレオン様とパトリシアのご友人のパーティーに行くのでしょう? レオン様から男爵令嬢として【可能な限り】磨き上げて欲しいと、申し付けられています」
「え? あの話本気だったんですか? 私は行きたくないのですけど」
「雇用主が行くと言えば行くのですよ。さ、まずお風呂に入って来なさい。ドレスも用意してありますし、ヘアメイクは私が腕によりをかけます。私にかかればカスミ草も薔薇のように。まあ全てお任せなさい」
「いえ薔薇とかそういうのどうでも良いですし、むしろ目立つの嫌なんですってば、マルタ様っ、ちょっ」
どうあらがっても私の希望はスルーされ、風呂に入ってくったりしたところにドレスを着せられ、髪を乾かされセットされ、気持ち良くなってうつらうつらしている間にメイクも施されていたようだ。
肩を叩かれてハッと顔を上げると、目の前の鏡にはいつもの自分とは比較にならないほど、華やかでぱっちりした目の可愛らしい貴族のご令嬢の姿が映っていた。
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